『百人一首』はその歌の組み合わせによる謎解き本で興味を覚え、そこから解釈・説明本や研究本を読み進めている。通読してはいないが参照本として利用している解釈本も多い。手許にも合わせれば十数冊になっていた。
この本は百人一首全体を組み合わせてその構図を示したり、撰者藤原定家の意図の謎解きをしたりする謎解き本ではない。また第一首から第百首まで、順番にその歌意と歌の成立背景を解釈・解説していくガイド本でもない。かなりユニークな一書である。そういう意味で、実におもしろい仕上がりとなっている。
「はじめに」の一文の末尾に、著者自身が本書の構成についてその発想を簡潔に要約されている。下手な説明をするより、その要約をまずここに転記することから始めよう。
①時代背景・作歌の状況を「定家」に語らせ
②作者自身の「口」で、さらに詳しい状況を
③訳は、作歌時の心情が浮かび上がるように歌心を捉えた「五七五七七」の短歌形式に
④作者同士の関連に着目し次の人に駅伝宜しく「たすきをつなぐ」形で
という構成になっている。
著者は最初に定家に「謹上」させる。「百人一首」は後世に付けられた呼び名で、元は「百人秀歌」と名付けただけだと。その後に、「ここにその時 選びの由来 歌の詠まれし 経緯(いきさつ)記して 関連歌を 手渡し渡し 順次繋いで 解き解(ほぐ)し為し 読み易きにと 物語(かたり)としたり」とつづく。この部分を転記したのは、上記①のスタートラインがここにあること、並びに基本型は七語のフレーズの繰り返しで語り部として語っていく文体で記されていることである。 [付記:下線の語句にふられた独自のルビとが照応している]
歌の作者のプロフィールや時代背景、その歌を選んだ定家の意図を語らせる。勿論、撰歌の理由・意図は本書の著者の解釈であろう。これまでの百人一首研究者の所見を踏まえた上での著者の考えが語られていることと思う。
「たすきつなぎ」とは百人一首のリレーである。歌の作者が自分と何らかの関係を持つ人物を指名して、「たすき」を渡すのである。では誰から始めるか。第一詠歌者は誰か? 本書の著者はやはり、天智天皇から始めている。本書の定家は語りの末尾でこう述べる。「以下に続くは 天智の系譜 故に先ずにと 取り上げ為すは 始祖と崇める 所以にありて」と。
一首に対し、見開きの2ページが当てられている。右ページの上段に定家の語りが枠囲みで記されている。下段に作歌本人が詠じた歌の背景やそれに至る経緯を語るのである。つまり、本書著者は、撰者の意図を述べる立場と、詠歌者の心情・信条・事情を述べる立場の二役を書き分けている。読者にとっては、一首が創作された背景情報を語り口調で知り、理解することになる。
ということで、各ページは通常の解釈本のように、説明文がびっしりと詰まっているわけではない。白地がゆったり広がっている。普通の文章を書き綴るよりも、基本が七語調の語り言葉で書く、つまり凝縮させるという苦労があったのではないかと思う。どのフェーズを切り取り、語ると背景を分かりやすく伝えられるかという点での工夫が要ったことだろう。
読者の立場では、最初は少し基本七語調の語りという文体にとっつきにくいかもしれない。なぜなら、そんな文体のものを読む機会がそう有るわけではないだろうから。読み慣れると、それなりにリズム感が伴ってくる。ちょっと異世界に入るというおもしろみを味わいながら読めると思う。
例えば、第一詠者の天智天皇は、「我を冷血非道の帝王と酷評為すは これ致し方なきか」と語りだし、日本書紀に記された事実の要点に触れる。そして、「我れにも 民慈しみの心情(こころ)ありしを この歌にて 証左と為すに 信ずるや否や」と締めくくる。
