北欧のミステリーを読むのは初めてである。翻訳本のタイトル「贖い主」と副題の「顔なき暗殺者」になぜか惹かれて読む事にした。
英語版の原題は、調べて見ると「The Redeemer」である。辞書を引くと、 「買戻し人、質受け人、見受け人;[The Redeemer]あがない主{(Jesus)のこと」(リーダーズ英和辞典・研究社)と説明されている。英語版のタイトルで考えると、翻訳版の「贖い主」というタイトルは一旦すっきりと繋がる。文庫本の表紙には、日本語訳タイトルの上部に著者名と「REDEEMER」と記されているだけである。これはカバーデザイン的に扱われただけなのか、なにがしか意図を含めていたのか。
本書を読み終えてから、英語版の原題を知り、私は少し気になっている。なぜか? それはこのタイトルがなぜ名付けられたのか、という関心だ。
動詞は「redeem」である。「1.<名誉などを><努力して>取り返す、回復する;改良する、改善する;<債務などを>償還[償却]する、<紙幣などを>回収する、兌換する;現金[景品]と引き換える。2.買い戻す、買い受ける、身受けする;助ける、救い出す;解放する、放免する;免責する;[神学]<神・キリストが>犠牲になることによって救う、あがなう。3.<欠点などを>補う、償う;値打ちのあるものにする、正当化する。4.<約束・義務を>履行する。5.埋め立てる」(同上)とそこには、幅の広い意味が含まれている。
別の辞書を引くと、redeemer について、「redeemする人、(殊に)救世主」(熟語本位英和中辞典・岩波書店)と説明され、救世主はキリストのことと注記がある。
定冠詞 the がなければ、「redeemする」人という語義に戻る。するとその動詞の意味合いが広がっていく。このミステリーでは、タイトルの付け方自体に興味深さがあるように思う。この点についても、本書を読んで考えてみていただきたいと思う。
ストーリーの冒頭は、1991年8月にエストゴールで行われた救世軍の夏のキャンプで、「彼女」が14歳のときの話から始まる。そこに登場するのは、ヨーンとロベルトの兄弟、リカール・ニルセン、マッツ・ギルストップである。このキャンプで「彼女」は深夜に暴行された。「彼女」と暴行した男が誰のことかはわからないまま、この過去の事実がこのストーリーの伏線になる。
このストーリーの現在は、2003年12月[14日(日曜日)から始まり、事件が結末を迎えるのは12月22日(月曜日)で、エピローグはクリスマスイヴの前日で終わる。
12月14日の冒頭の描写は、再読して初めて明確に解ったのだが、パリでの仕事をこの日の夜に終え、オスロでの仕事に向かう予定の暗殺者の登場から始まる。続いて、オスロに場面が転じられて、ハリー・ホーレ警部、救世軍のヨーン・カールセン大尉、テア・ニルセンのこの日の行動が描かれて行く。ハリー警部は、この日コンテナ・ターミナルでの事件を追っていて、コンテナ・ターミナルで番犬に噛まれる羽目になる。
12月15日、ハリーが事件の被害者の父親に会いに行った折りに、次のような会話が出てくる。”「・・・・打つことをやめない心臓を止めてくれるだれかを待っていたんですよ。あ・・・・、あ・・・・」「贖い主ですか」「そうです、それです。贖い主です。」「しかし、それはあなたの仕事ではないでしょう、ヘル・ホルメン」「ええ、神の仕事です」ホルメンがうなだれて何かをつぶやいた。「なんですか?」ハリーは訊いた。(略)「しかし、神が自分の仕事をなさらなかったら、だれかが代わりにやらなくてはならないんです」”「贖い主」という言葉は、こんな文脈でまず出てくる。
この日、彼(=暗殺者)がオスロに現れる。彼の行動の描写の中で、彼自身の過去が回想の形で語られて行く。暗殺者の姿が少しずつ読者に見えて来る。
12月16日、救世軍のダーヴィド・エーホフ司令官、娘のマルティーネ、リカール、グンナル・ハーゲン、ラグニルの行動が描写されることで、このストーリーの関係者が増えていく。そうして、数百人の人々が集まる救世軍による街頭コンサートの最中に、救世軍のメンバーが頭を撃たれて殺される。被害者はロベルト・カールセンでヨーンの弟だった。ここから事件が始まっていく。殺人事件の発生までが、第一部「出現」である。
