醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  837号  白井一道

2018-09-01 11:50:14 | 随筆・小説


   「冬蜂の死にどころなく歩きけり」  村上鬼城

 日本将棋連盟順位戦C級一組第4回戦、青野照市九段(六五歳)対藤井聡太七段(一六歳)の試合をyou tube で見た。高校一年生の将棋プロ棋士が元A級青野九段とどのような将棋をするのか興味があった。青野九段は将棋入門の著書を何冊も書いている。中でも鷺宮定跡という対振り飛車戦を迎え撃つ定跡の考案者としての名がある。
 プロの将棋指しになれたとしても九段にまでなれる棋士は少ないであろう。九段より上位の段はない。
 また青野九段は前将棋連盟の専務理事のような要職をしたトップ棋士の一人であった。勝負師の世界は厳しい。九段という輝かしい経歴があっても将棋NHK杯選手権などの場合、予選から立ち上がらなければ本戦(テレビ放送)に出場することはできない。ここ何年か、青野九段がNHK杯に出場しているのを見たことがない。将棋観戦を楽しみにしている者にとって青野九段はすでに過去の棋士になっていた。私の将棋観戦にとって久々の青野九段の対戦だということもあって藤井七段とどんな戦いをするのか、興味があった。
 対藤井戦を見ていて、村上鬼城の句「冬蜂の死にどころなく歩きけり」を思い出した。六五歳、九段、輝かしい棋歴を持つ老棋士が高校一年生一六歳の少年に完敗した。
 将棋の解説をしていた現役八段の棋士が将棋はすでに終わっていると、述べていたが、青野九段は指し続ていた。
 将棋の終盤、青野九段は負けを百も承知していた。その証拠に青野九段は欠伸をしていた。「俺も弱くなったものだ」と、自分を自分で笑い、テレを隠すつもりの欠伸だったのかもしれない。無様な姿を曝し続けた。
 老いることは、無様である。無様であることをそのまま、あるがままにさらけ出すことも、勝負の世界に生きた人間の在り方なのかもしれない。六五歳、老勝負師の生臭さが青野九段には漂っていた。
「冬蜂の死にどころなく歩きけり」村上鬼城
 現世への未練はまだまだ捨てきれるものではない。