遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『フィデル出陣 ポーラースター』  海堂 尊  文藝春秋

2020-10-13 23:32:44 | レビュー
 本書のタイトルが目に止まった。「ポーラースター」という副題に気づいたことによる。というのは、以前に『ポーラースター ゲバラ覚醒』、チェ・ゲバラの伝記風小説を読んでいたからである。こちらはフィデル・カストロを取り上げている。本書は「ポーラースター・シリーズ」の第4作になるようだ。「週刊文春」の2018年2月15日号~2019年12月19日号に連載された後、加筆して2020年7月に単行本として出版された。

 『ポーラースター ゲバラ覚醒』を読んだ後、「ポーラースター・シリーズ」が出ていることをうかつにも気づかなかった。『ゲバラ漂流 ポーラースター』が単行本の第2作として刊行され、それぞれ文庫本化されていた。さらに『フィデル誕生 ポーラースター3』が文庫本で出版されているのを知った。いずれ中間の二作を順次読んでみたい。

 さて、本書はキューバ国民にとっての英雄、フィデル・カストロの若き時代の行動を史実を踏まえたフィクションの伝記風小説として描き出している。
19歳になったばかりのフィデル・カストロ=ルス(以降、フィデルと記す)は、1945年8月、ハバナ大学の法学部に入学する。「1 フィデル見参」は、最新型のV8タイプの白いフォードに乗って、ハバナ大学のキャンパスに降り立つ場面の描写から始まる。「26 翼に夢を」は、1955年7月、フィデルがメキシコに亡命した時点を描いている。
 メキシコシティの空港に降り立ち、数日後の集会でフィデルが独演会を実施し、そこで一人の青年に出会う場面でこのストーリーは終わる。「その青年こそ、フィデルの片腕となりキューバ革命の戦略面を支える英雄、エルネスト・チェ・ゲバラだった。二人が出会った時、チェは『放浪者』にすぎない。そんな彼を二十世紀を代表する革命家にしたのはフィデルの熱情と、チェが終生抱いたフィデルへの敬愛の情だった」(p527)と著者は記す。
 久しぶりに、上下二段組みで500ページを少し越えるボリュームの長編小説を読むことになった。

 「あとがき」で、著者は「キューバ革命の本質は、米国経済支配からの脱却だ。それは日本ではあまり口の端に上らない」(p532)と記す。
 キューバにおける民主化運動を抑圧し、親米的立場のもとに独裁的政権として振る舞い、大統領就任期間中に己の蓄財を優先させる政治体制の打破をフィデルは目指す。ハバナ大学に入学した時点から、独裁政権打破・米国経済支配からの脱却を目的に、将来の政治家を目指し、フィデルは真底からの政治的人間として果敢に行動していく。フィデルの反逆の軌跡が描かれていく。キューバ革命の背景に何があったか、その前夜ともいうべき段階でフィデルがどのような行動を取っていたのかがイメージしやすくなる小説である。
 このストーリーを読むと、フィデル・カストロに対する毀誉褒貶の振幅が大きくなることもうなづける。
 
 大学入学以降、メキシコへの亡命までの10年間のフィデルの行動を見るだけでも、彼の人生は波乱万丈だ。大学には籍を置くだけで専ら政治的活動に専念していたことが良く分かる。それも、大学内からの政治的活動という枠には収まらず、国内各地、さらには中南米地域の政治情勢の渦中にも自ら飛び込んでいくというスケールの広がりを見せている。本書を読み、フィデルの青年時代の生き様の特徴と節目をいくつか見出した。

*大学の授業はほとんど出ずに、図書館を拠点として独学で法律、歴史、政治史などを学んでいる。放校処分になりかけたが、それはうやむやのままになった。学務課は50科目の試験に合格すれば理論上卒業可能と言う。フィデルは2日で一科目の教科書を丸暗記し試験に合格すると次の科目を勉強するという形で、3ヵ月で50科目の試験に合格するという離れ業を為し遂げ、1950年6月にハバナ大学法学部を卒業し、弁護士資格を得たという。ずば抜けた頭脳の明晰さと記憶力を持っていたようだ。学業面のエピソードが幾つか出てくる。それがおもしろい。

