「月ぞしるべこなたへいらせ旅の宿」 芭蕉21歳 寛文2年(西暦1667年)
句郎 「月ぞしるべこなたへいらせ旅の宿」という芭蕉二一歳の時の句が知られている。西暦一六六四年の作。私はこの句を読み、芭蕉は若かったころから旅への憧れがあったのかと想像した。この句は全くの想像しただけの句ではないかと思う。
華女 芭蕉には旅の経験がまだなかったのかしら。
句郎 江東区芭蕉記念館が出している芭蕉年譜によると寛文2年、芭蕉19歳前後に藤堂藩伊賀付侍大将藤堂新七郎良精(よしきよ)の嫡子良忠に武家奉公人として芭蕉は仕
えている。芭蕉が仕えた藤堂良忠が蝉吟(せんぎん)という俳号を持つ俳人だった。二歳年上の主君蝉吟から芭蕉は俳諧の手ほどきを受けた。
華女 耳学問でいろいろ俳諧についての知識を得たということね。
句郎 芭蕉の主君蝉吟の師が京の北村季吟だった。蝉吟の句を携え芭蕉は伊賀上野から京の季吟の下へ向かったことが度々あったと考えている。伊賀上野から京までは案外近い。強行軍をすれば、日帰りできる距離のようだ。
華女 伊賀上野というのは三重県よね。そんなに近かったかしら。
句郎 山一つ越えると京都のようだよ。芭蕉は京へ行った帰り道月明かりを道標として伊賀上野への道を急いだんじゃないのかな。
華女 「月ぞしるべ」とは、月明かりが道標だったということね。
句郎 街道筋の旅籠の女将から「お宿いかがです」というような言葉をかけられている風景を若かった芭蕉は見た経験があったのかもしれない。
華女 芭蕉自身も呼び込みの言葉をかけられた経験があるんじゃないのかしら。
句郎 身なり、出で立ちを見をみられて芭蕉はどうだったのかと思うとなかったように思っているんだけど。
華女 そんな旅籠への呼び込みを受けてみたいなぁーという気持ちを詠んだ句だということなの。
句郎 旅籠への呼び込みを見て、薄暗くなっていく心細さのような気持ちをどのように表現すべきか、混沌とした心の中を整理することなしには、表現できないことに芭蕉は気が付いたのではないかと思う。
華女 人間の気持ちというのは整理するとなしには自分の気持ちを表現することはできないわね。
句郎 整理され、秩序立てられた言葉を芭蕉は謡曲の台詞に発見した。
華女 当時、謡曲というのが流行していたのね。
句郎 下級武士たちの慰みとして楽しむことができた。芭蕉も武家奉公人として謡曲に接する機会があったんじゃないかと思っているんだ。
華女 どんなものに題材をとった謡曲があるのかしら。
句郎 一つは源平合戦を題材にしたものとかが流行っていたんじゃないのかな。だから芭蕉は義経や木曽義仲が好きになった。そんな謡曲の一つに義経の幼少期牛若丸を表現した謡曲『鞍馬天狗』がある。その中の一節に「奥は鞍馬の山道の、花ぞしるべなる。此方へ入らせ給へや」がある。この言葉を借用して「月ぞしるべこなたへいらせ旅の宿」と詠んだ。
華女 芭蕉は謡曲の台詞を使って句を詠んだのね。