見開きの左のページに「百人一首」の詠歌がまず記される。よくご存知の一首が記されている。その後が、著者の本領発揮である。この一首の語義解釈や解説は一切なし。その一首の歌心を短歌形式で翻案する。それも現代口語かつ、関西弁口調の歌にして詠むのである。ここらあたりが、『万葉集』の口語短歌形式の訳出と同じ方針が貫かれ、著者の真骨頂が表出されている。著者による本歌のエッセンスつかみ取りの訳出である。
この天智天皇の歌の場合、次のように訳出されている。
<< 秋の田を 番する小屋の 苫目(め)ぇ粗(あ)ろて
わしのこの袖 偉(え)ろ露濡(ぬ)れるがな >>
この左側のページの残るスペースの使われ方は、詠まれた一首ごとにいくつものパターンが出て来ている。
*空白のままにする
*[参考]類歌を載せ、合わせてその口語短歌形式の訳を付ける。
*詠歌者の系譜や人間関係を系譜図や人間関係図で分かりやすく提示する。
*百人一首かるたの挿絵を入れる。
*詠歌者のプロフィールを捕捉記載する。
*詠歌者と関係のある人々との歌のやり取りを記す。
*特定の語句(例えば、蔵人頭、薬子の変、安和の変など)の説明を加える
これらの組み合わせである。つまり、ワンポイント、重点主義での説明部分がある。
左ページの左下角には枠囲みの中に、その詠者が誰にどのような関係、意図でたすきを引き渡すのかの理由等説明が述べられる。たとえば、天智天皇は持統天皇にたすきを渡す。その時のメセージは次の通りである。
「我れが娘の 鵜野讃良皇女(うのささらひめ) 天武天皇(てんむ)嫁ぎて 皇后となり 後に天皇 持統となるに 次を託すが 良いかな娘」
ここでは、後世の視点から詠者にたすきを渡す理由説明の書き方という実際にはできない記載も入っている。天智は己の娘が後に持統として天皇位に就くことは知り得ないはずだから。読者にその人間関係や理由を説明する便法的な説明と言える。
いずれにしても、こんな感じで百首にたすきつなぎが進んで行く。
どんな順番に歌が繋がって行くのか? 「百人一首」の順番の番号を使って、そのイメージを理解していただこう。
1→2→3→4→6→7→11→9→12→17→16→13→15→20→14→28→22→37→23→19→
という具合である。このたすきつなぎでは、5番猿丸太夫、8番喜撰法師、10番蝉丸、15番光孝天皇、18番藤原敏行朝臣、21番素性法師その他が抜けている。どこでどういう風にたすきつなぎが行われるかも楽しめる次第である。この抜け番の中で一例を言えば、後半に入り、67番周防内侍から猿丸太夫がたすきを受けて、5→8→10→69(能因法師)というたすきつなぎになっていく。
定家の語りと詠歌者の語りに凝縮し、本歌に関西弁風口語短歌で訳出併記するだけというスタイルに限定するというユニークなやり方故にだろうと思うが、本歌の表記について独自の表記をしている場合がある。同じページにポピュラーな百人一首かるたが併載されていたりして、その異動も対比確認できる工夫がみられる。こういうチガイ探しをするおもしろさもある。一例を示す。第72番祐子内親王家紀伊の歌である。
本書: 噂(おと)に聞く高師の浜の徒波(あだなみ)は懸けじや袖の濡れもこそすれ
他書: 音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖のむれもこそすれ
(有吉保・安東次男・鈴木日出男)
音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ (吉内直人)
音にきくたかしの浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ (島津忠夫)
おとにきく高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ (久保田正文)
