久々に警視庁FC室の第2作が出た。この小説を読み終えて、タイトルの「カットバック」の由来を推測させる箇所がなかったように思う。そこで辞書を引いてみた。「[映画やテレビで]関連の有る2つの場面を交互に対照させながら展開を図る作画法」(新明解国語辞典・三省堂)と説明されている。
この意味合いを少し広げて受け止めると、今回のストーリー構成は2つの場面を対照させながら展開させるという手法が幾重にも織り込まれているように感じる。
ストーリーは、警視庁の地域総務課所属の楠木肇(くすきはじめ)が同課の先輩から「特命だぞ」と連絡を受け取る場面から始まる。この先輩は楠木が兼務するFC室の仕事には役得があるだろうとうらやましく思っている。だが、当の楠木は余分な仕事に巻き込まれるのを嫌がっている。FC室の仕事などやる気はないのだ。命令だから仕方なくその特命に従うというスタンスである。それ故、常に置かれた状況を醒めた目で、少しシニカルに眺めて、己の中でぶつくさと言い続けていく。やる気のない警察官が少しずつ事件の核心に巻き込まれていく、そして、事件解決に繋がる意見を発言する結果になる。この流れは第1作を継承していると言える。この楠木のキャラクターがこのシリーズの面白さでもある。FC室の室長は長門達男、45歳の警視で、彼だけが専任である。他は全員兼務で特命を受ける立場。他のメンバーは第1作と同じだが、紹介しておこう。
山岡諒一 組織犯罪対策部組織犯罪対策四課 巡査部長 35歳
島原静香 交通部都市交通対策課 デスクワーク主体。以前は所轄でミニパト乗務。
服部靖彦 交通機動隊 白バイライダー
FC室とは、フィルムコミッション室の略で、映画やドラマの撮影の際に、ロケ現場でさまざまな便宜を図ることを担当する専門部署である。アメリカあたりの真似を警視庁が取り入れたのだが、野外撮影が公共の場所を使う関係上、交通面や警備面などでのトラブル未然防止などが意図されているのである。
さて、今回のFC室の任務は、映画のロケが円滑に進むサポートである。
映画は『危険なバディー』の二十周年記念映画であり、その野外ロケである。テレビドラマシリーズの映画化。刑事もののドラマシリーズである。FC室兼務の服部はこのドラマを見て、警察官になろうと思ったという。このシリーズはフィクションながら、現職の警察官のファンも多いというところが、今回のストーリーに影響を及ぼしていて、おもしろいところにもなる。このストーリーにいささかのコミカルさを加味する設定になっている。主演は伊達弘樹と柴崎省一が共演し、主演女優は桐原美里である。監督はガンアクションの好きな辻友則貴。ロケ場所は大田区昭和島。
FC室のメンバーが集合した後、長門室長はロケ場所を所轄する大森署にまずは挨拶に表敬訪問する。大森署と言えば、すぐに「隠蔽捜査」シリーズで活躍する大森署の竜崎署長を連想する。竜崎は『棲月 隠蔽捜査7』での事件解決を最後に大森署から神奈川県警本部に異動したところである。さて、どういう繋がりになるのかと思いきや、このストーリーでは、美人でキャリアの藍本署長が初登場してきた。貝沼副署長はそのままであるが、さすがに竜崎の在任中の方針とは異なり、署長室のドアは普通に閉じられた形になった。キャリアの美人署長を迎え入れた大森署は、その対応に戸惑いをみせているタイミングにある。この設定がまた興味深い。FC室の第2作として、竜崎シリーズとダブらない形で巧妙にシンクロナイズしている。「隠蔽捜査」シリーズで大森署竜崎署長の署内模様をよく知る読者は、藍本署長と大森署内の現在の関わりの描写を読み、頭の中では署長を対比するカットバック、違いを想像をする含みが生まれていく。
貝沼副署長に促されて署長室に入ったFC室メンバーは、制服姿で大きな両袖の机の向こうに立つ藍本署長を目にし、「お・・・」(山岡)、「おお・・・」(服部)と小さく声を洩らした。楠木も一瞬、ぽかんと見つめたのが最初の出会いである。このあと機会がある度に、楠木は藍本署長の言動を観察し、自分なりの評価を加えていく。それがおもしろい。
