遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『法隆寺の謎を解く』  武澤秀一  ちくま新書

2020-03-12 18:56:38 | レビュー
 法隆寺は現存する世界最古の木造建築であり、日本で最初に世界遺産に登録されたことでも有名である。その一方で未だに不確かなところや様々な謎が語られる寺でもある。法隆寺の僧侶であり、仏教学者でもある高田良信師(1941-2017)による2冊の本がその後再編集され『法隆寺の謎と秘話』(小学館ライブラリー)と題して出版されている。この本に「法隆寺の七不思議」が載っていておもしろい。それに加えて、「七不思議以外の謎」として七項がまとめられている。その二つ目に「『日本書紀』に法隆寺再建の記事がない」という項がある。明治以降、長年にわたり、法隆寺再建・非再建論争が続いてきた。だが、この点は昭和14年の発掘調査の結果、裏付けの証拠が出土したことから、一応再建説で決着がついたようである。
 「七不思議以外の謎」の最初が「中門の入口が二口あること」である。 本書はこの第一項に直接関連した謎解きをテーマにしている。2006年6月に出版されている新書である。一昔前の出版だが、鎌倉時代の法隆寺の僧侶も話題にしていることを考えると、ごく最近の問題提起と言える。この新書はかなり前に入手していたのだが、先日法隆寺を探訪したことを契機にして読んだ次第。
 
 法隆寺の南大門を入り、真っ直ぐに北に歩むと大きな中門がある。その正面には2つの出入口があり、中門のちょうど真ん中に柱がでんと立っている。多くのお寺の中門の入口は一つなので、正面に立てば境内の建物群を遮るものなしに見ることができる。だが、法隆寺はそうではない。これはなぜかという疑問が論議を生み出してきた。なぜ、著者がこの謎解きにチャレンジするようになったのか、その経緯から本書を書き始めている。

 「はじめに-挫折から」では、まず、突然に舞い込んだ大きな仕事-納骨堂の設計-が頓挫した事実を語る。しかしこの仕事に関わったことが結果的に著者を法隆寺へと導いたという。

 「序章 法隆寺の謎」では、建築家であり大学教授である著者が、法隆寺に関わるいくつかの大きな謎を概括する。そして未だ解明されていない事項に絞り込む。著者の所見を後で展開していくための問題意識の伏線になっている。「法隆寺に謎を見いだすのは、法隆寺に大きな価値と魅力を感じているからこそです」(p34)と述べ、「今まで見えてなかった法隆寺の本当の姿、本当の意味、本当の価値に到達すること」(p34-35)をめざすという表明で締めくくる。いわば所信表明である。

 「第一章 法隆寺をめぐる」では、法隆寺の立地と歴史的な位置づけの説明を導入として、建築家の視点から法隆寺の西院伽藍をめぐったときの観察、体験と印象をわかりやすくまとめて行く。勿論、中門についての第一印象も記されている。中門・回廊・五重塔・金堂を順にめぐっていく過程から、「めぐる」という行為に着目していく。それは「はじめに」での著者の体験とリンクしている。「このめぐる動きがあって空間はいよいよ生気を帯びていきます」(p86)と記す。

 「第二章 めぐる作法/めぐる空間」では、「めぐる」という行為に関わる作法と空間を、朝鮮半島からインドの源流まで溯る。その行為の伝搬という歴史的な時間軸・空間軸に転じて捉え直していく。列柱回廊、東院の夢殿、祈りのかたちとしてめぐる空間の間に共通する「めぐること」の意味を著者は「言い知れぬ充足」に見出す。そして、「めぐることの魔力はワープすることにある。確かに何かが了解されるのです」(p138)と論じている。めぐる行為への意識の喚起と言える。