この著者のスタイルなのかも知れないが、ストーリーは登場人物のそれぞれの周辺部を少しずつ分散的に描き加える形で裾野がまず広がる。登場人物の関係性がわかりづらいままに、ロベルトが殺害されるという事件が出現する。息の長い登場人物群の散在的描写は読者を戸惑わせる。読者を渾沌状態に置くことに著者の意図があるのかもしれないが。著者は読者をどこに引っ張って行こうとしているのかが常に気になる描き方である。こんなスタイルが徹底している長編ミステリーを読むのは初体験である。導入部が長すぎる印象を抱いた。
このミステリーは五部構成になっている。第一部が「出現」。まさに「彼」と表記される暗殺者が出現し、救世軍兵士ロベルト・カールセンが街頭コンサートの最中に射殺される事件が出現する。第二部は本書のタイトルである「贖い主」がそのまま表題となっている。そして、第三部「磔」、第四部「慈悲」とつづく。第五部は「エピローグ」である。
出現-贖い主-磔-慈悲というつながりをみると、あたかもキリストを連想させるかのようなネーミングである。まともや、この意図は何かと思ってしまう。
この第二部「贖い主」からがおもしろい展開になっていく。なぜか? 群集が集まる街頭コンサートの中での暗殺は意図も簡単に、彼の当初の計画通りに終わった。予定通りならその足で、空港から出国できるはずだった。だが、気象条件悪化を理由に空港は閉鎖され、飛行機の出発は明朝午前10時40分に変更されたのだ。このことで、暗殺者の想定が齟齬を来していく。オスロに留まらざるを得なくなる。だが、そのことでこの事件の報道内容を暗殺者は知ることになる。被害者ロベルトは別人だったのである。暗殺者に指示が出ていたのは、ヨーン・カールセンの方だったのだ。つまり、暗殺者の仕事はご破算になったことになる。暗殺者は、指示されていた対象者ヨーンの所在を確かめて、暗殺するという約束(目標)を履行しなければならない状況に追い込まれていく。
ハリー警部という人物を熟知していたビャルネ・メッツレルが異動し、オスロ警察の新刑事部長となったグンナル・ハーゲンは、ロベルトが殺されたこの事件をハリーに責任者となって捜査するように命じる。ハーゲンはハリーの日頃の素行を快く思っていない。ハリーに瑕疵があれば処分したいと考えているところがある。そんな背景の中で、ハルヴォルセン刑事とペアを組みながら、他の刑事たちにも指示を与えつつ、この事件の捜査に乗り出す。
このミステリーがおもしろくなるのは、ここから2つの筋がパラレルに進行していくからである。
一つは、暗殺者が暗殺という約束を履行するために、ヨーンの所在をどのように発見し、再度暗殺をどのように計画し、実行し、オスロから退去しようとするかという側面の展開である。
ここでは、暗殺者にとっていくつかの制約が加わってくる。現地のノルウェー語が分からない外国人であること。足のつきやすいクレジットカードは使えない。現金の所持は少ない。冬のオスロで約束履行のための時間(期間)を警察の目に触れずにどのようにサバイバルするか。さて、暗殺者はどうするだろう・・・・・である。
この暗殺者の過去が徐々に明らかになっていく。そこにはクロアチア紛争の状況が織り込まれていた。その紛争の最中で「小さな贖い主」と呼ばれ、恐れ敬われる兵士となった男がいた。このミステリーでは、「贖い主」という言葉の意味が何重にも重ねられているようである。
今一つは、ハロー警部がこのロベルト殺害事件の真相解明にどういうアプローチをとっていくのか。捜査活動の展開がどうなるのかへの興味である。
ここでいくつかの視点が出てくる。街頭コンサートの渦中で発生した射殺事件の犯人像の特定がどのようにできるのか。ロベルトは偶発的に殺害されたのであり、殺害対象は別人であるという事実をどの時点で、如何に認識でき、捜査活動の筋読みが転換できるか。依頼殺人としてのプロによる暗殺事件という筋読みがどこでどのようにできるか。暗殺者の特定がどのようにできるか。一方で、暗殺を依頼した人間の存在に気づき、その人間をどのようにして絞り込むことができるのか。併せて、暗殺を依頼した人間の狙いは何だったのかの解明である。社会的な慈善事業活動を展開する救世軍の関係者が暗殺対象にされた背景にどんな意図が潜んでいるのか。
そして、この2つの筋が交わっていく。
