醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  859号  白井一道

2018-09-23 12:07:03 | 随筆・小説


  「春は曙そろそろ帰ってくれないか」櫂未知子
  

句郎 櫂未知子の句「春は曙そろそろ帰ってくれないか」。華女さんはどう思う。
華女 「春は曙」、清少納言『枕草子』冒頭の言葉ね。古歌に詠われた後朝の別れを櫂未知子の句の「春は曙」は読者に想像させるわね。
句郎 後朝の別れを詠んだ歌と言うとどのような歌があるのかな。
華女 有名な歌と言うと百人一首の中の歌になるんじゃないのかしら。
句郎 どんな歌なの。
華女 権中納言敦忠が詠んだ歌よ。「逢ひ見ての後の心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり」。男の人が詠んだ歌よ。
句郎 どんなことを詠んでいるの。
華女 「逢ふ」という言葉が意味することが分からなければ、この歌の意味を理解することができないわ。「逢ふ」ということは、男女が契りを結ぶということなのよ。
句郎 当時は妻問婚だったからなのかな。
華女 そうなのかもしれないわ。今のように婚姻関係が法的にも慣習的にも定着していなかったし、圧倒的に男女間の差別は
大きかったから男が女のところに通わなくなったら婚姻関係は無くなったも同然だったのよ。
句郎 貴族の男にとっては不倫のし放題ということだったんだ。
華女 「原始女性は太陽だった」と平塚らいちょうが述べた有名な言葉があるじゃない。でもあの言葉は嘘よ。男女差別の歴史は農耕、遊牧の始まりから延々続いてきていることなのよ。
句郎 生活力旺盛な男は絶えず一夫多妻であったということなのかな。
華女 そうなんじゃないのかしらね。だから男も可哀そうなものなのよ。強い男はいいけれど、弱い男は女にありつけなかったのよ。男女平等はとてもいいことなのよ。男にとっても女にとっても平等に男は女を娶ることができるし、女も男を得ることができるのよ。
句郎 ロマンのない話だな。
華女 ロマンなど女と男の間にはありゃしないわ。「逢ひ見ての後の心に」というのは女は強かなのよ。男をやっと受け入れてやったということよ。男は喜び、有頂天になったということなんじゃないの。
句郎 受け入れてもらえなかった頃の苦しみなど物の数にも入らないものに思えるということでいいのかな。
華女 そうなんじゃないの。男は女への強い欲求があるでしょ。その欲求が男の弱みなのよ。男の女への強い欲求が満たされない苦しさと欲求が満たされた時の喜びが歌になったということだと思うわ。
句郎 後朝の情というのは、朝、男は女といつまでも寝ていたい気持ちを絶ちがたいということかな。
華女 そうなのよ。でも女は昔も今も現実主義者なのよ。いつまでもだらだらと男が家にいてもらっては胡散臭くてたまらないのよ。
句郎 同衾の喜びというものは女にもあるんじゃないの。
華女 そうね。男によるわ。自分さえイッテしまえばいいというもんじゃないでしよ。男にはそんな男が多いのよ。
句郎 だから櫂未知子の句「春は曙そろそろ帰ってくれないか」という句に現実味が出てくるということなのかもしれないな。