順不同だが手許にある研究者の解説本はこのような表記になっている。そして「音に聞く」の解釈を「うわさに聞く、評判の高い、よく知られた」と説明する。「あだ波」は、「徒浪、仇浪、いたずらに寄せては返す波、いたずらに立つ波」などと語釈している。
本書では本歌の中に「噂」「徒波」という漢字で意味を伝え、「おと」「あだなみ」とルビをふることで、本歌を読ませているといえる。こういう手法が各所にみられる。解説を加えずに本歌を読ませるという工夫ととらえるのがポジティブだろう。音を重視すれば邪道とされることかもしれないが・・・。
序でにこの歌の著者翻案の短歌を記しておこう。
<<名の高い 高師徒波 被ったら 袖が濡れるに 被りは為(す)まい>>
(評判の 浮気心の 徒情け 受けて許せば この袖涙)
後の括弧付きの翻案は、本歌がダブルミーニングの意味を込めた歌であり、裏の意味を翻案していることになる。こういう翻案も説明抜きという点からおもしろい。
他にもある本書に特徴をご紹介しておこう。見開きのページでいくつか工夫した資料が併載されている。
1.飛鳥・藤原時代から鎌倉時代までのどの時代にどの歌人がその一生を過ごしたのかを棒グラフで全体図として、大きな事件とともにまとめた「百人一首歌人年表」が作成されている。
2.「歌人百相関」として、歌人百人の人間関係を様々なラベルで分類し、相関関係を1枚にまとめている。作者独自の分類だろう。これとは違った分類の可能性はあるかもしれない。著者が分類に使ったラベルを例示すると、平安以前、充孝即位憎し、六歌仙、隠遁歌人、恋多き女三傑、定頼を回る女、王朝女流歌人、道長憎し・・・といろんな視点から発想されている。
3.たすきつなぎの進展にあわせ、あるまとまりで右ページに「百人一首歌枕地図」が載っていて、左ページには「百人一首年表」載せてある。最初マトリクス表の数字の意味が解せなかったのだが、ふと気づいた。縦に年月が左端に記され、当該時期の天皇名欄の右に歴史的事項が名称表示されている。その右に上端に歌人名が並び、その縦列に歴史的事項に合わせてその行に数字が並んでいる。この数字、歌人のその歴史的事項があった年の年齢が記されているものだった。これ、意外と便利である。一目瞭然である年次における歌人の年齢がわかり、他の歌人との相対比較もできるから。
「百人一首歌枕地図」と「百人一首年表」とにそれぞれ15ページずつが使われている。
これら3つの資料は本文と独立して、一つの参照資料としても役立ちそうである。
関西弁風口語短歌形式での本歌の翻案には好き嫌いがあるかもしれないが、おもしろい試みとして一読する価値はあると思う。翻案の仕方の工夫を探るのも読む楽しみとなることだろう。
最後にクイズ形式で著者の訳出例をご紹介する。作者が誰で、本歌はどの様に詠まれた歌かを考えてほしい。即答できれば、貴方は相当な百人一首通でしょう。たぶん・・・。
山鳥の 垂れ尾長いで この長い 夜を独りで 寝ならんのか
遠望(みはるか)す 島々見据え 漕ぎ出たと 告げよ釣り舟 京居(お)る人に
知れた今 思嘆(なげ)いてみても どもならん この身滅(ほろ)ぼと 逢わずに措(お)くか
躊躇無(ちゅうちょの)う 寝たらよかった 月眺め 西行くまでも 待たんとからに
恨めして 濡れ続け袖 朽(く)てへんに 恋で名朽(く)ちるは 我慢がならん
滝早瀬(たきはやせ) 岩が邪魔して 別れるが 先で会うがな わしらも一緒
生きてたら 今の辛さも 思い出か 今は懐かし 昔のつらさ
この命 いっそ絶(た)えよや 生きてたら 隠し恋心(ごころ)の 決心(かたさ)も弱る
再会も 誰と気付く間 無し帰る 雲に隠れた 夜半月(つき)やなまるで
馴染(なじ)み里 梅花(うめ)変わらんと 香り来(く)が あんたの心 さあどうやろか
関西弁で詠まれると、百人一首も身近こうなるもんですな・・・・・・・。そんな歌なんや!