このストーリー、主だった映画関係者が大森署に挨拶に出向いた日に、既に大田区昭和島のロケ現場で事件が発生していたのだ。その日の午後、昭和島のロケ現場で午後から死体を見つけるシーンを撮る予定が組まれていた。だが、その死体役をする高平治という脇役俳優がロケの予定現場で死体になっていたのだ。発見した若いスタッフが監督に駆け寄って知らせたのである。死体の発見と映画のシナリオの予定の想定が混乱しながらその場が展開する。FC室の5人がまず遺体発見現場に出かけることになる。
大森署に捜査本部が設置され、殺人事件としての捜査が始まる。FC室は初動捜査に関与したことになる。昭和島でのロケは予定を変更しながらも進行させることが決定される。その一方で、ロケ現場を含めた殺人事件の捜査が同時並行に進展していく。行きがかりから、長門室長と楠木は捜査本部に協力し、捜査に参画することになり、他の3人がFC室本来の業務を現場で継続することになる。
そこで、楠木は長門室長の指示を受けて、捜査に協力していくことになるが、それは傍観者的視点から、捜査プロセスと捜査本部の状況を観察しつつ、楠木のつぶやき、歎きが彼の思い、考えとともに展開されていくことになる。このストーリーでは、捜査活動が一風変わった進展となっていく。FC室の業務経験を通じてロケ現場の状況に比較的なれた長門室長と楠本が、結果的に協力という立場にありながら主導的な位置づけでの行動を捜査員の中でとっていくことになるからである。
大柄な男の高平治は、死体役で発見されるまさにそのロケ予定現場で遺体となっていた。上腹部の中央、ちょうど鳩尾のあたりにナイフの柄らしきものが突き立った状態であり、関係者のその後の証言から、極道みたいな服装とネックレスは、ロケに使う予定のものが着用されていた。殺害の凶器となったナイフは撮影の折に使う小道具のナイフに似通ったものだった。被害者となった高平は脇役としては知られていて、なかなか有用な役者であるが、女癖が悪く、金銭的な問題もあったようであることが徐々に明らかになってくる。捜査が進むにつれて、徐々にこのロケ現場の状況がクリアになっていく。
昭和島のロケ現場というオープンな環境にありながら、関係者以外はできるだけシャットアウトするロケ現場故に、ある種の密室殺人的要素を帯びた事件の捜査となる。それ故に、捜査本部が設置されたというものの得意な動きが見える捜査活動になる。
捜査本部に組み込まれた捜査員としては、大森署所属で、あのクセのある戸高刑事が警視庁の矢口刑事とペアになり前面に出てくる。面白いのは、戸高が相棒の矢口を適当にあしらいながら己の捜査を進めていく有り様の描写である。そして、戸高はなぜか楠木の考えを意見として語らせようとする。ある意味で戸高は、ぶつくさと不平心を内心に抱きつつ協力している楠木を事件について、人ごとのようにでなく捜査員として真剣に考え推理させる触媒的な役回りとなっている。戸高刑事の捜査ぶりが表に出て来ておもしろい。他の作品を読み、戸高刑事を知る人には、多分おもしろみが増す筈である。
捜査本部の管理者側は、錚錚たる映画俳優などが関係する事件故に、普段とは勝手が違い舞い上がった状態にある。そんな状況での管理者側の捜査推理・指示と、長門室長・楠木の行動、戸高の捜査がカットバック風に進行する。傍観者風視点で事件捜査に関わりながら、とは言うものの事件の状況の絞り込み、核心に迫る推理を進める楠木の立ち位置の面白さを楽しめる。楠木が捜査状況の語り部的役割を果たしていく。捜査本部の設置はお飾り的になっているという異色なスタイルが興味深いところである。
このストーリー展開の核心は、午後に死体役で発見される撮影予定のシーンとそっくり同一状況での殺人事件が同日の午前に発生したということとの間にある謎をカットバック風の推理で犯人の絞り込みを行っていくというところにある。ロケ現場という特殊状況とその進行から考え、犯人は映画監督を筆頭にしたこの撮影ロケに関係する一群の人々の中に居るとしか想定できないのだ。楠木の今一歩の推論を踏まえて、長門室長がフォローし事件を解明するという展開がおもしろい。さらに、楠木のぼやきが殺人事件の捜査のプロセスでのおもしろみになっている。
この事件の解明は、映画の野外でのロケ、撮影がどのような組織・役割分担により、どのように撮影プロセスが進行していくのかという舞台裏の状況の中に重大なヒントが潜んでいる。聞き込み捜査過程で入手できた情報からの推論による殺人犯の絞り込みはその詰めにかかっていく。一方、読者にとり、この舞台裏の仕組みが完成した映画製作の背後にあるということを具体的に知ることができるという副産物にもなる。それは俳優による脚本の読み込みと演技力ということを考える材料でもある。
