このストーリーで軸となるのは葛木邦彦である。警視庁捜査一課の殺人犯捜査係主任となるまで、花形部署の第一線をつっぱしってきた。だが、2年前に妻がくも膜下出血でこの世を去った。それを契機にして、所轄の刑事課への異動を願い出た。そして、江東区東部を管轄する城東警察署の刑事・組織犯罪対策課の係長となった。
葛木には俊史という既婚の一人息子がいる。俊史はキャリアであり、今年の四月に人事異動で警視庁捜査一課の管理官に着任していた。一方、葛木はノンキャリアのたたき上げである。俊史は父親に言う。「親父は子供のころからおれの心のヒーローだったんだから。警視庁捜査一課の刑事なんてみんなテレビドラマでしか知らないけど、おれの場合は自分の親父がそうだったんだから」と。そして屈託なく笑う。
六月の最初の日曜日午後二時過ぎ、自宅に居る葛木に強行犯捜査係の山井巡査から着信が入る。横十間川親水公園内に放置されている死体が発見された。二十代とみられる女性で、絞殺の可能性が高いと言う。葛木は事件現場に行き、現場に姿を見せた大原課長と第一機捜の小隊長上尾らと初動捜査の打ち合わせをする。到着した検視官は絞殺と判断した。葛木は被害者が靴を履いていなかったことから、別の場所で殺害されて、この公園に遺棄された可能性を考える。偶発的事件ではないと読む。
この事件は城東警察署に何と特別捜査本部が設置されることに。さらにその帳場に息子の俊史が管理官として出向くように刑事部長から命令が出たという。刑事部長名の捜査本部開設発令書が城東署に届き、葛木が驚く前にと俊史が事前に連絡してきたのである。つまり、組織的には息子が上司、葛木が部下という指示命令系統で捜査を進める立場になる。ストーリーとしては、今後どういう展開となるのか、読者を惹きつける興味深い設定が組み込まれている。
この特捜部に本庁から出向いてきたのは殺人犯捜査第十三係で、それを率いるのは山岡宗男係長。「鬼の十三係」とも「壊しの十三係」とも呼ばれ、良くも悪くも苛烈な捜査手法で異彩を放ち、所轄を辟易とさせることで悪名が高い捜査班である。警視庁捜査一課で葛木が所属した九係の係長とは犬猿の仲の人物だった。
大原課長自身も、山岡と一緒だった頃の経験があり、山岡係長は刑事としての執念や馬力には脱帽するところがあるが、同僚や配下の人間を消耗品として扱い、自分の手柄に結びつけるタイプと評価した。それでなくとも、捜査一課から出っ張ってきた刑事たちにはエリート意識が強く、所轄の刑事を見下しているところがあると所轄の刑事たちは受け止めている。いわば、所轄にとっては来て欲しくない捜査班である。
これで特捜部の大凡の色合いがわかるというおもしろい背景設定となっている。
バラバラ死体でもなく、腐乱死体でもない、きれいな状態の遺体が、発見されやすい公園の木立に放置されていた。一見単純そうに見えるこのヤマを、庶務担当管理官はなぜ捜査本部ではなく特捜扱いにしたのか?
特捜本部が設置された最初の会議で、刑事部長はこの事案は一見簡単そうで、じつは手ごわい、一気呵成の解決を目指せと訓示した。だが、そうはうまく進まない。
管理者として殺人事件の帳場経験のない葛木俊史管理官(以下、俊史管理官と略す)。「壊しの十三係」と悪名の高い山岡係長とその部下たち。そして所轄城東署の強行犯捜査係他の捜査員たち。所轄の係長である葛木は心理的に微妙な立場に立たされることになる。
このストーリーのおもしろいところは、いくつかある。
一つは、山岡係長が新米の管理官をあなどり、己が主導権を握ってこの特捜部を仕切って行く気配を折々に見せていく。それに対して俊史管理官がどう対処していくかという側面だ。葛木は俊史管理官がこの特捜部の指揮に失敗し汚点を残さないようにと、気づかいながらサポートする立場に追い込まれるところにある。
もう一つは、山岡係長の捜査班のエリート意識と横暴ともいえる振る舞いが、所轄の捜査員たちを内心激怒させるところにある。山岡係長の言動が因となり、捜査活動の進展とともに、所轄の捜査員たちが所轄の意地と底力を捜査一課の連中に見せてやろうと一致団結する形に展開していく。ここが捜査プロセスにおける組織的なダイナミクスという側面での読ませどころとなる。そこから生まれたのが「所轄魂」というキーワードである。
特捜部が立ち、聞き込み捜査が三日間つづくが、突破口が未だ見つからない。そこに予期せぬ事態が起こる。江東区新砂三丁目の東京湾マリーナで、係留中のクルーザーのデッキ上に女性の死体があるという通報が入った。ここも城東署の管轄だった。さらに水に縁のある場所で事件が起こった。葛木は嫌な予感を抱く。
