「乾鮭も空也の痩も寒の中」芭蕉 元禄三年(1690)
句郎 この句には、「都に旅寝して、鉢叩きのあはれ なる勤めを夜毎に聞き侍りて」という前詞がついている。
華女 「空也」とは、お坊さんの名前でいいの。
句郎 そう。空也僧は、11月13日の空也忌から48日間寒中修業に入る。その修業中には毎夜未明に腰に瓢箪を巻きつけて念仏を唱え、鉢を叩き、和讃を唱えつつ踊りながら街中を巡り歩いた。空也僧は念仏宗の在家の信者たちのことようだ。
華女 思い出したわ。京都のどこの寺だったかしら。胸に金鼓を、右手に撞木を、左手に鹿の杖をつき、膝をあらわに草鞋をはき、念仏を唱える口から六体の阿弥陀が現れたという伝承のままに写生した彫刻よね。確か空也像だったように思うわ。鎌倉時代の仏様だったように記憶しているわ。
句郎 六波羅蜜寺なんじゃないの。じっと見ていると気持ち悪くなるような仏さんかな。目が虚ろなんだよね。
華女 飢えと寒さに震える当時の民衆の虚ろな目なのかもしれないわね。
句郎 救いを求める民衆の願いの強さのようなものが表現されているのかもしれない。
華女 痩せこけた体をしていたわね。
句郎 芭蕉は夜の冬の京都、身に染み入る寒さの中で鉢叩きの音を聞いている。その音が乾鮭と痩せた在家の空也僧をイメージしたんだろうと思う。
華女 から鮭の「か」、空也の「く」、「寒の中」の「か」が引き締まった感じを与えているのよね。
句郎 この句、「乾鮭も」で切れているよね。更に「空也野痩せも」でも切れていない。そうじゃない。
華女、この句、三句切れの句ね。私たちがこのような三句切れの句を詠んだら怒られてしまうわ。
句郎 名人に定跡なしと言う言葉があるから、芭蕉は許されるということがあるのかもしれない。三句切れの句であるにもかかわらず、芭蕉作品の中の傑作の一句だという人が少なからずいるようだからね。
華女 自立した無関係な言葉「乾鮭」と「「空也の痩せ」、「寒の中」を並べるとこの三つの言葉が響き合って新たな世界が読者の心に立ち上がってくるのよね。
句郎 その通りだ。そこに芭蕉の芸があるのかもしれない。芭蕉は言葉の魔術師なのかもしれない。
華女 芭蕉の心には寒風が吹いていたのかもしれないわ。
句郎 芭蕉のこの句を読むと凍てついた寒風に背筋を伸ばして立つ姿が瞼に浮かぶような気がする。
華女 何か無機質な音の響きかしら。
句郎 無機質な音の響きがあるように感じるよね。山口誓子の句に「ピストルがプールの硬き面(も)にひびき」という句があるじゃない。何か、この句には芭蕉の句に通じるものがあるように感じる。
華女 「ピストルが」の「が」、このような「が」が上五にある句を初めて知ったような気がするわ。
句郎 誓子のほかにもあるかもしれないけれど、上五の「が」は少ないように感じるな。
華女 そうよね。この句にある音は無機質な音の響きね。
句郎 俳句は「写生構成」だと誓子は言っていたようだ。
華女 芭蕉の句「乾鮭も空也の痩せも寒の中」はまさに誓子の言う「写生構成」の句ね。
句郎 いや芭蕉の句が山口誓子の句に強い影響を与えていたということなんじゃないかと思う。
華女 そりゃそうね。芭蕉は今から三百年も前の人ですものね。
句郎 『おくのほそ道』に載せてある「荒海や佐渡に横たふ天の河」や「五月雨をあつめて早し最上川」、「暑き日を海に入れたり最上川」、「石山のより白し秋の風」という句を「姿先情後」の句だと堀切実は『現代俳句に生きる芭蕉』の中で述べている。この「姿先情後」という俳句の在り方は山口誓子の「写生構成」と同じだということを述べている。
華女 「ホトトギス」から分かれた「人間探求派」と同じように「ホトトギス4S」と言われた俳人の一人山口誓子にも芭蕉の句の精神のようなものが生きているということなのね。
句郎 芭蕉を批判したと言われている正岡子規も高浜虚子もまた芭蕉の句の影響を受けていたようだ。