ハリーは、暗殺者の居場所を特定していく。だが、ハリーが現場に行くまでに、暗殺者は、ハーゲン刑事部長の指揮下での捕獲作戦が実行されて射殺される。殺人事件の犯人が発見され死んだと報道されるのだが、暗殺者は現存するということが明らかになる。暗殺者は復活した。なぜか? ストーリーの各所に組み込まれていた伏線の先で、そんな展開も組み込まれている。
そして、ハリーの指示を受けて、暗殺者を追い詰めているはずのハルヴォルセン刑事が瀕死の重傷を負うという事態が発生する。ハルヴォルセン刑事はそれが原因でなくなってしまう。だが、そこにハリーはある真相を発見していく。
さらに、ハリー警部自身が、ベアーテ・レンオスロ警察鑑識課長から、「わたしたちは警察官なんですよ。ハリー。わたしたちの仕事は法と秩序を守ることであって--裁くことではないんです。そして、あなたはわたしのろくでもない贖い主ではないんです--わかってますか?」と、「贖い主」という言葉をぶつけられる場面すら描かれている。
この顔なき暗殺者を利用した事件の真相は、全く意外な結末となる。
ハリー警部は、刑事部長を退任するメッツレルから時計を一つ贈られた。この時計の刻む音に関わるハリーの反応が、所々で点描されていく。そして、それらの点描が伏線となっていて、エピローグでは、この時計の持つ意味が最後に明らかになる。
このミステリーでは、「贖い主」と「贖罪」という言葉がキーワードとしてストーリーの基盤になっている。
ご一読ありがとうございます。
本書を読み関心の湧いた事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
救世軍 :「コトバンク」
THE SALVATION ARMY INTERNATIONAL homepage
救世軍 The Salvation Army Japan ホームページ
オスロ :ウィキペディア
贖い :ウィキペディア
贖い主 聖句ガイド :「末日聖徒教会」
贖い主キリスト
第5日目 御子の血による贖い :「牧師の書斎」
贖罪 :「コトバンク」
クロアチア紛争 :ウィキペディア
美しさと紛争の傷跡の地、クロアチア :「SWI swissinfo.ch」
クロアチア人とセルビア人の対立はなぜ起こったのか? :「灼熱」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
英語版の原題は、調べて見ると「The Redeemer」である。辞書を引くと、 「買戻し人、質受け人、見受け人;[The Redeemer]あがない主{(Jesus)のこと」(リーダーズ英和辞典・研究社)と説明されている。英語版のタイトルで考えると、翻訳版の「贖い主」というタイトルは一旦すっきりと繋がる。文庫本の表紙には、日本語訳タイトルの上部に著者名と「REDEEMER」と記されているだけである。これはカバーデザイン的に扱われただけなのか、なにがしか意図を含めていたのか。
本書を読み終えてから、英語版の原題を知り、私は少し気になっている。なぜか? それはこのタイトルがなぜ名付けられたのか、という関心だ。
動詞は「redeem」である。「1.<名誉などを><努力して>取り返す、回復する;改良する、改善する;<債務などを>償還[償却]する、<紙幣などを>回収する、兌換する;現金[景品]と引き換える。2.買い戻す、買い受ける、身受けする;助ける、救い出す;解放する、放免する;免責する;[神学]<神・キリストが>犠牲になることによって救う、あがなう。3.<欠点などを>補う、償う;値打ちのあるものにする、正当化する。4.<約束・義務を>履行する。5.埋め立てる」(同上)とそこには、幅の広い意味が含まれている。
別の辞書を引くと、redeemer について、「redeemする人、(殊に)救世主」(熟語本位英和中辞典・岩波書店)と説明され、救世主はキリストのことと注記がある。
定冠詞 the がなければ、「redeemする」人という語義に戻る。するとその動詞の意味合いが広がっていく。このミステリーでは、タイトルの付け方自体に興味深さがあるように思う。この点についても、本書を読んで考えてみていただきたいと思う。
ストーリーの冒頭は、1991年8月にエストゴールで行われた救世軍の夏のキャンプで、「彼女」が14歳のときの話から始まる。そこに登場するのは、ヨーンとロベルトの兄弟、リカール・ニルセン、マッツ・ギルストップである。このキャンプで「彼女」は深夜に暴行された。「彼女」と暴行した男が誰のことかはわからないまま、この過去の事実がこのストーリーの伏線になる。
