遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『風神雷神 Jupiter, Aeolus』上・下  原田マハ  PHP

2020-03-02 21:38:46 | レビュー
 「風神雷神」というタイトルと表紙の絵を見た時、即座に俵屋宗達を思い浮かべた。まず、タイトルに惹かれた。読んでみなきゃ・・・というのがまず最初の思い。宗達をどのように描いて行くのだろうかという強い関心があるからだ。
 読後印象はまず面白かった。フィクションとしての面白さと言える。
 この小説は現在時点と天正8~13年、つまり1580~1585年という時代との二重構造の構成になっている。現在時点から天正年間へタイムスリップする媒体が一束の古文書である。その古文書の記録を天正年間に起こったこととして描いて行く故に、著者が創作したストーリーがフィクションだとわかりつつ、違和感を感じずに自然に引きこまれていく。天正年間のヴアーチャル・リアリティの世界にすんなりと入り込めるという仕掛けになっている。
 著者は、同時代に生きた一群の人々を「もし」という観点で結びつけた。基盤となる史実を踏まえた上でどのようなヴァーチャルな現実を描けるかということにチャレンジしたのだろうと思う。それも謎多い俵屋宗達を基軸にして・・・・・。
 この小説では、主な登場人物として、俵屋宗達を核に、織田信長・狩野永徳・イエズス会の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ、パードレのオルガンティーノ、遣欧使節となる少年-伊東マンショ・千々石ミゲル・原マルティノ・中浦ジュリアンー、ゴアのコレジオ・デ・サンパウロの院長、ヌーノ・ロドリゲスが結びついていく。そして、イタリアのミラノではミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョと運命的に結びつく。まさにフィクションの面白さにのめり込んでいける組み合わせである。

 すべての始まりは宗達が描いた「白象図」にある。この杉戸に描かれた親子の白象図は、京都国立博物館の少し南に位置する養源院に現存する。この杉戸絵の「白象図」が現在時点と天正年間時点という2つの時空で、それぞれのストーリーのトリガーになっていく。
 現在時点のストーリーはプロローグとエピローグで描かれ、天正年間時点は第1章~第4章という4章構成でストーリーが展開する。
 現在時点のストーリーは、天正年間にタイムスリップするための導入である。少し類のない点は、プロローグが55ページの長さで書き込まれていることだろう。それが、全体のストーリー展開をなめらかにしている。

 現在時点の主人公は京都国立博物館研究員、望月彩。彼女が「江戸初期の謎の絵師 俵屋宗達『風神雷神図屏風』をめぐる解釈」という演題で講演するという場面から書き出される。この望月彩は子供の頃、父方の祖父の法要のために母に連れられて養源院に行き、杉戸絵の「白象図」に出逢った。その時の体験が原点となり、その後宗達にのめり込み、研究者としての道を歩むことになった。謎多い宗達の人生と作品を解明し、いつか宗達の真筆を集めた美術展の企画したいという抱負を抱く研究員である。
 彼女が、講演後にマカオ博物館の学芸員と名乗るレイモンド・ウォンに面会を求められる。レイモンドとの面会が、望月彩をマカオに旅立たさせることになる。そして、マカオ博物館の一室で、レイモンドから一枚の板絵に描かれた油絵を見せられ、その後ぼろぼろに傷み黄ばんだ古い紙の束を見て欲しいと要望される。
 その古文書のいちばん上の紙には、流麗なアルファベットで、「ユピテル アイオロス 真実の物語」と記され、作者名はファラ・マルティノと記されていた。天正遣欧使節の一人、原マルティノの可能性が高いと推測されるのだ。レイモンドは彩にどういう経緯でこの板絵と古文書を一緒に入手したかを語る。そして、彩とコンタクトを取ったのは、この物語の本文は日本語の古文で、行書で書かれていたことと、その文中に俵屋宗達という名が楷書で書かれていたからなのだ。学芸員であるレイモンドにとり、この板絵と古文書は宗達に関わる新たな発見になるかもしれないのだった。
 彩はこの「ユピテル アイオロス 真実の物語」を読み始める。
 プロローグはこのストーリーにとって一種劇的な始まりとなる。

