遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『鹿の王 水底の橋』  上橋菜穂子  角川書店

2019-11-05 12:06:39 | レビュー
 『鹿の王』の続編と位置づけられている。しかし、ストーリーは『鹿の王』で中心人物となって行った<独角>の頭・ヴァンと山犬に噛まれても生き残った幼子ユナの二人のその後の物語ではない。この物語は、『鹿の王』の主な登場人物の一人、250年前に滅びたオタワル王国の末裔で、オタワルの医術を継承する天才的な医術師ホッサルに光が当たっていく。併せて、ホッサルの助手でオタワルの医術に携わりホッサルの恋人でもあるミラルが前作と同様に登場し、彼女も中心人物の一人になっていく。
 つまり、那多瑠を現皇帝とする東乎瑠帝国が舞台となる点では背景として繋がりがあり、その帝国の続きを伝えるファンタジーな物語である。

 今回はオタワルの医術を東乎瑠(つおる)帝国内で普及させ人々の生命を守るとともに、オタワル医術の発展を図ろうとするホッサルの奮闘と彼の生き様、その助手としてのミラルの立場とその生き様が描かれて行く。

 オタワル医術に立ちはだかるのが東乎瑠帝国の国教・清心教の祭司でもある祭司医たちだ。東乎瑠には<医術は神の指なり>という言葉があり、人の生死を司る医術は神の教えに従って行われるべきであると信じられている。医術で命を助ければそれで良い、という訳には行かないのが清心教の宮廷祭司医である。身の穢れという宗教上の価値観が施術に影響を及ぼすのだ。清心教の祭司医たちはオタワル医術を異教徒の穢れた技だと嫌悪している。彼らのスタンスはオタワルの医術を忌諱し、東乎瑠帝国から排除してしまうことにある。
 実はホッサルの祖父であるリムエッルが孫のホッサルひとりを伴い、宮廷に赴き皇帝那多瑠の妃を難病から救ったことで、オタワル医術は帝国の表舞台に華々しく登場することとなった。那多瑠はリムエッルに信頼を寄せている。つまり、祭司医たちは現状では力尽くでホッサルたちのオタワル医術を一掃できかねる状態にある。

 その状況下で清心教医術内にも今や大きな動きが起こり、新派・古派の二流に別れてきている。清心教の宮廷祭司医である津雅那が新流のリーダーであり、次期の宮廷祭司医長として最有力候補となっている。新流はオタワル医術の徹底的な排除を方針としている。さらに、清心教医術の源流である古流すら排除するスタンスなのだ。
 一方、従来の清心教医術の側に居る祭司医たちは、そこまで先鋭化していない。新流に押されぎみという状況にある。。
 また、清心教医術には、祭司医に厳格な上中下の位が設けられていて、その位に応じて使用できる医薬の範囲も限定されている。良く効く薬はある意味で毒とも紙一重のところがあり、使い方が慎重でなければならないことと医術の経験がかかわってくることによるため、厳格な位制を執っている。つまり清心教医術の古流の奥義を学び知ることができるのは上の位を認められた祭司医のみという厳格な伝統が根付いている。
 このストーリーでは、清心教医術の内部での勢力争いがホッサルたちのオタワル医術にに大きく影響を及ぼしていく情勢にある。

 一方、東乎瑠では、那多瑠現皇帝に対し、二人の次期皇帝候補が衆目の一致するところとなっている。一人は、那多瑠帝の弟の由吏候。進取の気性に富み、果断であるとともに狡猾な男でもある。その由吏候の統治する由吏領にホッサルの祖父リムエッルは逗留していた。
 もう一人の次期皇帝候補は那多瑠帝の娘婿の比羅宇候である。彼は己を前に押し出すような行動を取らないし、清心教医術についても鮮明な意見表明をせず慎重である。比羅宇候は人々の信頼が厚い。
 次期皇帝を選ぶ選帝候の一人に王阿候がいて、彼は津雅那の後ろ盾となっている。一方で、王阿候は比羅宇候を次期皇帝に推している。また、東乎瑠帝国の西端にはアカファ領があり、選帝候でもある王幡候が統治している。その息子の与多瑠は、ホッサルを信頼している。東乎瑠帝国の皇帝は5人の選帝候によって承認を受けて、初めて皇帝の座につくことになっている。

 東乎瑠帝国では、次期皇帝候補の勢力争いと清心教の宮廷祭司医長の位に就くための勢力争いが複雑に絡んで来ている。その中に、オタワル医術の存亡が巻き込まれつつあるという状況にある。

