遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『死にがいを求めて生きているの』  朝井リョウ  中央公論新社

2020-10-03 15:55:14 | レビュー
 「螺旋プロジェクト」に連なる作品のうちの一作。「海族」と「山族」との対立の物語というこの「螺旋プロジェクト」に興味を抱き、この小説もその一環として読んだ。原始から未来への時間軸、「螺旋」年表では、本書は平成の時代を背景とした小説である。「小説BOC」創刊号~10号(2016年4月~2018年7月)に連載され、加筆・修正されて2019年3月に単行本化されている。
 
 本書の構成がおもしろい。章名はすべて人名。「1 白井友里子」「2 前田一洋」「4 坂本亜矢奈」「6 安藤与志樹」「8 弓削晃久」「10 南水智也」と続く。白井友里子と南水智也は各1章、他の4人は前編・後編と各2章に及ぶ。これらの人々のある時期の己の行動と思い、そして彼または彼女の生き方が描かれていく。そして、章名には現れない人物、堀北雄介と関わって行く。彼らは「生きるということ」の意味をそれぞれが異なる形で意識しつつ、己の生き方を模索している。その生き様と人間関係の中で、ある時期にあるいは継続的に堀北雄介との接点を持つ。それぞれの人名のセクションは緩やかな形であるが一応その人物のある時期の物語として完結しているというスタイルになっている。さらにその人物たちは、全体のストーリーに関わりを持っていく。

 白井友里子は、看護師になって3年目、22歳。北海道札幌市内の病院に勤めていて、305号室の患者南水智也を担当している。智也は東京都内の病院から札幌に移されてきた患者である。智也は東京都内のマンションで転倒し意識不明の状態で病院に緊急搬送された。以来重度の脳挫傷による植物人間状態が続いている。
 この病室に頻繁に訪れてくるのが、堀北雄介なのだ。友里子は顔見知りになった雄介と会話を交わすようになる。友里子は、雄介と智也の家が近く、幼稚園からずっと一緒だったこと、家族より以上に一緒に経験したことの意識がある関係だと雄介から聞く。友里子は休日に年の離れた弟が親友の転校のことで落ち込んでいるのを見て、305号室に弟の翔太を連れて行き雄介に会わせるという行動を取る。翔太は親友の転校後、自分は何を生きがいにすればいのかと戸惑っていたのだ。一方、友里子は夢と希望を抱き看護師の道に進んだが、今や日常のルーティン化した看護師生活に疑問を感じ始めている。その思いが描かれる。
 なぜ、雄介が智也の病室を頻繁に訪れるのか。翔太に会った雄介は、「今日が、何かが変わる前日なのかもしれないって、思おうよ」と語りかける。

 このストーリー、雄介と智也、この二人と人間関係を持った人々を順に取り上げていくというプロセスを介して、雄介と智也の関係が徐々に明らかになっていく。そして、智也が植物人間になった原因へと辿って行くことになる。

 白井友里子の続きに登場する人物のプロフィールを簡単にご紹介しておこう。
前田一洋
 小学校時代に北海道に転校し、智也と雄介を知り友達関係を築く。前田の目に移った智也と雄介の関係が描き込まれていく。彼らの間で話題になるのが漫画『帝国のルール』のシリーズであり、それは劇場版として映画化もされる。小学校時代の前田自身並びに前田を介して雄介・智也の生き方が回想される。

坂本亞矢奈
 亜矢奈の視点から、亜矢奈とその友人・礼香、雄介と智也の高校時代の人間関係が描かれて行く。
 坂本は水泳部に所属。智也も水泳部に属し、智也は次期部長となる。智也は水泳だけが得意だった。これは一つの伏線になっている。また、礼香は雄介に惹かれている。
 2年生の夏休みの宿題に職場体験がある。雄介は父の会社での職責名称と漫画『帝国のルール』に登場するウィンクラー大佐の役職名称との類似性から、勝手なイメージを膨らませていた。雄介の父が勤める会社で4人は職場体験を行う。それは雄介にとり勝手に思い込んだイメージが崩壊するほろ苦い思い出になる。