 つまり、この古文書が時空を天正年間にタイムスリップさせて、遣欧少年使節の経緯と宗達の関わりを描くストーリーに転じさせるリンキングになっている。時空の二重構造へすんなりと読者を導いていく。遣欧少年使節の渡欧に宗達が同行することになる。キリシタンの4少年と宗達の渡欧における立場・視点の違いがもう一つの二重構造として加わっていく。
 天正年間のストーリーが4章構成で語られていく。これが、いわば起承転結という展開構成になっていると思う。

 第1章は「起」である。何が始まるのか?
 このストーリーの冒頭は、天正8年(1580年)肥前・有馬である。原マルティノが有馬に新設されるセミナリオに入学することが決まり、実家での剃髪式に臨む場面から書き出される。ファラ・マルティノ名での「ユピテル アイオロス 真実の物語」ということなので、これは当然かもしれない。
 なぜ遣欧少年使節を日本から送るという発想が生まれたのか。なぜ俵屋宗達がその一行に加わることになったのかが、明らかになっていく。ストーリーとしては、展開の始まる準備段階になる。
 ここで「白象図」が宗達をローマに行かせる原因となる。それは織田信長の命令によりということになるのだが、その経緯が描き込まれていく。京の扇屋「俵屋」の息子であり、数えで12歳になった頃に、彼の扇絵の評判が伝わり、安土城の信長の面前に呼び出される。信長の面前にて今までに見たこともない絵を即興で杉戸に描かねばならない土壇場に追い込まれる。結果的に「白象図」を描いたのだ。信長は大いによろこび、彼に「宗達」という名前を与えた。
 そして、信長は、狩野永徳に、宗達を使い3カ月で新たな<洛中洛外図屏風>を描けと命じる。信長の目論見は、永徳が描いた屏風絵をヴァリニャーノに託して、ローマの教皇への贈り物にするということだった。その屏風に宗達を同行させるという肚だった。なお、そこにはもう一つ、隠された信長の狙いがあった。この経緯の描写が最初の一つの読ませどころとなる。
 一方で、ヴァリニャーノが考えた遣欧少年使節という意図が4人の少年たちの日常生活とともに描かれて行く。このあたりは、たぶん史実の裏付けがかなりある部分にフィクションが加えられているのだろう。その日常生活描写に、宗達がのフィクションの要素として加わることになる。
 「おもしろき絵」という言葉がストーリーを貫く一つのキーワードとなっていく。

 第2章は「承」である。上巻から下巻にまたがって、事の発端を承けることになり、この章が進む。
 1584年(天正12年)8月、激しい嵐の後に、陸地ポオルトガルが見えるという感動的な場面から始まる。そして、時間軸を1582年(天正10年)2月20日、のちに「天正遣欧使節」と呼ばれる一行が長崎を出港した時点に時を溯ってこのストーリーが進展する。ここではヨーロッパへの上陸前の船旅での経緯が描かれる。それは少年たちの対立・融和という人間関係が築かれるプロセスでもある。著者はヴァリニャーノの意図の真の理由にも触れている。勿論、航海の危険姓と苦しさもリアルに描き込まれていく。
 とりわけ宗達とマルティノの間に築かれる信頼関係が描かれて行く。マカオを経由してゴアに到着する経緯が主として描かれる。マカオを出港する時に、ヴァリニャーノは現地に留まり、ヌーノ・ロドリゲスに遣欧少年使節を託することになる。少年たちの心理が描かれて行く。ゴアを出発する前に、ヴァリニャーノは、マルティノに日記をしたためなさい、日本語で道程のすべてを記録しなさいと、勧めたのだ。その結果が「ユピテル アイオロス 真実の物語」という古文書につながるということなのだろう。