また、別のフィクション上の副産物がある。竜崎が人事異動の対象となったことで大森署に藍本署長が赴任してきた転換期の状況が点描されていることである。その藍本署長を楠木が傍観者的に批評しているところもおもしろい。著者の作品群の中で、これから後に、際だって美人の藍本署長と戸高刑事が事件捜査で活躍するという作品が生み出されるのかどうか・・・・・。ちょっと、期待を抱かせる新署長登場である。
さて、このストーリーではけっこう登場して来る戸高刑事のキャラクターがちょっと好きである。不真面目そうで、実は刑事魂のある一匹狼的な存在。警察官として出世するタイプではないし、本人もその気はないであろう。隠蔽捜査シリーズでは、竜崎署長がけっこう戸高を信頼している。このストーリーで戸高が語る一端を最後にご紹介しておこう。戸高語録と言えようか。捜査活動に絡んでいる発言である。
*いちおう訊いておかないといけないだろう。型どおりってのも必要なんだよ。 p137
*人の心の中まではわからないよ。 p137
*所轄では、同時にいろいろなことに目配りしなければ、つとまらないんだよ。 p138
*学校の成績ってのは、先生の言うとおりにしていれば上がるんだ。だけど、警察の捜査はそうはいかない。自分で考えて、自分で動かなきゃだめなんだよ。 p147
*だから、捜査はきれい事じゃ済まないんだって言ってるんだよ。あんただってそれくらいのこと、わかってるはずだ。 p154
*捜査本部ってのは、人海戦術だ。捜査員は何も考えず、ただ命令されたことをやっていればいいんだ。つまんねぇんだよ。 p165
*俺たちの現場ってのはね、もともと人の生き死にに関わっているんですよ。警察は、毎日、人の死を扱っています。俺たち刑事には、そういう自覚があります。だから、命を削って捜査をするんです。 p194
*一般人がいる前で、そういう話をするなよ。 p289
*捜査幹部の判断なんて、知ったこっちゃないですね。 p290
幹部達が舞い上がっているようなんで、頭を冷やしてやろうと思ってな。 p291
*うちの署は、署長で苦労するんです。いや、署長に恵まれていると言うべきか・・・・。p394
著者は、戸高にけっこういい発言をさせている。
事件が落着し、ロケが続行されている最後のシーンで、藍本署長が長門室長に言う。
「ねえ、私もFC室に入れないかしら」と。長門室長の応対を聞きながら楠木が思ったのは、”どこまで本気なのかわからない。この人は天然なので、きっと本気なのだろう”
FC室の第3作が続くだろうか。ちょっと構想を作りづらい設定かもしれない気もする。FC室との関係でどこまで広げられるかが勝負どころか。意外なストーリー展開ものを期待したい。
一方、この藍本署長と戸高刑事が絡む、大森署所轄の事件ストーリーも期待したい気になってきた。美人署長の登場は今までにないパターンでもあるから。
ご一読ありがとうございます。
フィルム・コミッションという言葉が、実態としてどのように使われているのか、関心を持ち、ネット検索してみた。一覧にしておきたい。
フィルム・コミッション :ウィキペディア
Film commission From Wikipedia, the free encyclopedia
ジャパン・フィルムコミッション ホームページ
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『棲月 隠蔽捜査7』 新潮社
『回帰 警視庁強行犯係・樋口顕』 幻冬舎
『変幻』 講談社
『アンカー』 集英社
『継続捜査ゼミ』 講談社
『サーベル警視庁』 角川春樹事務所
『去就 隠蔽捜査6』 新潮社
『マル暴総監』 実業之日本社
『臥龍 横浜みなとみらい署暴対係』 徳間書店
『真贋』 双葉社
『防諜捜査』 文藝春秋
『海に消えた神々』 双葉文庫
『潮流 東京湾臨海署安積班』 角川春樹事務所
『豹変』 角川書店
『憑物 [祓師・鬼龍光一]』 中公文庫
『陰陽 [祓師・鬼龍光一]』 中公文庫
『鬼龍』 中公文庫
