秋近き心のよりや四畳半 芭蕉 元禄7年
句郎 此のところ急に寒くなってきたね。
華女 涼しくなってきたわ。それでも午後になるとクーラーがいるわ。
句郎 芭蕉の名句の一つに「秋近き心のよりや四畳半」という句があるでしょ。この句について、華女さんはどう思う?
華女 今頃の季節を詠んでいるのかしらね。
句郎 秋の寂しさのようなものが近寄って切る心情のようなものを詠んでいるのかなと思っているんだけどね。
華女 私もそう思うわ。人恋しいという気持ちよね。
句郎 独り者にとって秋から冬にかけてはなんとなく厳しいような気持ちがするんじゃないのかな。
華女 そうなんでしょ。女には年頃というのが昔はあったのよ。適齢期というのがね。嫌だったわ。何となく寂しくなくちゃいけないような雰囲気がまわりにあったのよね。
句郎 自分としては全然寂しくないのに。
華女 そうなのよ。私自身は寂しくないのにね。何となく一人でいるのを同情されるような目つきが周りにあったような気がするわ。
句郎 「四畳半」という言葉にはいろいろな思いが籠っているように思うな。
華女 そうよね。私の母が詠んだ句に「石蕗(つわぶき)や終(つい)の棲家は四畳半」という句があるのよ。兄夫婦と一緒に母が住むようになった時、母に当てがわれた部屋が二階の東南の角部屋、六畳間だったんだけど、母の話によると熱風が窓から入ってきたと言っていたわ。夏は一日中、クーラーを入れていなければ、いられないとこぼしていたわね。
句郎 お母さんの不満に思う気持ちが「四畳半」という言葉に籠められているということかな。
華女 そうなのかもしれないわ。母が亡くなったときね。兄に母は生前こんな句を詠んでいたのをよと、教えたのよね。そしたら突然兄は怒りだしたのよ。俺はできるだけのことをしたんだ。一度だって母が困るようなことをしたことはないぞと、言うのよ。
句郎 「四畳半」という言葉にお兄さんはカチンときたのかな。
華女 でも「四畳半」と言う言葉には親しい者が集まって心温まるような温もりがあるわね。
句郎 昔、朝、晩の御飯を食べる部屋は四畳半だったかな。家族の温もりがあったような気がするよ。
華女 芭蕉も四畳半の部屋に俳諧の仲間が集まり、歌仙を巻いたのかしら。
句郎 そうだと思う。そま歌仙の発句が「秋近き心のよりや四畳半」だった。
華女 心を寄り添い合った俳諧の会だったということなのよね。とても上手に詠んでいるわね。簡単そうに思うけれども、いざ自分も詠んでみようとすると全然詠めないのよね。
句郎 この句を芭蕉は元禄七年、五十一歳の時に詠んでいる。この年の旧暦十月に芭蕉は亡くなった。最晩年の名句の一つのようだ。
華女 この俳諧の会はどこで催されたのかしら。
句郎 この句の前詞に「元禄七年六月二十一日、大津木節庵にて」とあるから、近江の大津にある木節邸に芭蕉と維然、支考が集まり歌仙を巻いたんだろうな。
華女 芭蕉には日本国中に俳諧の仲間がいたのね。