醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  843号  白井一道

2018-09-07 11:56:09 | 随筆・小説


 「病雁(びょうがん)の夜さむに落ちて旅ね哉」芭蕉 元禄三年(1690)


句郎 この句には「堅田にて」という前詞がある。
華女 病雁に芭蕉は自分を見ているのよね。堅田といえば、琵琶湖湖畔の街よね。今じゃ、湖西線沿線にある街よ。昔は葦の茂る農村だったんでしよう。その葦の茂み中に一羽、弱った雁を見つけた芭蕉は句を授かった。そんな風景が瞼に浮かぶわ。
句郎 この句には病んだ芭蕉自身の姿が詠みこまれているということなのかな。
華女 自然の風景の中に思いというか、主観を詠みこんでいるのよ。そのような句だと思うわ。
句郎 病雁を見て思いが湧きあがり、その思いを言葉にしたということかな。
華女 そうなんじゃないのかしら。
句郎 そのような句を情先姿後(じょうせんしご)の句というようだ。
華女 思いを自然風景として表現するということね。
句郎 「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」。芭蕉が元禄三年に詠んだ句のようだ。この句も凄いなと、思っているんだ。
華女 鳴く蝉の声を聴いて蝉の命の短さに思いが湧きあがったということね。
句郎 人間も同じようなものだという思いがあったんだろうな。過ぎ去ってしまえば六十年なんてほんの一瞬だっという思いがあるでしょ。
華女、ほんとにそうね。十七文字で人間の一生が表現されているのよね。
句郎 この句も「情先姿後」の句のようだ。
華女 元禄三年に芭蕉が詠んだに「海士の屋は小海老にまじるいとど哉」という句があるでしょ。この句について高校の頃、古典の時間に教わったような記憶があるのよ。この句は「情先姿後」の句じゃないようなきがするわ。
句郎 芭蕉は漁師の家の軒下で見たことを写生している句のようだ。
華女 早朝の漁師の家の活気のようなものが表現されているわね。人間の生活が表現されているわね。このような句は何ていうのかしら。
句郎 現実の世界を表現することによって人間を表現している。だからこのような句を「姿先情後」というようだ。
華女 句の構造というのかしら。それは「情先姿後」の句と「姿先情後」の句があるということなのかしら。
句郎 『去来抄』の中に「病雁(びょうがん)の夜さむに落ちて旅ね哉」と「あまのやは小海老にまじるいとゞ哉」のどちらの句を俳諧集『猿蓑』に入れるかをめぐって去来と凡兆が話し合ったことが書いてある。 
華女 どちらの句がいいということになったのかしら。
句郎 『去来抄』は次のように書いている。「さるミの撰の時、此内一句入集すべしト也。凡兆曰、病鴈ハさる事なれど、小海老に雑るいとゞハ、句のかけり事あたらしさ、誠に秀逸也 と乞。去來ハ小海老の句ハ珍しといへど、其物を案じたる時ハ、予が口にもいでん。病鴈は格高く趣かすかにして、いかでか爰を案じつけんと論じ、終に兩句ともに乞て入集す。其後先師曰、病鴈を小海老などゝ同じごとくに論じけりと、笑ひ給ひけり。」と
華女 「句のかけり事」とは、どのような意味なのかしら。
句郎 「かけり」とは、「翔り」と書くようだ。優れているという意味のようだ。
華女 それで両方とも良い句だということで話合いがまとまり、両方とも『猿蓑』に入集したということなのね。
句郎 この話を聞いた芭蕉は「病鴈のよさむに落ちて旅ね哉」と「あまのやは小海老にまじるいとゞ哉」とを「同じごとくに論じけりと、笑ひ給ひけり」と書いている。芭蕉がこの二つの句を同等に論じ合ったことを笑った理由は何だったんだと思う。
華女 句の構造というか、句の成り立ちが違う句を同様に扱うことはできないにもかかわらず、同じような観点から評価しようとしたことを笑ったんじゃないのかしら。
句郎 まったくその通りだと思う。病む雁を見て思いが湧きあがった句と漁師の家の軒下で見た景色の句とを同じ地平では論じられないにも関わらず、論じている去来と凡兆、弟子たちはまだ俳諧と言うものが分かっていないんだということに芭蕉は気づき、笑った。