このストーリーの現在は、2003年12月[14日(日曜日)から始まり、事件が結末を迎えるのは12月22日(月曜日)で、エピローグはクリスマスイヴの前日で終わる。
12月14日の冒頭の描写は、再読して初めて明確に解ったのだが、パリでの仕事をこの日の夜に終え、オスロでの仕事に向かう予定の暗殺者の登場から始まる。続いて、オスロに場面が転じられて、ハリー・ホーレ警部、救世軍のヨーン・カールセン大尉、テア・ニルセンのこの日の行動が描かれて行く。ハリー警部は、この日コンテナ・ターミナルでの事件を追っていて、コンテナ・ターミナルで番犬に噛まれる羽目になる。
12月15日、ハリーが事件の被害者の父親に会いに行った折りに、次のような会話が出てくる。”「・・・・打つことをやめない心臓を止めてくれるだれかを待っていたんですよ。あ・・・・、あ・・・・」「贖い主ですか」「そうです、それです。贖い主です。」「しかし、それはあなたの仕事ではないでしょう、ヘル・ホルメン」「ええ、神の仕事です」ホルメンがうなだれて何かをつぶやいた。「なんですか?」ハリーは訊いた。(略)「しかし、神が自分の仕事をなさらなかったら、だれかが代わりにやらなくてはならないんです」”「贖い主」という言葉は、こんな文脈でまず出てくる。
この日、彼(=暗殺者)がオスロに現れる。彼の行動の描写の中で、彼自身の過去が回想の形で語られて行く。暗殺者の姿が少しずつ読者に見えて来る。
12月16日、救世軍のダーヴィド・エーホフ司令官、娘のマルティーネ、リカール、グンナル・ハーゲン、ラグニルの行動が描写されることで、このストーリーの関係者が増えていく。そうして、数百人の人々が集まる救世軍による街頭コンサートの最中に、救世軍のメンバーが頭を撃たれて殺される。被害者はロベルト・カールセンでヨーンの弟だった。ここから事件が始まっていく。殺人事件の発生までが、第一部「出現」である。
この著者のスタイルなのかも知れないが、ストーリーは登場人物のそれぞれの周辺部を少しずつ分散的に描き加える形で裾野がまず広がる。登場人物の関係性がわかりづらいままに、ロベルトが殺害されるという事件が出現する。息の長い登場人物群の散在的描写は読者を戸惑わせる。読者を渾沌状態に置くことに著者の意図があるのかもしれないが。著者は読者をどこに引っ張って行こうとしているのかが常に気になる描き方である。こんなスタイルが徹底している長編ミステリーを読むのは初体験である。導入部が長すぎる印象を抱いた。
このミステリーは五部構成になっている。第一部が「出現」。まさに「彼」と表記される暗殺者が出現し、救世軍兵士ロベルト・カールセンが街頭コンサートの最中に射殺される事件が出現する。第二部は本書のタイトルである「贖い主」がそのまま表題となっている。そして、第三部「磔」、第四部「慈悲」とつづく。第五部は「エピローグ」である。
出現-贖い主-磔-慈悲というつながりをみると、あたかもキリストを連想させるかのようなネーミングである。まともや、この意図は何かと思ってしまう。
この第二部「贖い主」からがおもしろい展開になっていく。なぜか? 群集が集まる街頭コンサートの中での暗殺は意図も簡単に、彼の当初の計画通りに終わった。予定通りならその足で、空港から出国できるはずだった。だが、気象条件悪化を理由に空港は閉鎖され、飛行機の出発は明朝午前10時40分に変更されたのだ。このことで、暗殺者の想定が齟齬を来していく。オスロに留まらざるを得なくなる。だが、そのことでこの事件の報道内容を暗殺者は知ることになる。被害者ロベルトは別人だったのである。暗殺者に指示が出ていたのは、ヨーン・カールセンの方だったのだ。つまり、暗殺者の仕事はご破算になったことになる。暗殺者は、指示されていた対象者ヨーンの所在を確かめて、暗殺するという約束(目標)を履行しなければならない状況に追い込まれていく。
ハリー警部という人物を熟知していたビャルネ・メッツレルが異動し、オスロ警察の新刑事部長となったグンナル・ハーゲンは、ロベルトが殺されたこの事件をハリーに責任者となって捜査するように命じる。ハーゲンはハリーの日頃の素行を快く思っていない。ハリーに瑕疵があれば処分したいと考えているところがある。そんな背景の中で、ハルヴォルセン刑事とペアを組みながら、他の刑事たちにも指示を与えつつ、この事件の捜査に乗り出す。