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 === 更新5版 (62冊)
この意味合いを少し広げて受け止めると、今回のストーリー構成は2つの場面を対照させながら展開させるという手法が幾重にも織り込まれているように感じる。
ストーリーは、警視庁の地域総務課所属の楠木肇(くすきはじめ)が同課の先輩から「特命だぞ」と連絡を受け取る場面から始まる。この先輩は楠木が兼務するFC室の仕事には役得があるだろうとうらやましく思っている。だが、当の楠木は余分な仕事に巻き込まれるのを嫌がっている。FC室の仕事などやる気はないのだ。命令だから仕方なくその特命に従うというスタンスである。それ故、常に置かれた状況を醒めた目で、少しシニカルに眺めて、己の中でぶつくさと言い続けていく。やる気のない警察官が少しずつ事件の核心に巻き込まれていく、そして、事件解決に繋がる意見を発言する結果になる。この流れは第1作を継承していると言える。この楠木のキャラクターがこのシリーズの面白さでもある。FC室の室長は長門達男、45歳の警視で、彼だけが専任である。他は全員兼務で特命を受ける立場。他のメンバーは第1作と同じだが、紹介しておこう。
山岡諒一 組織犯罪対策部組織犯罪対策四課 巡査部長 35歳
島原静香 交通部都市交通対策課 デスクワーク主体。以前は所轄でミニパト乗務。
服部靖彦 交通機動隊 白バイライダー
FC室とは、フィルムコミッション室の略で、映画やドラマの撮影の際に、ロケ現場でさまざまな便宜を図ることを担当する専門部署である。アメリカあたりの真似を警視庁が取り入れたのだが、野外撮影が公共の場所を使う関係上、交通面や警備面などでのトラブル未然防止などが意図されているのである。
さて、今回のFC室の任務は、映画のロケが円滑に進むサポートである。
映画は『危険なバディー』の二十周年記念映画であり、その野外ロケである。テレビドラマシリーズの映画化。刑事もののドラマシリーズである。FC室兼務の服部はこのドラマを見て、警察官になろうと思ったという。このシリーズはフィクションながら、現職の警察官のファンも多いというところが、今回のストーリーに影響を及ぼしていて、おもしろいところにもなる。このストーリーにいささかのコミカルさを加味する設定になっている。主演は伊達弘樹と柴崎省一が共演し、主演女優は桐原美里である。監督はガンアクションの好きな辻友則貴。ロケ場所は大田区昭和島。
FC室のメンバーが集合した後、長門室長はロケ場所を所轄する大森署にまずは挨拶に表敬訪問する。大森署と言えば、すぐに「隠蔽捜査」シリーズで活躍する大森署の竜崎署長を連想する。竜崎は『棲月 隠蔽捜査7』での事件解決を最後に大森署から神奈川県警本部に異動したところである。さて、どういう繋がりになるのかと思いきや、このストーリーでは、美人でキャリアの藍本署長が初登場してきた。貝沼副署長はそのままであるが、さすがに竜崎の在任中の方針とは異なり、署長室のドアは普通に閉じられた形になった。キャリアの美人署長を迎え入れた大森署は、その対応に戸惑いをみせているタイミングにある。この設定がまた興味深い。FC室の第2作として、竜崎シリーズとダブらない形で巧妙にシンクロナイズしている。「隠蔽捜査」シリーズで大森署竜崎署長の署内模様をよく知る読者は、藍本署長と大森署内の現在の関わりの描写を読み、頭の中では署長を対比するカットバック、違いを想像をする含みが生まれていく。
貝沼副署長に促されて署長室に入ったFC室メンバーは、制服姿で大きな両袖の机の向こうに立つ藍本署長を目にし、「お・・・」(山岡)、「おお・・・」(服部)と小さく声を洩らした。楠木も一瞬、ぽかんと見つめたのが最初の出会いである。このあと機会がある度に、楠木は藍本署長の言動を観察し、自分なりの評価を加えていく。それがおもしろい。
このストーリー、主だった映画関係者が大森署に挨拶に出向いた日に、既に大田区昭和島のロケ現場で事件が発生していたのだ。その日の午後、昭和島のロケ現場で午後から死体を見つけるシーンを撮る予定が組まれていた。だが、その死体役をする高平治という脇役俳優がロケの予定現場で死体になっていたのだ。発見した若いスタッフが監督に駆け寄って知らせたのである。死体の発見と映画のシナリオの予定の想定が混乱しながらその場が展開する。FC室の5人がまず遺体発見現場に出かけることになる。