刑事部上層部の判断により、二つの事件は同一犯によるものとして、特捜部が連続殺人死体遺棄として、捜査を拡大することに進展する。事件の筋読みがどう進展するか。どういう分担で捜査活動が始まるか。本書でお楽しみいただきたい。
俊史管理官がプロファイリング視点から発想した靴フェティシズムという一つの観点での聞き込み捜査から、幸田正徳という独身、28歳の男が浮かび上がってくる。初犯だったので略式起訴で済んでいたという。幸田正徳に関しての周辺情報が捜査されていく。
一方、聞き込み捜査を続ける中での情報から、第三の被害者が既に出ている可能性を葛木は懸念し始める。
極秘で進められていた捜査だったが、<江東区連続殺人事件、手口は運河上での絞殺か>という三段抜きの大見出しで新聞報道になってしまう。あきらかに特捜部の捜査活動を内部の誰かがリークしたのだ。俊史管理官の顔から血の気が引く事態になる。
機密扱いの情報を朝の全体会議でオープンにしたのが、その日の夕刊の記事になっていた・・・・・という事態だから。
情報のリークを契機として、俊史管理官と山岡係長は正面切って捜査方法に関して対立する形に進展していく。山岡は己がこの帳場を仕切ると言い出す。所轄捜査員たちの所轄魂が一層ふるい立っていく。
読者にとっては、おもしろい展開に突き進む。
このストーリーが一捻りおもしろい展開となるのは、問題の幸田正徳である。幸田正徳に関わる捜査情報が累積していく中で、幸田には姉の死に関わって警察に対する不信感があったことも明らかになる。また、幸田正徳の生活歴や人間関係が明らかになる中で、幸田にとっても知らぬ間に陰湿な伏線が秘められていた事実が明らかになってくる。そして葛木や大原課長が警察官としての職を賭けた行動に出る。その所轄魂が鮮やかに実を結んでいく。ストーリーのこのラストスパートが実に読ませどころとなっている。
ご一読ありがとうございます。
この印象記を書き始めた以降に、この作家の作品で読んだものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『突破口 組織犯罪対策部マネロン室』 幻冬舎
『遺産 The Legacy 』 小学館
葛木には俊史という既婚の一人息子がいる。俊史はキャリアであり、今年の四月に人事異動で警視庁捜査一課の管理官に着任していた。一方、葛木はノンキャリアのたたき上げである。俊史は父親に言う。「親父は子供のころからおれの心のヒーローだったんだから。警視庁捜査一課の刑事なんてみんなテレビドラマでしか知らないけど、おれの場合は自分の親父がそうだったんだから」と。そして屈託なく笑う。
六月の最初の日曜日午後二時過ぎ、自宅に居る葛木に強行犯捜査係の山井巡査から着信が入る。横十間川親水公園内に放置されている死体が発見された。二十代とみられる女性で、絞殺の可能性が高いと言う。葛木は事件現場に行き、現場に姿を見せた大原課長と第一機捜の小隊長上尾らと初動捜査の打ち合わせをする。到着した検視官は絞殺と判断した。葛木は被害者が靴を履いていなかったことから、別の場所で殺害されて、この公園に遺棄された可能性を考える。偶発的事件ではないと読む。
この事件は城東警察署に何と特別捜査本部が設置されることに。さらにその帳場に息子の俊史が管理官として出向くように刑事部長から命令が出たという。刑事部長名の捜査本部開設発令書が城東署に届き、葛木が驚く前にと俊史が事前に連絡してきたのである。つまり、組織的には息子が上司、葛木が部下という指示命令系統で捜査を進める立場になる。ストーリーとしては、今後どういう展開となるのか、読者を惹きつける興味深い設定が組み込まれている。
この特捜部に本庁から出向いてきたのは殺人犯捜査第十三係で、それを率いるのは山岡宗男係長。「鬼の十三係」とも「壊しの十三係」とも呼ばれ、良くも悪くも苛烈な捜査手法で異彩を放ち、所轄を辟易とさせることで悪名が高い捜査班である。警視庁捜査一課で葛木が所属した九係の係長とは犬猿の仲の人物だった。
大原課長自身も、山岡と一緒だった頃の経験があり、山岡係長は刑事としての執念や馬力には脱帽するところがあるが、同僚や配下の人間を消耗品として扱い、自分の手柄に結びつけるタイプと評価した。それでなくとも、捜査一課から出っ張ってきた刑事たちにはエリート意識が強く、所轄の刑事を見下しているところがあると所轄の刑事たちは受け止めている。いわば、所轄にとっては来て欲しくない捜査班である。
これで特捜部の大凡の色合いがわかるというおもしろい背景設定となっている。
バラバラ死体でもなく、腐乱死体でもない、きれいな状態の遺体が、発見されやすい公園の木立に放置されていた。一見単純そうに見えるこのヤマを、庶務担当管理官はなぜ捜査本部ではなく特捜扱いにしたのか?
