『おくのほそ道』途上詠まれた句「早苗にも我色黒き日数かな」 芭蕉
句郎 この句の前には次のような前詞がある。「みちのくの名所名所、心に思ひこめて、まづ関屋の跡懐かしきままに古道にかかり、い まの白河も越えぬ」
華女 この句は白河の関で詠まれたのね。いつのことだったのか、わかるのかしら。
句郎 『曽良旅日記』旧暦の四月二十一日(新暦六月八日)「 白河ノ古関ノ跡、旗ノ宿ノ下里程下野ノ方、追分ト云所ニ関ノ明神有由」とあるから、今の六月八日に芭蕉は白河の関跡を見物している。
華女 芭蕉と曽良が江戸、深川を立ったのはいつだったのかしら。
句郎 旧暦の三月二十七日に深川を立ち、その日は日光街道の宿場町粕壁(かすかべ)に泊まっている。
華女 新暦でいうといつになるの。
句郎 五月十六日のようだ。
華女 深川を出て、二十一日目に芭蕉は白河の関まで歩いて行ったということね。
句郎 白河まで歩いてきた感慨が「日数」という言葉に表れているのかな。
華女 この句は「日数」と言う言葉に思いが籠っているのね。
句郎 「早苗にも」という上五の言葉がピンとくるものがないんだけどね。
華女 芭蕉にはもう一句、白河で詠んだ句があるわね。「西か東か先(まず)早苗にも風の音」と詠んでいるのよ。「早苗にも風の音」と詠んでいる。だから「早苗にも日数かな」なのよ。
句郎 早苗の植わっている田を見て、早苗が生き生きしている時間と言うものを詠んでいるかな。
華女 「早苗にも風の音」とは、空間を詠んでいるということかしら。
句郎 「早苗にも我色黒き日数かな」と「西か東か先(まず)早苗にも風の音」とは一体の句なのかもしれないな。
華女 この二つの句は白河の関跡で詠んでいるのよ。白河の関跡のある所には早苗田が広がっていた。この時間の経過と空間の広がりのようなものを芭蕉は詠みたかったんじゃないのかしら。
句郎 「秋風や藪も畠も不破の関」は「秋風」が動かない。決まっている。この句に比べると「早苗にも我色黒き日数かな」、「西か東か先(まず)早苗にも風の音」は句としての出来は今一かな。
華女 「早苗にも日数かな」、「早苗にも風の音」という言葉が喚起するイメージが白河の関跡と結びつかないのよ。前詞があって初めて早苗田が広がった白河の関跡を詠んでいるということが分かって初めて納得できるのよ。
句郎 句としてはまだ熟成していないということなのかな。
華女 そうなのかもしれないわ。