明治150に思う⑬
ブログ 803号
明治一五〇年に思う⑬
2018.7.26
句郎 明治一五〇年この前半は戦前の日本だった。天皇主権による国家だった。戦前の日本国は明治維新直後の一八七四年の台湾出兵に始まった。その後十年ごとに一八九四年には日清戦争、一九〇四年には日露戦争、一九一四年には第一次世界大戦に参戦する。一九三一年、関東軍は柳条湖で南満州鉄道を爆破した。この爆破事件は中国軍が行ったものだと関東軍は主張し、軍を進めた。一九四五年の敗戦まで15年間にわたって日中戦争が行われた。明治150年の前半、77年間は戦争に継ぐ戦争の時代だった。戦争国家、国家膨張を目指した侵略国家が日本だった。
華女 欧米の帝国主義国家の仲間入りを目指した国家だったということね。
句郎 そういうことなのかな。それは帝国主義国家日本、侵略国家日本、戦争国家日本、軍事国家日本ということなのかな。
華女 それは世界の中で日本が生存競争に生き抜く道であったということなのよね。
句郎 確かに生存競争に生き抜く道だとして帝国主義国家を目指す以外の道が無かったわけではないようにも思っているんだ。帝国主義は大国への道だと思うんだ。他国を侵略し、植民地を獲得する競争に参加する道ではなく、小国主義への道もあったように思うんだ。日本の独立を維持し、他国を侵略しない道だよ。
華女 あらっ、そんな道を歩んだ国があるのかしら。
句郎 明治維新最中の明治4年から明治6年までの1年9カ月余を掛け米欧の条約締結国12か国を歴訪した使節団を明治政府は派遣した。の使節団の特命全権大使が岩倉具視だった。その報告書が『米欧回覧実記』なんだ。この中で小国としてベルギーやオランダの国の状況を報告している。
華女 ドイツやフランスという大国の中にあって小国として独立を維持し、国の尊厳を守っているような印象を持つ国ね。
句郎 そうでしょ。新しい日本国の出発に当たってどのような国をつくっていくのか、ヨーロッパ諸国の実情を調べているんだ。大国主義、軍国主義の国へか、それとも小国主義、他国を侵略しない国を目指すのか、明治政府の指導者たちは検討していた。
華女 明治政府の大勢は大国主義、軍国主義、戦争国家への道を進んでしまったということなのね。
華女 小国主義を唱えた人はいなかったのかしら。
句郎 岩倉使節団に参加した留学生の中に中江兆民がいた。小国主義の主張をしたようだ。
華女 ルソーの『社会契約論』を翻訳し、日本に紹介した人よね。
句郎 その小国主義の思想を継承し、後に日本の総理大臣にまでなった人がいるんだ。
華女 そんな人が日本の総理大臣にいるのね。誰かしら。
句郎 石橋湛山なんだ。戦後総理大臣になった。早稲田大学で哲学を学んだ人だ。湛山は「小日本主義」を唱えていた。
華女 小国主義を唱え、総理にまでなった人がいるのね。大国主義を唱える人々が多数者だったけれども、小国主義を唱える人々も少数者であったがいたということなのね。
句郎 そうなんだ。1874年(明治7年)民選議員の建白書提出が提出が自由民運動の始まりと言われている。自由民権運動を支えた中江兆民を慕う人々は皆、小国主義を唱える人々だった。
華女 自由民権運動は大国主義者たちから弾圧されたのよね。
句郎 台湾出兵をした年に自由民運動が始まったということは、歴史の必然なのかもしれない。一貫して侵略戦争に反対する人々がいたということを歴史は教えているといえるのかもしれない。戦争によって国民の生活は豊かにならないと考えていた人々がいたということなんだろうと思う。
華女 一部の人々が豊かになり、大多数の国民が貧困に苦しむということね。