遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『日本人はなぜ狐を信仰するのか』  松村 潔  講談社現代新書

2014-11-21 22:28:22 | レビュー
 ある大学の社会人向け講座の一つとして、稲荷信仰と伏見稲荷大社の講義を聴き少し学習した。京都生まれで学生時代から幾度も伏見稲荷大社や稲荷山は訪れている。京都東山トレイルの南端の起点にもなるので、通過点としても稲荷山の四の辻を経由していた。
 受講中・事後の学習から稲荷信仰に改めて関心を深め、民俗学的視点からの研究や『伏見稲荷大社御鎮座千三百年史』(監修・上田正昭、伏見稲荷大社発行)なども読んで見た。その中で知ったのがこの新書本である。
 表紙裏の著者略歴によると、著者は西欧神秘哲学研究家だそうである。著者についてはこの本を読んだだけであり、その研究や活動については不案内である。従って、稲荷信仰や狐について、既読書やネット情報の延長線上で本書を読んだ印象論にすぎないことは、お断りしておく。

 読了しての第一印象は、ユニークでおもしろい観点からのアプローチだなということと、そこまで切り込むこともできるのか・・・という思い。だけど釈然としない部分も残る。その一方で、日本神話とギリシャ神話(オルフェウスの物語)、ハワイの古典的な密教・フナ教、ユダヤ主義の中の口伝体系カバラ、エジプト神話-その中でも特にアヌビスーなどの異体系との共通点を見出し、そこに「狐」の意味づけを試みている著者の立論は、発想を広げていく上では興味深い。これらの神話学、神秘思想分野は門外漢なので、著者の言及をそういう視点もあるのかという理解に留まるのだが・・・・。刺激的な本となっているのは間違いない。日本文化における精神的側面での「狐」の存在を改めて考えてみるのには、こんな異質な切り口も有益である。「狐」に騙されたことになるかどうか、まず読んでみて考えるのはいかがか。

 私の印象では著者は「3:創造の三つ組」という観点を重視している。1・2・3、天地人、上中下など3という数には能動・受動・結果という三つのプロセスで進行するロジックで考えていく古来の思想が底流にあると捕らえる。そして、それはイスラムの古代哲学スーフィズムで使われるシンボルのセットやユダヤの神秘思想カバラの体系に共通点を見出し論じていく。父(1)と母(2)の間に子(3)が生まれるという、能動・受動・結果が連鎖していく形を「1・3・2」という「三つ組の等級連鎖」だとし、カバラでは「ヤコブの梯子」とか「ゴールデン・スレッド」などと呼ぶものに共通するそうである。
 著者は伏見稲荷大社の根源となる稲荷山における上社・中社・下社をこの創造の三つ組で論じている。一般的に稲荷大明神と総称されるが、現在の伏見稲荷大社はホームページをご覧いただければお解りになると思うが、その祭神は五座となっている。大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ:上社)、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ:下社)、佐田彦大神(さたひこおおかみ:中社)、田中大神(田中社;下社摂社)、四大神(しのおおかみ:中社摂社)である。勿論前掲書『千三百年史』の祭神の史的変遷における説明の結果とその対応関係が整合している。
 勿論史料には稲荷大社の上社・中社・下社と神々の対応記述に異動があるのは事実である。著者は引用という形でその対照表をp56に載せている。その上で「二十二社註式」という書の「猿田彦命(上社)、倉稲魂命(中社)、大宮女宮命(下社)」という記載を論拠として、創造の三つ組の観点での具体的説明を展開していく。日本神話の神々には数多くの別称があるので、「宇迦之御魂大神=倉稲魂命」「佐田彦大神=猿田彦命」「大宮能売大神=大宮女宮命」という対応になるのは通説である。そうすると、上社・中社・下社と該当神が変化してくるのである。
 天地人、上中下、能動・受動・結果という関係性から論じていく上では、「二十二社註式」での神の対照関係が一番説明しやすいということからなのかもしれない。しかし、一般的認識からすると、この点は少し釈然としない印象が残ってしまう。とはいうものの、三つ組の解釈はおもしろい。