大森署に捜査本部が設置され、殺人事件としての捜査が始まる。FC室は初動捜査に関与したことになる。昭和島でのロケは予定を変更しながらも進行させることが決定される。その一方で、ロケ現場を含めた殺人事件の捜査が同時並行に進展していく。行きがかりから、長門室長と楠木は捜査本部に協力し、捜査に参画することになり、他の3人がFC室本来の業務を現場で継続することになる。
そこで、楠木は長門室長の指示を受けて、捜査に協力していくことになるが、それは傍観者的視点から、捜査プロセスと捜査本部の状況を観察しつつ、楠木のつぶやき、歎きが彼の思い、考えとともに展開されていくことになる。このストーリーでは、捜査活動が一風変わった進展となっていく。FC室の業務経験を通じてロケ現場の状況に比較的なれた長門室長と楠本が、結果的に協力という立場にありながら主導的な位置づけでの行動を捜査員の中でとっていくことになるからである。
大柄な男の高平治は、死体役で発見されるまさにそのロケ予定現場で遺体となっていた。上腹部の中央、ちょうど鳩尾のあたりにナイフの柄らしきものが突き立った状態であり、関係者のその後の証言から、極道みたいな服装とネックレスは、ロケに使う予定のものが着用されていた。殺害の凶器となったナイフは撮影の折に使う小道具のナイフに似通ったものだった。被害者となった高平は脇役としては知られていて、なかなか有用な役者であるが、女癖が悪く、金銭的な問題もあったようであることが徐々に明らかになってくる。捜査が進むにつれて、徐々にこのロケ現場の状況がクリアになっていく。
昭和島のロケ現場というオープンな環境にありながら、関係者以外はできるだけシャットアウトするロケ現場故に、ある種の密室殺人的要素を帯びた事件の捜査となる。それ故に、捜査本部が設置されたというものの得意な動きが見える捜査活動になる。
捜査本部に組み込まれた捜査員としては、大森署所属で、あのクセのある戸高刑事が警視庁の矢口刑事とペアになり前面に出てくる。面白いのは、戸高が相棒の矢口を適当にあしらいながら己の捜査を進めていく有り様の描写である。そして、戸高はなぜか楠木の考えを意見として語らせようとする。ある意味で戸高は、ぶつくさと不平心を内心に抱きつつ協力している楠木を事件について、人ごとのようにでなく捜査員として真剣に考え推理させる触媒的な役回りとなっている。戸高刑事の捜査ぶりが表に出て来ておもしろい。他の作品を読み、戸高刑事を知る人には、多分おもしろみが増す筈である。
捜査本部の管理者側は、錚錚たる映画俳優などが関係する事件故に、普段とは勝手が違い舞い上がった状態にある。そんな状況での管理者側の捜査推理・指示と、長門室長・楠木の行動、戸高の捜査がカットバック風に進行する。傍観者風視点で事件捜査に関わりながら、とは言うものの事件の状況の絞り込み、核心に迫る推理を進める楠木の立ち位置の面白さを楽しめる。楠木が捜査状況の語り部的役割を果たしていく。捜査本部の設置はお飾り的になっているという異色なスタイルが興味深いところである。
このストーリー展開の核心は、午後に死体役で発見される撮影予定のシーンとそっくり同一状況での殺人事件が同日の午前に発生したということとの間にある謎をカットバック風の推理で犯人の絞り込みを行っていくというところにある。ロケ現場という特殊状況とその進行から考え、犯人は映画監督を筆頭にしたこの撮影ロケに関係する一群の人々の中に居るとしか想定できないのだ。楠木の今一歩の推論を踏まえて、長門室長がフォローし事件を解明するという展開がおもしろい。さらに、楠木のぼやきが殺人事件の捜査のプロセスでのおもしろみになっている。
この事件の解明は、映画の野外でのロケ、撮影がどのような組織・役割分担により、どのように撮影プロセスが進行していくのかという舞台裏の状況の中に重大なヒントが潜んでいる。聞き込み捜査過程で入手できた情報からの推論による殺人犯の絞り込みはその詰めにかかっていく。一方、読者にとり、この舞台裏の仕組みが完成した映画製作の背後にあるということを具体的に知ることができるという副産物にもなる。それは俳優による脚本の読み込みと演技力ということを考える材料でもある。