 こんな状況下で、安房那家の二男である真那がもう一人の中心人物として登場する。彼は清心教の祭司医である。現時点は祭司医としては低い位に属している。

 背景状況の構図説明が長くなった。真那がミラルを安房那に誘ったことから、このストーリーが始まっていく。結果的にホッサルは与多瑠の意見を聞きつつも、ミラルと一緒に安房那にいくことを選択する。そこで、安房那領がこのストーリー展開の舞台となっていく。
 安房那領は歴史が重層化された地域であり、清心教医術のルーツの土地でもあることがストーリーの展開に大きく関わって行く。
 さらに、真那の父親は安房那領の領主・安房那候(羽羅那)であると同時に、清心教の上位の祭司医であり、清心教医術の古流を熟知している人物でもあったのだ。この安房那候の思考と策略がストーリーの展開で重要な陰の役割を担っていく。

 ここから安房那領を舞台としてストーリーが展開するプロセスに関わるいくつか情報をご紹介しておこう。
*ミラルの父ラハルは橋造りの名工であり、いまはこの安房那領で橋造りに従事している。
*安房那領の元々の領主は乎来那(おきな)家で、清心教医術の宗家である。
 乎来那ノ大樹(たいき)のことが明らかになる。
*安房那領には、リムエッルの弟であるオウロが滞在していて、彼は新薬開発に力を注いでいた。真那の祖母・志津弥の病を診ていて、信頼されている。そして彼が真那の兄の娘、亜々弥の持病である出血病と対峙していることをホッサルは知る。
*花部山地の奧の秘境花部が清心教医術の源流である。花部流医術が明らかになる。
*安房那領では恒例の<鳴き合わせ、詩合わせ>が開催される。この会に次期皇帝候補や選帝候など主だった人々が一堂に会する機会が集まってくる。そこで、事件が起こる。
*この会を想定して、ホッサルの祖父リムエッルはある謀略を仕掛けていた。

 いずれにしても、花部流医術と出会い、マヒム師を知ることにより、ホッサル、ミラルが生き方の選択をしていくことになる。勿論、真那にも大きく影響が及んでいく。
 そこで、彼らには医術とは何かの問いかけがつきつけられていくことになる。

 次期皇帝と清心教の次期宮廷祭司医長というそれぞれの位をねらう勢力争いの構図の中で、清心教医術とオタワル医術の対立、存立への確執が描かれて行く。現実に存在する難病を抱えた病人を介在させることで、医術とは何か、人を生かすことにおける信仰と医術の関係が問いかけられていく。それは医術に対する一種の哲学的問いかけでもある。

 私は、このストーリーを詠みながら、西洋医学と東洋医学の関係性を連想し、それを重ね合わせてしまった。

 このストーリーの中で、印象深い文に出会った。ご紹介しておこう。

*まったく異質の医術と出会ってはじめて、観ることができる風景というものがあるのだ。 p232
*医術師は人の命を左右するから、使わせるべきでない薬は、知らせない方が安全というわけよ。 p242
*大切なのは、命を長らえさせることではなく、命を全うさせることだからね。 p245
*病んでいる人の人生の中のほんのつかのまを助けられたら上等で、何をしようと、その人はやがて死ぬということを。 p246
*医術師が治せる病なんて、ごくわずかしかないのに、治せるわずかな患者を諦めたら、医術師である意味がない。 p251
*私たちは病に、というか身体に注目し過ぎて、全体をみていなかったな、とか。p256
*病と医術と、生と死と、人の幸せの関係は、きっと、部分を見極めただけでは見えてこない、ゆらゆらと形なく揺らめきつづける何かであるような気がしてならないの。p258
*いつの間にか私の中で絶対の基準になっていたものを、壊してみたいの。 p258

 最後に、この小説のタイトル「水底の橋」について触れておこう。
 これは、ミラルがマヒム師のもとに留まって花部流医術を学ぶ選択をして、薬草採りをしている時に、川の流れを調べるために、上流に向かう父を見つけて、声を掛ける。近づいてきて二人が会話する中で、橋造りの名工であるラハルが、己の目に焼き付いている水底の橋についてミラルに語る。その内容に由来している。橋の役割とは何かに絡んだラハルの思いがそこに関わっている。

 この小説の最終ステージでは、推理小説的要素も加わり、全体の構図の謎解きが行われるという展開になる。そして、安房那候による意外な選択と配慮が、ホッサルとミラルに影響を及ぼすことになる。また、ホッサルが医術に対する一つの結論を導き出した。その結論を聞いた安房那候は、実によい笑顔を表した。そのホッサルの結論を楽しみに、本書をお読みいただきたいと思う。併せて、ホッサルとミラルの会話も・・・・・。

 ご一読いただき、ありがとうございます。

著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『精霊の木』 偕成社
『鹿の王』 上・下  角川書店