特捜本部が設置された最初の会議で、刑事部長はこの事案は一見簡単そうで、じつは手ごわい、一気呵成の解決を目指せと訓示した。だが、そうはうまく進まない。
管理者として殺人事件の帳場経験のない葛木俊史管理官(以下、俊史管理官と略す)。「壊しの十三係」と悪名の高い山岡係長とその部下たち。そして所轄城東署の強行犯捜査係他の捜査員たち。所轄の係長である葛木は心理的に微妙な立場に立たされることになる。
このストーリーのおもしろいところは、いくつかある。
一つは、山岡係長が新米の管理官をあなどり、己が主導権を握ってこの特捜部を仕切って行く気配を折々に見せていく。それに対して俊史管理官がどう対処していくかという側面だ。葛木は俊史管理官がこの特捜部の指揮に失敗し汚点を残さないようにと、気づかいながらサポートする立場に追い込まれるところにある。
もう一つは、山岡係長の捜査班のエリート意識と横暴ともいえる振る舞いが、所轄の捜査員たちを内心激怒させるところにある。山岡係長の言動が因となり、捜査活動の進展とともに、所轄の捜査員たちが所轄の意地と底力を捜査一課の連中に見せてやろうと一致団結する形に展開していく。ここが捜査プロセスにおける組織的なダイナミクスという側面での読ませどころとなる。そこから生まれたのが「所轄魂」というキーワードである。
特捜部が立ち、聞き込み捜査が三日間つづくが、突破口が未だ見つからない。そこに予期せぬ事態が起こる。江東区新砂三丁目の東京湾マリーナで、係留中のクルーザーのデッキ上に女性の死体があるという通報が入った。ここも城東署の管轄だった。さらに水に縁のある場所で事件が起こった。葛木は嫌な予感を抱く。
刑事部上層部の判断により、二つの事件は同一犯によるものとして、特捜部が連続殺人死体遺棄として、捜査を拡大することに進展する。事件の筋読みがどう進展するか。どういう分担で捜査活動が始まるか。本書でお楽しみいただきたい。
俊史管理官がプロファイリング視点から発想した靴フェティシズムという一つの観点での聞き込み捜査から、幸田正徳という独身、28歳の男が浮かび上がってくる。初犯だったので略式起訴で済んでいたという。幸田正徳に関しての周辺情報が捜査されていく。
一方、聞き込み捜査を続ける中での情報から、第三の被害者が既に出ている可能性を葛木は懸念し始める。
極秘で進められていた捜査だったが、<江東区連続殺人事件、手口は運河上での絞殺か>という三段抜きの大見出しで新聞報道になってしまう。あきらかに特捜部の捜査活動を内部の誰かがリークしたのだ。俊史管理官の顔から血の気が引く事態になる。
機密扱いの情報を朝の全体会議でオープンにしたのが、その日の夕刊の記事になっていた・・・・・という事態だから。
情報のリークを契機として、俊史管理官と山岡係長は正面切って捜査方法に関して対立する形に進展していく。山岡は己がこの帳場を仕切ると言い出す。所轄捜査員たちの所轄魂が一層ふるい立っていく。
読者にとっては、おもしろい展開に突き進む。
このストーリーが一捻りおもしろい展開となるのは、問題の幸田正徳である。幸田正徳に関わる捜査情報が累積していく中で、幸田には姉の死に関わって警察に対する不信感があったことも明らかになる。また、幸田正徳の生活歴や人間関係が明らかになる中で、幸田にとっても知らぬ間に陰湿な伏線が秘められていた事実が明らかになってくる。そして葛木や大原課長が警察官としての職を賭けた行動に出る。その所轄魂が鮮やかに実を結んでいく。ストーリーのこのラストスパートが実に読ませどころとなっている。
ご一読ありがとうございます。
この印象記を書き始めた以降に、この作家の作品で読んだものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『突破口 組織犯罪対策部マネロン室』 幻冬舎
『遺産 The Legacy 』 小学館