また、別のフィクション上の副産物がある。竜崎が人事異動の対象となったことで大森署に藍本署長が赴任してきた転換期の状況が点描されていることである。その藍本署長を楠木が傍観者的に批評しているところもおもしろい。著者の作品群の中で、これから後に、際だって美人の藍本署長と戸高刑事が事件捜査で活躍するという作品が生み出されるのかどうか・・・・・。ちょっと、期待を抱かせる新署長登場である。
さて、このストーリーではけっこう登場して来る戸高刑事のキャラクターがちょっと好きである。不真面目そうで、実は刑事魂のある一匹狼的な存在。警察官として出世するタイプではないし、本人もその気はないであろう。隠蔽捜査シリーズでは、竜崎署長がけっこう戸高を信頼している。このストーリーで戸高が語る一端を最後にご紹介しておこう。戸高語録と言えようか。捜査活動に絡んでいる発言である。
*いちおう訊いておかないといけないだろう。型どおりってのも必要なんだよ。 p137
*人の心の中まではわからないよ。 p137
*所轄では、同時にいろいろなことに目配りしなければ、つとまらないんだよ。 p138
*学校の成績ってのは、先生の言うとおりにしていれば上がるんだ。だけど、警察の捜査はそうはいかない。自分で考えて、自分で動かなきゃだめなんだよ。 p147
*だから、捜査はきれい事じゃ済まないんだって言ってるんだよ。あんただってそれくらいのこと、わかってるはずだ。 p154
*捜査本部ってのは、人海戦術だ。捜査員は何も考えず、ただ命令されたことをやっていればいいんだ。つまんねぇんだよ。 p165
*俺たちの現場ってのはね、もともと人の生き死にに関わっているんですよ。警察は、毎日、人の死を扱っています。俺たち刑事には、そういう自覚があります。だから、命を削って捜査をするんです。 p194
*一般人がいる前で、そういう話をするなよ。 p289
*捜査幹部の判断なんて、知ったこっちゃないですね。 p290
幹部達が舞い上がっているようなんで、頭を冷やしてやろうと思ってな。 p291
*うちの署は、署長で苦労するんです。いや、署長に恵まれていると言うべきか・・・・。p394
著者は、戸高にけっこういい発言をさせている。
事件が落着し、ロケが続行されている最後のシーンで、藍本署長が長門室長に言う。
「ねえ、私もFC室に入れないかしら」と。長門室長の応対を聞きながら楠木が思ったのは、”どこまで本気なのかわからない。この人は天然なので、きっと本気なのだろう”
FC室の第3作が続くだろうか。ちょっと構想を作りづらい設定かもしれない気もする。FC室との関係でどこまで広げられるかが勝負どころか。意外なストーリー展開ものを期待したい。
一方、この藍本署長と戸高刑事が絡む、大森署所轄の事件ストーリーも期待したい気になってきた。美人署長の登場は今までにないパターンでもあるから。
ご一読ありがとうございます。
フィルム・コミッションという言葉が、実態としてどのように使われているのか、関心を持ち、ネット検索してみた。一覧にしておきたい。
フィルム・コミッション :ウィキペディア
Film commission From Wikipedia, the free encyclopedia
ジャパン・フィルムコミッション ホームページ
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『棲月 隠蔽捜査7』 新潮社
『回帰 警視庁強行犯係・樋口顕』 幻冬舎
『変幻』 講談社
『アンカー』 集英社
『継続捜査ゼミ』 講談社
『サーベル警視庁』 角川春樹事務所
『去就 隠蔽捜査6』 新潮社
『マル暴総監』 実業之日本社
『臥龍 横浜みなとみらい署暴対係』 徳間書店
『真贋』 双葉社
『防諜捜査』 文藝春秋
『海に消えた神々』 双葉文庫
『潮流 東京湾臨海署安積班』 角川春樹事務所
『豹変』 角川書店
『憑物 [祓師・鬼龍光一]』 中公文庫
『陰陽 [祓師・鬼龍光一]』 中公文庫
『鬼龍』 中公文庫
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 === 更新5版 (62冊)