 第3章は「転」である。状況がゴロリと変化する。航海中の苦しさから、驚嘆と寬喜の連続へと転換していく。
 1584年(天正12年)8月11日、使節団一行が、ポルトガルのリスボンに足を踏み入れた時点から、ヴァチカンのシスティナ礼拝堂を経て、隣接する「帝王の間」で、使節団一行が第226代ローマ教皇グレゴリオス十三世に謁見する場面までが描かれる。宗達が信長からの献上品の<洛中洛外図屏風>を教皇に披露し捧げる役目を果たし終える場面がこの章の末尾となる。
 ヨーロッパ上陸後の少年使節たちの姿、西洋の文化に適合していく側面と謁見の機会を得た感動が描き出されていく。独自の立ち位置を貫く宗達の姿と行動の描写がおもしろい。また、その謁見にはイエズス会サイドの一つの作為とも言える演出があった側面も描き込まれていて興味深い。
 
 第4章は「結」である。1585年(天正13年)7月25日の見出しから始まる。
 グレゴリオス十三世に少年使節が謁見したことで、4少年にとっての渡欧目的は達成された。後は長旅となるが無事帰国の途につくまでの日程をこなしていくことになる。ヴァチカンを後にしてミラノへ移動する。8月8日には、ジェノヴァから出港し、帰途に就くことになる。
 だが、宗達にはまだ彼自身の目的は達成されていない。<洛中洛外図屏風>を教皇に届けるという使命は完遂した。だが、宗達のもう一つの目的は、絵師の工房を訪ねて、油絵の具で布に絵を描いているところを実際に見てみたいということである。ミラノでの数日の滞在が最後の機会なのだ。マルティノの助力を得て、ロドリゲスに宗達は己の望みを伝える。だが、その目的は時間的に無理だと否定される。宗達はせめて、ミラノ随一の絵師が描いた絵を見ることができないかと食い下がる。レオナルド・ダ・ヴィンチの名前を出してみる。
 宗達はマルティノとともに、ロドリゲスの配慮を得て、ドミニコ会派の教会なのだが、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会を訪れる機会を得る。第4章は、あの有名な壁画と、そこで絵師を目指す一人の少年との偶然の出逢いを描いて行く。少年の名はミケランジェロ・メリージである。この場面が最後の読ませどころとなっていく。
 そして、それが、「Jupiter, Aeolus」という本書の副題、さらには、古文書の表題「ユピテル アイオロス 真実の物語」に結びつくだ。
 第4章、つまり天正年間の時空は、使節団一行がジェノヴァを出港する場面で終わる。それが、古文書「ユピテル アイオロス 真実の物語」の末尾でもあるのだろう。

 二重構造は現在時点に戻り、「エピローグ」となる。マカオ博物館の一室で、レイモンドから一枚の板絵と古文書を見せられた望月彩が、香港行き高速船のフェリーターミナルでレイモンドと別れる場面である。この一枚の板絵と古文書との出逢いに対する彩の思いが綴られている。
 最後に、二人はいつか協力しあって展覧会が開けるといいなという考えを語り合う。
 彩には、その機会がきたときの展覧会のタイトルはもう決まっているとひそかに思う。 末尾には、その展覧会のタイトルが記されている。おもしろいエンディングでもある。
 宗達とマルティノの間に育まれた友情、信頼関係が実によい。それが読ませどころである。

 ご一読いただきありがとうございます。

本書に関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
俵屋宗達  :ウィキペディア
俵屋宗達  :「美術手帖」
京都観光の穴場!俵屋宗達の名作がいつでも見られる! 「養源院」は必見スポット:「和楽」
  杉戸に描かれた「白象図」の画像が掲載されています。
風神雷神を描いた俵屋宗達。実は琳派の創始者だった! :「和楽」
狩野永徳 :ウィキペディア
狩野永徳 :「美術手帖」
洛中洛外図  :ウィキペディア
天正遣欧少年使節 :ウィキペディア
2.天正少年遣欧使節 日本のカトリック教会の歴史 :「Laudate ラウダーテ」
[帰国シテから大変だった!?]天正遣欧使節のその後  :「歴人マガジン」
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ :ウィキペディア
まえがき:ヴァリニャーノ :「seseragi せせらぎ」
日本に「西洋的な考え方」を導入する方法 —(巡察師ヴァリニャーノと日本):「isologue(イソログ)」
天正遣欧使節を仕組んだ男 ヴァリニャーノの誤算 :「ONLINEジャーニー」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)