ご一読ありがとうございます。
補遺
百人一首について :「嵯峨嵐山文華館」
百人秀歌 :ウィキペディア
百人秀歌 :「コトバンク」
百人一首の一覧
百人一首一覧 :「四季の美」
百人一首決まり字一覧
『百人一首』ミニ写真紀行 :「久良岐古典研究所」
百人秀歌 :「渋谷栄一」
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その点、ご寛恕ください。)
著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『万葉歌みじかものがたり 一』 JDC
『万葉歌みじかものがたり 二』 JDC
『万葉歌みじかものがたり 三』 JDC
『万葉歌みじかものがたり』第4巻・第5巻 JDC
『万葉歌みじかものがたり 六』 JDC
この本は百人一首全体を組み合わせてその構図を示したり、撰者藤原定家の意図の謎解きをしたりする謎解き本ではない。また第一首から第百首まで、順番にその歌意と歌の成立背景を解釈・解説していくガイド本でもない。かなりユニークな一書である。そういう意味で、実におもしろい仕上がりとなっている。
「はじめに」の一文の末尾に、著者自身が本書の構成についてその発想を簡潔に要約されている。下手な説明をするより、その要約をまずここに転記することから始めよう。
①時代背景・作歌の状況を「定家」に語らせ
②作者自身の「口」で、さらに詳しい状況を
③訳は、作歌時の心情が浮かび上がるように歌心を捉えた「五七五七七」の短歌形式に
④作者同士の関連に着目し次の人に駅伝宜しく「たすきをつなぐ」形で
という構成になっている。
著者は最初に定家に「謹上」させる。「百人一首」は後世に付けられた呼び名で、元は「百人秀歌」と名付けただけだと。その後に、「ここにその時 選びの由来 歌の詠まれし 経緯(いきさつ)記して 関連歌を 手渡し渡し 順次繋いで 解き解(ほぐ)し為し 読み易きにと 物語(かたり)としたり」とつづく。この部分を転記したのは、上記①のスタートラインがここにあること、並びに基本型は七語のフレーズの繰り返しで語り部として語っていく文体で記されていることである。 [付記:下線の語句にふられた独自のルビとが照応している]
歌の作者のプロフィールや時代背景、その歌を選んだ定家の意図を語らせる。勿論、撰歌の理由・意図は本書の著者の解釈であろう。これまでの百人一首研究者の所見を踏まえた上での著者の考えが語られていることと思う。
「たすきつなぎ」とは百人一首のリレーである。歌の作者が自分と何らかの関係を持つ人物を指名して、「たすき」を渡すのである。では誰から始めるか。第一詠歌者は誰か? 本書の著者はやはり、天智天皇から始めている。本書の定家は語りの末尾でこう述べる。「以下に続くは 天智の系譜 故に先ずにと 取り上げ為すは 始祖と崇める 所以にありて」と。
一首に対し、見開きの2ページが当てられている。右ページの上段に定家の語りが枠囲みで記されている。下段に作歌本人が詠じた歌の背景やそれに至る経緯を語るのである。つまり、本書著者は、撰者の意図を述べる立場と、詠歌者の心情・信条・事情を述べる立場の二役を書き分けている。読者にとっては、一首が創作された背景情報を語り口調で知り、理解することになる。
ということで、各ページは通常の解釈本のように、説明文がびっしりと詰まっているわけではない。白地がゆったり広がっている。普通の文章を書き綴るよりも、基本が七語調の語り言葉で書く、つまり凝縮させるという苦労があったのではないかと思う。どのフェーズを切り取り、語ると背景を分かりやすく伝えられるかという点での工夫が要ったことだろう。
読者の立場では、最初は少し基本七語調の語りという文体にとっつきにくいかもしれない。なぜなら、そんな文体のものを読む機会がそう有るわけではないだろうから。読み慣れると、それなりにリズム感が伴ってくる。ちょっと異世界に入るというおもしろみを味わいながら読めると思う。
例えば、第一詠者の天智天皇は、「我を冷血非道の帝王と酷評為すは これ致し方なきか」と語りだし、日本書紀に記された事実の要点に触れる。そして、「我れにも 民慈しみの心情(こころ)ありしを この歌にて 証左と為すに 信ずるや否や」と締めくくる。