 「第三章 法隆寺は突然変異か」がいよいよ謎解きの第一段階になる。中門の「門の真ん中に立つ柱」の謎についての謎解きである。まず最初に、著者は従来の説として、明治以降の代表的な見解を7つに整理して提示している。詳細は本書をお読みいただくと頭の整理ができると思う。その第4に『隠された十字架 法隆寺論』という大胆な仮説を発表した梅原猛説を挙げている。それは一時期大評判となった見解、つまり怨霊封じ込め説である。
 「できるだけ他の見地を包含し、ゆたかな意味を汲み上げてゆきたいというのがわたしの基本的なスタンスです。」という立場から著者は持論を展開していく。結論的にはこの梅原説の怨霊封じ込め説と第3にあげられた竹山道雄説(ひとの選別説)の二種の見解を否定している。他の5つの見解は自説と両立すると説明していく。
 著者は四天王寺に代表されるタテ型伽藍配置に対して、法隆寺がヨコ型伽藍配置に転換された点を重視する。そして、中門の真ん中のタテに並んだ4本の柱は、横並びの配置を決める隠された中軸ラインを想定させるものと言う。それはいわばビテイコツのような位置づけであり、真ん中にあるからこそ重要な意味を持つのだと論じていく。
 中門の二つの口について、列柱回廊は聖域をめぐる通路、プラダクシナー・パタとして、大勢の人々が右廻りでめぐっていく場所でもあり、入口と出口として区別することで有効に機能したのだろうと推定している。第一章・第二章がこの第三章での自説展開の基礎になり、呼応する関係になっている。

 「終章 日本文化の原点に向かって」は、第三章で建築家の視点から中門の柱を論じることに重点を置いた自説に対し、学際的な視点から考察を加えて自説を補強していく。四天王寺のようなタテ型伽藍配置は、南北に中軸をとる中国伝来の垂直的構図という大原則の導入であると説く。それに対し、日本列島で古来から尊重されてきたヨコ並び、東西軸の水平的構図という空間意識に転換した結果が法隆寺の伽藍配置に反映していると著者は論じていく。近年の発掘調査で発見された百済大寺の復元図や、川原寺の伽藍復元図に再建新生法隆寺以前の先行段階が見られると言う。つまり、天皇直属ないし系列下の寺院でみられる伽藍配置の系譜なのだと論じていく。「伽藍建立は発願者の政治的権力のみならず美意識や文化レベルの高さをも示しうる機会」(p230)だと論じる。著者はその政治的意味合いがはるかに大きかったとみる。そこには古代王朝における権力闘争の一端が垣間見える。
 さらに、塔と金堂が独立する二つの焦点となり、正面を向いて並び立つことから生まれる相互のゆるやかな関係を読み解く。そして、真ん中に立つ柱を避けて左右どちらかの入口に立つことから塔や金堂への視線が斜めの角度となる。その時に生まれる間合いが心をととのえるゆとりにつながると論じている。

 中門の真ん中に柱があるという意味が新たな視座から論じられている。この謎解きの論理的な説明プロセスが興味深くかつおもしろい。そこには怨霊が入り込む余地はない。

 法隆寺の西院伽藍配置を外に立ち眺めるという視座からだけの発想ではない。中門の入口から内部に一歩踏み入り、配置された伽藍そのものをめぐるという視座から発想された見解である。読者自身も、著者の立ち位置、視座から追体験できるところが著者見解の強味と言える。つまり、めぐるという視点から観察された記述部分は、法隆寺境内をめぐるガイドブックとして役に立つ。現地で該当箇所を部分読みしながら拝観すると法隆寺をより深く知ることができるだろう。

 ご一読ありがとうございます。

本書並びに法隆寺に関係した事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
法隆寺  ホームページ
  法隆寺伽藍  
武澤秀一  :ウィキペディア
「世界遺産をめぐる」 武澤秀一先生  :「宗教情報センター」
高田良信 :ウィキペディア
怨霊封じ?秘仏の祟り? 法隆寺の謎に肉薄した高田良信長老とは :「AERAdot.」
隠された十字架  :ウィキペディア
法隆寺の七不思議 :「日本の宝物殿 法隆寺地域の仏教建造物」
世界遺産1300年の歴史 法隆寺のことがすべてわかる!  ホームページ
  法隆寺の七不思議1
  法隆寺の七不思議2
百済大寺
吉備池廃寺跡  :「古寺巡訪」
吉備池廃寺発掘調査報告  :「全国遺跡報告総覧」
謎多き大寺~川原寺~  :「川原寺」
せん仏埋納坑の全容判明 - 明日香川原寺裏山遺跡  :「奈良新聞」

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