『発酵道』寺田/啓佐 著 を読む
冬の芽や 光のめぐみ 玉となる 一道
寺田さんのご著書「発酵道」を読み、このような句ができました。寺田さんは今日も酒造りに忙しい日を送っておられることとお喜び申し上げます。
私は千葉県野田市で「日本酒に親しむ」という日本酒愛好家の集まりをしております。もともとは県立高校の学校開放講座の一つとして私が開講しました。主に造りの勉強と利酒を行いました。その延長です。現在では単なる飲み会になってきていますが、蔵元さんに来ていただいて造りの話なども聞いたりしています。
十四・五年前に「五人娘」を近所の酒販店で買い求め、飲んだところ、きれいで、軽快、切れのよいお酒だなという印象をもちました。それ以来「五人娘」という銘柄は脳裏に焼き付きました。その後、「吟醸酒を飲む会」の人が五・六人で寺田本家さんの蔵見学を行い、蔵の縁の下に炭が敷き詰められていたという見学記を読んだことがあります。「発酵道」を読み進むうち、炭を家の下に敷き詰めた理由を知りました。私が「発酵道」という本を知ったのは、「週刊鉄学」というテレビ番組を通してです。テレビ画面で見た寺田さんは私と同世代の方だと思いました。それでなんとなく近しい印象を受け、手紙を書こうと思い立ったわけです。
私は千葉県立高校を定年退職して三年目です。まだ、再任用ということで、県立高校で働いています。本物のお酒をいただいているお陰で元気にしています。寺田さんのご著書を読ませていただき、酒蔵は学校と同じだと思いました。生徒間の競争を煽るようなことをすれば、学校は腐っていきます。消毒を徹底的に行えば、学校は学校としての生命活動が停滞するように思います。火落ち菌のような生徒が学校には確かにいます。だからそのような生徒の影響が蔓延しないよう、対策を取ります。その最終的な対策は退学処分です。最近はなかなかそのような処分をだすことが難しくなってきていますので、停学と徹底的な事後指導です。そのような生徒の人格や存在を無視するようなことをおこなえば、学校は腐っていくように感じています。酒造りと同じだと思いました。
微生物たちは「自分好き」という項目があります。学校も同じです。一人一人の生徒が自分を好きであるような学校がいい学校だと思います。ところが現実はそうではありません。そんなに欠席が多いと卒業できないよと言っても、何の反応もしない生徒がいるんです。授業中、何もしない生徒がいます。教科書を開かなければ、ノートも取りません。自分で自分を教室の中で無き者にしているんです。ほっといてくれ。そんな感じです。これは生徒の生命活動の活力を教師たちが奪っているからだと思います。消毒のし過ぎだと思います。その結果、一人一人の生徒が教室の中で役割を果たせない状況をうんでいるように感じます。
寺田さんがおっしゃるように微生物たちはそれぞれの役割をもち、役割を果たすとバトンタッチしていく。そのようなことが学校では行われていないのです。一人の教師の力には限界があります。三増酒だけを造っている酒蔵のような学校が多いのです。結果だけを求め、自分の成績を上げることにのみ力をそそぐ管理職や管理職になろうとする職員が増えているのです。こうすることがいいことだと県は考えているのかもしれません。職員同士が管理職目指して競争することが学校を活性化するのだというのです。哀しいことです。こんなことをしていれば、学校が腐っていくに違いありません。
私は寺田さんのご著書からいろいろ学ぶことができました。そう思いまして、「醸楽庵だより」を書き仲間のみんなに配布しました。その結果、寺田本家さんの蔵見学をしようということでまとまりました。
今から十年ほど前、蔵見学と寺田さんの話を聞こうと仲間と話しあいました。その時、仲間に配布したものです。