このミステリーがおもしろくなるのは、ここから2つの筋がパラレルに進行していくからである。
一つは、暗殺者が暗殺という約束を履行するために、ヨーンの所在をどのように発見し、再度暗殺をどのように計画し、実行し、オスロから退去しようとするかという側面の展開である。
ここでは、暗殺者にとっていくつかの制約が加わってくる。現地のノルウェー語が分からない外国人であること。足のつきやすいクレジットカードは使えない。現金の所持は少ない。冬のオスロで約束履行のための時間(期間)を警察の目に触れずにどのようにサバイバルするか。さて、暗殺者はどうするだろう・・・・・である。
この暗殺者の過去が徐々に明らかになっていく。そこにはクロアチア紛争の状況が織り込まれていた。その紛争の最中で「小さな贖い主」と呼ばれ、恐れ敬われる兵士となった男がいた。このミステリーでは、「贖い主」という言葉の意味が何重にも重ねられているようである。
今一つは、ハロー警部がこのロベルト殺害事件の真相解明にどういうアプローチをとっていくのか。捜査活動の展開がどうなるのかへの興味である。
ここでいくつかの視点が出てくる。街頭コンサートの渦中で発生した射殺事件の犯人像の特定がどのようにできるのか。ロベルトは偶発的に殺害されたのであり、殺害対象は別人であるという事実をどの時点で、如何に認識でき、捜査活動の筋読みが転換できるか。依頼殺人としてのプロによる暗殺事件という筋読みがどこでどのようにできるか。暗殺者の特定がどのようにできるか。一方で、暗殺を依頼した人間の存在に気づき、その人間をどのようにして絞り込むことができるのか。併せて、暗殺を依頼した人間の狙いは何だったのかの解明である。社会的な慈善事業活動を展開する救世軍の関係者が暗殺対象にされた背景にどんな意図が潜んでいるのか。
そして、この2つの筋が交わっていく。
ハリーは、暗殺者の居場所を特定していく。だが、ハリーが現場に行くまでに、暗殺者は、ハーゲン刑事部長の指揮下での捕獲作戦が実行されて射殺される。殺人事件の犯人が発見され死んだと報道されるのだが、暗殺者は現存するということが明らかになる。暗殺者は復活した。なぜか? ストーリーの各所に組み込まれていた伏線の先で、そんな展開も組み込まれている。
そして、ハリーの指示を受けて、暗殺者を追い詰めているはずのハルヴォルセン刑事が瀕死の重傷を負うという事態が発生する。ハルヴォルセン刑事はそれが原因でなくなってしまう。だが、そこにハリーはある真相を発見していく。
さらに、ハリー警部自身が、ベアーテ・レンオスロ警察鑑識課長から、「わたしたちは警察官なんですよ。ハリー。わたしたちの仕事は法と秩序を守ることであって--裁くことではないんです。そして、あなたはわたしのろくでもない贖い主ではないんです--わかってますか?」と、「贖い主」という言葉をぶつけられる場面すら描かれている。
この顔なき暗殺者を利用した事件の真相は、全く意外な結末となる。
ハリー警部は、刑事部長を退任するメッツレルから時計を一つ贈られた。この時計の刻む音に関わるハリーの反応が、所々で点描されていく。そして、それらの点描が伏線となっていて、エピローグでは、この時計の持つ意味が最後に明らかになる。
このミステリーでは、「贖い主」と「贖罪」という言葉がキーワードとしてストーリーの基盤になっている。
ご一読ありがとうございます。
本書を読み関心の湧いた事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
救世軍 :「コトバンク」
THE SALVATION ARMY INTERNATIONAL homepage
救世軍 The Salvation Army Japan ホームページ
オスロ :ウィキペディア
贖い :ウィキペディア
贖い主 聖句ガイド :「末日聖徒教会」
贖い主キリスト
第5日目 御子の血による贖い :「牧師の書斎」
贖罪 :「コトバンク」
クロアチア紛争 :ウィキペディア
美しさと紛争の傷跡の地、クロアチア :「SWI swissinfo.ch」
クロアチア人とセルビア人の対立はなぜ起こったのか? :「灼熱」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)