見開きの左のページに「百人一首」の詠歌がまず記される。よくご存知の一首が記されている。その後が、著者の本領発揮である。この一首の語義解釈や解説は一切なし。その一首の歌心を短歌形式で翻案する。それも現代口語かつ、関西弁口調の歌にして詠むのである。ここらあたりが、『万葉集』の口語短歌形式の訳出と同じ方針が貫かれ、著者の真骨頂が表出されている。著者による本歌のエッセンスつかみ取りの訳出である。
この天智天皇の歌の場合、次のように訳出されている。
<< 秋の田を 番する小屋の 苫目(め)ぇ粗(あ)ろて
わしのこの袖 偉(え)ろ露濡(ぬ)れるがな >>
この左側のページの残るスペースの使われ方は、詠まれた一首ごとにいくつものパターンが出て来ている。
*空白のままにする
*[参考]類歌を載せ、合わせてその口語短歌形式の訳を付ける。
*詠歌者の系譜や人間関係を系譜図や人間関係図で分かりやすく提示する。
*百人一首かるたの挿絵を入れる。
*詠歌者のプロフィールを捕捉記載する。
*詠歌者と関係のある人々との歌のやり取りを記す。
*特定の語句(例えば、蔵人頭、薬子の変、安和の変など)の説明を加える
これらの組み合わせである。つまり、ワンポイント、重点主義での説明部分がある。
左ページの左下角には枠囲みの中に、その詠者が誰にどのような関係、意図でたすきを引き渡すのかの理由等説明が述べられる。たとえば、天智天皇は持統天皇にたすきを渡す。その時のメセージは次の通りである。
「我れが娘の 鵜野讃良皇女(うのささらひめ) 天武天皇(てんむ)嫁ぎて 皇后となり 後に天皇 持統となるに 次を託すが 良いかな娘」
ここでは、後世の視点から詠者にたすきを渡す理由説明の書き方という実際にはできない記載も入っている。天智は己の娘が後に持統として天皇位に就くことは知り得ないはずだから。読者にその人間関係や理由を説明する便法的な説明と言える。
いずれにしても、こんな感じで百首にたすきつなぎが進んで行く。
どんな順番に歌が繋がって行くのか? 「百人一首」の順番の番号を使って、そのイメージを理解していただこう。
1→2→3→4→6→7→11→9→12→17→16→13→15→20→14→28→22→37→23→19→
という具合である。このたすきつなぎでは、5番猿丸太夫、8番喜撰法師、10番蝉丸、15番光孝天皇、18番藤原敏行朝臣、21番素性法師その他が抜けている。どこでどういう風にたすきつなぎが行われるかも楽しめる次第である。この抜け番の中で一例を言えば、後半に入り、67番周防内侍から猿丸太夫がたすきを受けて、5→8→10→69(能因法師)というたすきつなぎになっていく。
定家の語りと詠歌者の語りに凝縮し、本歌に関西弁風口語短歌で訳出併記するだけというスタイルに限定するというユニークなやり方故にだろうと思うが、本歌の表記について独自の表記をしている場合がある。同じページにポピュラーな百人一首かるたが併載されていたりして、その異動も対比確認できる工夫がみられる。こういうチガイ探しをするおもしろさもある。一例を示す。第72番祐子内親王家紀伊の歌である。
本書: 噂(おと)に聞く高師の浜の徒波(あだなみ)は懸けじや袖の濡れもこそすれ
他書: 音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖のむれもこそすれ
(有吉保・安東次男・鈴木日出男)
音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ (吉内直人)
音にきくたかしの浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ (島津忠夫)
おとにきく高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ (久保田正文)
順不同だが手許にある研究者の解説本はこのような表記になっている。そして「音に聞く」の解釈を「うわさに聞く、評判の高い、よく知られた」と説明する。「あだ波」は、「徒浪、仇浪、いたずらに寄せては返す波、いたずらに立つ波」などと語釈している。
