「牛部屋に蚊の声暗き残暑哉」芭蕉 元禄四年(1691)
句郎 農家の牛部屋の残暑の実在感が実に見事に表現されていると思う。
華女 子供の頃を思い出すわ。季節は九月頃ね。
句郎 蒸し暑さと牛の鳴き声がなんとも耐え難い。この気持ちが分かるということかな。
華女 そうよ。「蚊の声暗き」が凄いと思うわ。
句郎 牛部屋の暗さがまた耐え難い。蚊の声がイライラさせる。が、どうにもならない。
華女 この句は「残暑」というものを的確に表現しているわね。
句郎 蛇笏の詠んだ残暑の句「口紅の玉虫いろに残暑かな」。この句の残暑には人間が表現されていると思う。
華女 女の残暑ね。私には抵抗感があるわ。実際、そうであってもこのリアル感が嫌なのよ。
句郎 残暑とは、誰もが嫌だと感じることなんじゃないのかな。
華女 俳句とは現実をしっかりと受け入れるということなのね。
句郎 現実を知るということなのかな。
華女 現実と向き合うということはある面、厳しいことなのね。
句郎 久保田万太郎の句「牛堀でうなぎくひたる残暑かな」。この句はどうかな。
華女 「牛堀」とは、地名よね。どこにあるのかしら。
句郎 この句を読んだとき、ゴミゴミとした東京の下町のうなぎ屋を想像したんだ。しかし調べてみると登記用の下町ではなく、茨城県潮来にあるウナギの名店で詠んだようだ。
華女 なんか、うなぎ屋というとゴミゴミした雰囲気があるんじゃないのかしら。
句郎 昔の田舎町のうなぎ屋でウナギを食べたからこの句は句になったということなのかな。
華女、ゴミゴミした場所でなくては残暑の表現はできないのかもよ。
句郎 「牛堀」という地名自身にゴミゴミしたイメージが付きまとっているようにも感じるな。実際はそうでなくてもね。
華女 芭蕉の句の牛部屋にも暑苦しく暗いゴミゴミしたイメージがあるわ。
句郎 またウナギとはそのような部屋で食べてこそ美味しいものなのかもしれないな。
華女 万太郎はなかなかの食通だったんでしょ。
句郎 またこんな句を発見したよ。阿波野青畝の句だ。「朝夕がどかとよろしき残暑かな」。「どかと」という言葉が効いているよね。
華女 芭蕉の句「あかあかと日はつれなくも秋の風」と同じような世界を表現した句ね。
句郎 残暑にもいろいろな面があるということをいろいろな俳句を詠んで知ったように思う。
華女 俳句とはいろいろな季語についての認識を深めることでもあるのね。
句郎 そうなんだと思う。残暑にもこんな面があるよという発見があった時に句が生れるのかもね。
華女 芭蕉の句、「牛部屋に蚊の声暗き残暑哉」を初めとして少し「残暑」というものについての認識を深めることができたように思うわ。