*大学内の学生活動家とは常に一線を画し、独自の立ち位置で政治的活動を行ったことがわかる。学生同盟FEUの中枢部、学内の共産党系組織の活動、それぞれとは距離を置く。己のめざす政治活動を行うために、FEUの法学部代表になるが、それも己の信条のもとに活動を円滑に機能させる手段としか考えない。フィデルの政治信条と雄弁さ、行動力がフィデリストと称するシンパを生み出して行く。体制派にアンチの人々を周囲に引きつけていく。

*FEUの裏組織である<トロツキスト>のマスフェレルが作ったMSRと、<アナキスト>のエミリオ・トロが創設したUIRという2つの学内愚連隊とも、一線を画する。だが、私的なつながり次元において、MSRの突撃隊長ラファエル・デルビノとはサンチャゴの頃からの旧知として関係を維持する。デルビノの手引きで、意図的に裏情報を入手する仕組みも知ることいなる。それがフィデルの行動に役立つ事にもなる。
 一方、UIRのタカオ・アマギ副隊長とも相互に個人的な信頼関係を築いて行く。

*大学内の活動に留まらず、純正党に入党しあらゆる場で演説する機会を広げて行く。
 一方、チバスのラジオ放送番組で語る時間枠を与えられ、己の思想・信条を伝える場を作っていく。大学内の学生新聞の媒体も編集者に気に入られうまく活用していく。
 フィデルはメディアの使い方に巧みだったことが随所に出てくる。

*フィデルはFEUにドミニカ&プエルトリコ解放同盟委員会を立ち上げ、委員長におさまり、隣国問題にも関与していく。それがトリガーとなり、ドミニカの独裁者トルヒーヨ政権打倒のために義勇兵を集め、カリブ軍団の第二戦線創設という活動に着手する。軍事訓練まで行う段階に進展するが、国際政治の圧力で計画は頓挫する。フィデルにとって、一つの経験となる。だが、その結果について自己流の解釈しかしないという側面も見られる。
 また、コロンビアで開催される汎米会議に反対する形で企画された中南米国際学生会議に、FEU書記長が議長を任される。フィデルは先発隊として、議長代行という立場でこの会議の事前準備に深く関わって行く。それは、コロンビアの政治家でカリスマ的指導者のガイタンの謦咳に接する機会となり、ガイタンから学ぶことにもなる。だが、ガイタンが暗殺されるという事態に遭遇し、また「ボゴタソ」が発生した渦中でともに行動する立場にもなる。このとき外国での戦いの中に己を一時的にではあるが投入する経験をする。
 己の視点、発想、判断で、目標を設定し即行動に移していくフィデルの姿がここにも面目躍如として現れている。

*唐突に大学から退学処分の勧告をされる。それにフィデルが抗議したせいか、放校処分が宙ぶらりんの状態がつづく。なんとその時期に、フィデルは保守・体制側で上流階級の一族であるディアス=バラルト家のミルタに結婚を申し込む。ミルタの兄ラファエルは弁護士で体制側に居るが、フィデルの立場を容認している。フィデルが学生結婚をしたのである。私のものさしでは考えられない行動選択だ。凡人の発想との違いだろうか・・・・。
 フィデルは新婚旅行を兼ねて3ヵ月の新婚生活をアメリカで過ごす。この間に、二代前のキューバ大統領で現職の上院議員、フルヘンシオ・バチスタとの面談を始め、ピノ=サントスからの紹介でニューヨークを支配する重要人物数人に面会するという経験を積む。フィデルにとってのアメリカ観が形成される機会にもなる。
 このような展開を付随的に生み出していくところが、人間的なスケールの違いなのだろうか。