 本書の目次構成をご紹介しておこう。
  第1章 日本の狐とは何か
  第2章 神道系稲荷 伏見稲荷の構造
  第3章 土地神様としての稲荷
  第4章 仏教系稲荷 ダキニを祀る理由
  第5章 狐の役割
  第6章 稲荷縁起の謎
この構成を見てお解りのように、稲荷信仰について一般的な整理である「原始宗教系、神道系、仏教系」という稲荷信仰三分類を踏まえて、それぞれの稲荷信仰における「狐」について、民俗学等の研究を踏まえた説明を併用しながら、著者の見解が付加展開されていく。その部分が知的刺激となる。「この三つの系列はそれぞれが単独で発達してきたものではないので、それぞれをまったく別個に考えると意味を見失う。とくに江戸時代までは寺と神社は区別がつかなかった」という基盤を押さえた上での著者の論点展開である。

 本書では、鳥居の意味、朱の発見とその意味、秦氏及び秦氏と稲荷の関係、巫女の役割、お塚とお代さん、管狐とこっくりさんと霊狐、ダキニ天の乗り物の変遷、稲荷縁起の餅の意味などにも言及されていき興味深い。

 著者自身が本書の要約を第6章の末尾近くで記している。長くなるが最後にご紹介しておこう。この要約が各章でどのように展開されているか、その論理展開を本書で楽しみながら考えていただくと良いのではないだろうか。この要約を読んでから本書を読み始める方がわかりやすいという印象を私は最後に感じた次第である。

 一言で言うならば稲荷狐とは「異界との接点」ということになる、と著者は言う。穀霊としての生産性というのは、異なる領域から私たちの領域に力が持ち込まれることで創造を果たすのだから、これもまた異界との接点ということであると述べている。つまり、日本の稲荷狐=人とそうでないものとをつなぐ門の機能を果たし、かなり多層的な性質を持っているとする。

 著者自身が本書の展開について要約した文を以下に記す。(p231~233より転記)

1 狐は自然界=母の国への導きである。安倍晴明の母、葛の葉狐の伝承。
2 狐は死の領域への道案内である。中沢新一によると、稲荷のあるところ、たいてい墓所でもあった。
3 神道系では、穀物神であり、富みをもたらす。秦氏の展開した商売の繁栄においての守り神である。
4 宝珠をくわえた霊狐は、修行者へ知恵をもたらす。
5 稲荷神社に祀られたサルタヒコの関連で、異なる領域のものを持ち込む越境の神。わたりをつける。
6 巫女と一体化して、妖術や呪術、性的な神儀に関与する。
7 通常の女性的なアイドルのような扱いも受けている。
8 原始宗教的稲荷においては、土地の力ゲニウス・ロキあるいは土地神のブースターとして活用され、たいていこれは万能な役割を与えられている。
9 狐憑きは、神様との仲介者として、預言をする。
10 管狐は、人を惑わすが、また物質的な御利益をもたらす。
11 仏教系稲荷では、女性力としてのシャクティが昇華され、女神として働くダキニの力を運んでくる。
12 カバラの図式で推理すると、生命力のリミッターをはずして、強力な推進力や達成力を与える。
13 エジプトのアヌビスと共通している記す根は、死後の世界への導きとなる。
14 精神と物質の間を接続する。狐あるいはアヌビスは、思いを形にし、また形に縛られた心を解放する方向の橋渡しをする。
15 玉藻前の伝説のように、この精神と物質の行き来が行き過ぎると、欲望にとらわれ、悪念に幽閉される。しかし極端に行けば行くほど、逆転もおきやすい。
16 狐とアヌビス、ガブリエルという関連では、過去に忘れた罪なども思い出させる。因果を明確にする。
17 秦氏の稲荷縁起から考えると、自分を世界に結びつけ、その環境で生きる道を作る。
18 猿女やエジプトのアヌビスの神官たちの関連で、魔除けなどにも関わる。衣服ということに、大きな関わりがある。

ご一読ありがとうございます。

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本書に関係する語句で関心を抱いたものをネット検索してみた。一覧にしておきたい。

伏見稲荷大社 ホームページ 
  ご祭神 
オルフェウス → オルペウス  :ウィキペディア
オルペウス教  :ウィキペディア
フナの教えについて  :「Aloha Spirit」



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