醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  858号  白井一道

2018-09-22 14:40:21 | 随筆・小説


  芭蕉の追善句「塚も動け我泣声は秋の風」二度目の評釈


句郎 『おくのほそ道』にある句「塚も動け我泣声は秋の風」について鑑賞してみたい。
華女 芭蕉が金沢で詠んだ句として知られているものね。
句郎 そう、曽良の『俳諧書留』に「一笑追善」として載せてある。一笑のお兄さんが追善句会を開き、その発句がこの句だったのかな。
華女 金森敦子の『曽良旅日記を読む』によるとこの追善句会には二八人もの俳人が集まったみたいよ。
句郎 元禄時代の金沢俳壇というのはかなり隆盛していたんだね。
華女 この芭蕉の追善句は一笑を慟哭する句ね。
句郎 そのような解釈が一般に流布しているようだね。「激しい悲しみの情を述べた」と穎原退蔵は角川文庫の『おくのほそ道』で書いている。
華女 生前、芭蕉は一笑に会っていたのかしら。
句郎 一度も芭蕉は一笑とあって話をしたこともなければ手紙のやり取りもしたことはなかったようだよ。
華女 それなのに芭蕉はどうしてこんなにも激しい悲しみの追善句を詠んだのかしら。
句郎 芭蕉は金沢に自分を慕ってくれている俳人がいるという情報を持っていたんじゃないのかな。
華女 芭蕉の追善句というと「なき人の小袖も今や土用干し」、「数ならぬ身とな思いそ玉祭り」、「埋火(うずみび)もきゆやなみ煮る音」が知られているわね。
句郎 とても静かな整えられた気持ちが表現されているね。
華女 ちょっと「塚も動け」の句とは違っているわね。
句郎 山本健吉は次のように鑑賞している。「折から吹いてきた秋風の響きが、さながら自分の慟哭の声かと聞きなされるのである」とね。
華女 穎原退蔵の鑑賞に比べてすこし落ち着いた鑑賞ね。
句郎 「秋風」が持っている意味というと、どんなことかな。
華女 「秋風」には哀しみが籠っているように感じるわ。
句郎 肌に冷たさを感じるのが「秋風」だよね。この冷たさというか、寒くはないがこれからますます寒くなっていくんだという気持ちが哀しみを誘うのかな。
華女 秋風と言うと額田王の歌を思い出すわ。「君待つとわが恋ひをればわが屋戸(やど)のすだれ動かし秋の風吹く」。待つ女の哀しみを秋風として表現しているように私は感じているのよ。
句郎 一笑は芭蕉が金沢に会いに来てくれるのを待ち焦がれていた。その一笑に気持ちに応えることができなかった。申し訳ないという気持ちを詠んだくが「塚も動け」の句なのかもしれない。
華女 この句は「塚も動け」で切れているわよね。だから「我泣く声は秋の風」との取り合わせの句よね。でもこの句を何回か読んでいると「我泣声」と「「秋の風」との間にも半白の切れがあるようにも感じるわ。
句郎 この句は「塚よ動け」ではなく、「塚も動け」になっている。この「も」はもう一つの「も」を連想させている。それは「我泣声も」の「も」だと思う。塚も私の泣く声も一緒に秋の風になって悲しんでほしい。そのような願いを詠んだ句なのかも。