本書では本歌の中に「噂」「徒波」という漢字で意味を伝え、「おと」「あだなみ」とルビをふることで、本歌を読ませているといえる。こういう手法が各所にみられる。解説を加えずに本歌を読ませるという工夫ととらえるのがポジティブだろう。音を重視すれば邪道とされることかもしれないが・・・。
序でにこの歌の著者翻案の短歌を記しておこう。
<<名の高い 高師徒波 被ったら 袖が濡れるに 被りは為(す)まい>>
(評判の 浮気心の 徒情け 受けて許せば この袖涙)
後の括弧付きの翻案は、本歌がダブルミーニングの意味を込めた歌であり、裏の意味を翻案していることになる。こういう翻案も説明抜きという点からおもしろい。
他にもある本書に特徴をご紹介しておこう。見開きのページでいくつか工夫した資料が併載されている。
1.飛鳥・藤原時代から鎌倉時代までのどの時代にどの歌人がその一生を過ごしたのかを棒グラフで全体図として、大きな事件とともにまとめた「百人一首歌人年表」が作成されている。
2.「歌人百相関」として、歌人百人の人間関係を様々なラベルで分類し、相関関係を1枚にまとめている。作者独自の分類だろう。これとは違った分類の可能性はあるかもしれない。著者が分類に使ったラベルを例示すると、平安以前、充孝即位憎し、六歌仙、隠遁歌人、恋多き女三傑、定頼を回る女、王朝女流歌人、道長憎し・・・といろんな視点から発想されている。
3.たすきつなぎの進展にあわせ、あるまとまりで右ページに「百人一首歌枕地図」が載っていて、左ページには「百人一首年表」載せてある。最初マトリクス表の数字の意味が解せなかったのだが、ふと気づいた。縦に年月が左端に記され、当該時期の天皇名欄の右に歴史的事項が名称表示されている。その右に上端に歌人名が並び、その縦列に歴史的事項に合わせてその行に数字が並んでいる。この数字、歌人のその歴史的事項があった年の年齢が記されているものだった。これ、意外と便利である。一目瞭然である年次における歌人の年齢がわかり、他の歌人との相対比較もできるから。
「百人一首歌枕地図」と「百人一首年表」とにそれぞれ15ページずつが使われている。
これら3つの資料は本文と独立して、一つの参照資料としても役立ちそうである。
関西弁風口語短歌形式での本歌の翻案には好き嫌いがあるかもしれないが、おもしろい試みとして一読する価値はあると思う。翻案の仕方の工夫を探るのも読む楽しみとなることだろう。
最後にクイズ形式で著者の訳出例をご紹介する。作者が誰で、本歌はどの様に詠まれた歌かを考えてほしい。即答できれば、貴方は相当な百人一首通でしょう。たぶん・・・。
山鳥の 垂れ尾長いで この長い 夜を独りで 寝ならんのか
遠望(みはるか)す 島々見据え 漕ぎ出たと 告げよ釣り舟 京居(お)る人に
知れた今 思嘆(なげ)いてみても どもならん この身滅(ほろ)ぼと 逢わずに措(お)くか
躊躇無(ちゅうちょの)う 寝たらよかった 月眺め 西行くまでも 待たんとからに
恨めして 濡れ続け袖 朽(く)てへんに 恋で名朽(く)ちるは 我慢がならん
滝早瀬(たきはやせ) 岩が邪魔して 別れるが 先で会うがな わしらも一緒
生きてたら 今の辛さも 思い出か 今は懐かし 昔のつらさ
この命 いっそ絶(た)えよや 生きてたら 隠し恋心(ごころ)の 決心(かたさ)も弱る
再会も 誰と気付く間 無し帰る 雲に隠れた 夜半月(つき)やなまるで
馴染(なじ)み里 梅花(うめ)変わらんと 香り来(く)が あんたの心 さあどうやろか
関西弁で詠まれると、百人一首も身近こうなるもんですな・・・・・・・。そんな歌なんや!
ご一読ありがとうございます。
補遺
百人一首について :「嵯峨嵐山文華館」
百人秀歌 :ウィキペディア
百人秀歌 :「コトバンク」
百人一首の一覧
百人一首一覧 :「四季の美」
百人一首決まり字一覧
『百人一首』ミニ写真紀行 :「久良岐古典研究所」
百人秀歌 :「渋谷栄一」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『万葉歌みじかものがたり 一』 JDC
『万葉歌みじかものがたり 二』 JDC
『万葉歌みじかものがたり 三』 JDC
『万葉歌みじかものがたり』第4巻・第5巻 JDC
『万葉歌みじかものがたり 六』 JDC