安藤与志樹
 安藤は北海道大学の学生である。学部は違うが、雄介も智也も北大の学生になった。
 大学時代のそれぞれの生き方、試行錯誤が描かれて行く。
 安藤は「半径5メートルを変えようと奮闘する若者たちに光を当てるスペシャル番組」に出演し、同様に出演した雄介を知り、雄介との関係ができていく。当初、安藤は音楽と言葉で政治を身近にしようという行動をし、RAVERSというグループを立ち上げる。だが、その行動は挫折へと向かい、安藤は生き方を変えていく。安藤はスペシャル番組に出演した波多野めぐみの活動に関わりを持っていく。
 安藤の目線を介して、半径5メートルを変えようとさまざまな分野で「生きがい」を求めて行動する若者群像が描かれていく。併せて雄介が己の行動を通じて変えようとする対象が移っていく姿が書き込まれていく。その陰には智也が常に居た。
 ある時期の北海道大学のキャンパスの雰囲気が描き込まれている。
 安藤を介して、海山伝説と漫画『帝国のルール』との関係性が俎上に上ってくる。ここでもう一つの伏線が加わっていく。
 ここに描かれた北海道大学の雰囲気と伝統行事が興味深い。それ自体フィクションなのかもしれないが・・・・。

弓削晃久
 ここで初めて、中年男が登場する。彼もまた己の生き方に不完全燃焼気味のやるせなさを抱いている。テレビ番組制作会社で特にドキュメンタリーを扱うディレクターであるが、落ち目になりつつある。その弓削は、北大の学生自治存続問題をドキュメンタリーにする企画に関わっていた。その企画は中止になった。その弓削がテレビ局の石渡から毒ガス製造の拠点として使用されていた嬉泉島を題材にしたドクメンタリーの話を持ちかけられる。一方、その島は海山伝説発祥の地「鬼仙島」と同じではないかという説も囁かれ出しているという。弓削はこの企画にやる気と生きがいを感じ始める。
 この企画の裏付けを調べて行く中で、「嬉泉島渡航計画/海山伝説駆逐計画」の名の下に人々を集め訓練するという施設のリーダー「長老」の存在が明らかになってくる。この時この制作会社で前田一洋がアルバイトをしていた。そこで前田は突然に南水智也に連絡を取る。その結果弓削と南水智也とに接点が生まれる。智也が行動に出たのはそこに雄介が関係しているからだった。ストーリーは急転回していくことに・・・・。

南水智也
 305号室のベッドに植物人間状態で横たわる智也。智也の聴覚だけは機能している。その智也は雄介が病室に来ていること、友里子の話すこと、ショウタと雄介の会話のこと、などすべて聴いている。この状態で智也ができることは、雄介と己の関わりを回想していくことである。つまり、この回想の叙述により、智也が植物人間になるまでの経緯が明らかになって行く。
 305号室に看護師の友里子が居て、坂本亞矢奈が訪れている場に、田中一洋が智也の見舞いに訪れてくる。そして、そこに雄介がやってくる気配がする。それがこのストーリーのクライマックスとなる。智也に劇的な現象が起こる。

 智也自身の回想の中で、雄介に語りかけることとして、次の文の個所がある。
 「・・・・・、立ち向かう何かに対して命を注ぐことで、死ぬまでの時間に何かしらの意味を付与していないと不安でたまらないこと。」「・・・・・・、別々なものとして共に生きていくためにはどうすればいいかを考える、それでは、雄介の言う生きがいには足らないだろうか」
 他のセクションではそれぞれが己の「生きがい」に目を向けているのに対し、智也はこう回想の中でこのようなフレーズを含めた問いかけを雄介にする。「死にがいを求めて生きているの」という本書のタイトルは、このあたりの文脈に由来するように私は受けとめた。

 この小説は、海山伝説の柵を基底にしながら、「生きがい」とは何かについて、さまざまな登場人物を介して彼らの行動と思い悩む姿を描き出すことがテーマとなっているように感じた。そして、読者に対し「生きがいとは?」を投げかけるストーリーである。
 海山伝説が雄介・智也にどう関わり、どう影響しているかについては、本書を開けて楽しんでいただくとよい。

 ご一読ありがとうございます。


本書から関心を抱いた事項で事実レベルでの情報をネット検索してみた。得られた事項を一覧にしておきたい。
寮長挨拶 :「北海道大学恵迪寮」
【全文公開】平成7年度卒論『北海道大学恵迪寮における「自治」の意味付けの分析』:「note」
大久野島の毒ガス製造 :ウィキペディア
地図から消されていた毒ガスの島、広島「大久野島」に残る戦争遺跡:「LINEトラベル」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


「螺旋」プロジェクトに関連する次の小説の読後印象をまとめています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ウナノハテノガタ』  大森兄弟  中央公論新社
『月人壮士 つきひとおとこ』  澤田瞳子  中央公論新社
『もののふの国』  天野純希  中央公論新社
『蒼色の大地』  薬丸 岳   中央公論新社
『コイコワレ』  乾ルカ    中央公論新社
『天使も怪物も眠る夜』  吉田篤弘  中央公論新社