*1951年8月のチバスの自殺、1952年3月のバチスタ・クーデターを経て、1953年1月の「マルティエ生誕百年式典」での抗議デモへといよいよ変革前夜が迫っていく。フィデルは本格的な蜂起計画を練り始める。「モビミエント(運動)」という密かな組織作りを始めて行く。それは、サンチャゴのモンカダ兵営襲撃という計画実行に繋がって行く。
 だが訓練はしていても実践経験のないフィデルにとり、この襲撃は計画における誤算もあり水疱に帰す。だが、その戦いの顛末が後に大きな問題としてキューバを揺り動かしていく。
 フィデルの逃避行、逮捕収監、その後の裁判闘争、ピノス島の監獄への投獄という一連のプロセスが続いていく。バチスタ・クーデター辺りからの一連の経緯がやはり本書の一番の読ませどころとなっていく。
 勿論ここに、青年時代のフィデル・カストロの全てが集約していると言える。彼の信条と行動、死と行動の関係認識、彼の価値観と優先順位、人間性などが凝縮して表象されているといえる。
 

 私はキューバの歴史を何も知らないに等しい状態だった。政治史となれば尚更知識が無い。次々と出てくる独裁政権の変遷や内容はたぶん表層的な理解しかできていないし、その差異なども深くはわからないままに読み進めることになった。それでも、第二次大戦後のアメリカとキューバの経済面での力関係や、キューバの政治状況の雰囲気については大凡だが感覚的には深く伝わってきたと感じる。
 その環境の中で政治的人間として疾駆した青春時代のフィデル・カストロは、やはりキューバにとっては偉大な存在と受け入れられ、人々に深い共鳴を与えたのだと感じる。
「フィデル・カストロは、キューバ国民が矜持を取り戻すために必要なことをした」(p534)と「あとがき」の一文に帰している。

 このストーリーには、法とは何か? という命題も深く関わっているように思う。

 「あとがき」に著者は次のように書いている。
「筆者は本シリーズでキューバ革命の立役者チェ・ゲバラの物語を執筆しているうち、当時のキューバを理解しなければ革命の真髄はわからないと悟り、フィデル・カストロの物語を外伝として書いた。」(p531)と記す。チェ・ゲバラがフィデル・カストロを引き出してきたようだ。これもまた、おもしろいと言える。

 「あとがき」の一文で著者は「米国という国は建国以来、属国に対しワンパターンの対応を繰り返している。故にキューバとアメリカの物語を読めば、現代日本の置かれた状況を理解する一助になるだろう」(p531)と記している。著者の視点の一つがここに表明されている。本書は、我々の日本の状況を知る為の鏡の役割をも果たしている。

ご一読ありがとうございます。

本書からの波紋で関心事項を少し調べてみた。一覧にしておきたい。
キューバ :ウィキペディア
キューバ共和国 基礎データ  :「外務省」
フィデル・カストロ  :ウィキペディア
フルヘンシオ・バチスタ :ウィキペディア  
キューバの英雄ホセ・マルティ :「ONLYONE TRAAVEL」
キューバ独立の使徒、ホセ・マルティ~第二次ハバナ宣言冒頭演説~  :YouTube 
キューバの歴史   :ウィキペディア
ベネズエラ・ボリバル共和国 基礎データ  :「外務省」
ベネズエラの歴史  :ウィキペディア
コロンビア共和国  基礎データ  :「外務省」
コロンビアの歴史  :ウィキペディア

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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「遊心逍遙記」として読後印象を掲載し始めた以降に読んだ印象記のリストです。
出版年次の新旧は前後しています。
『氷獄』  角川書店
『ポーラースター ゲバラ覚醒』  文藝春秋
『スカラムーシュ・ムーン』  新潮社
『アクアマリンの神殿』  角川書店
『ガンコロリン』    新潮社
『カレイドスコープの箱庭』  宝島社
『スリジェセンター 1991』  講談社
『輝天炎上』 角川書店
『螺鈿迷宮』 角川書店
『ケルベロスの肖像』   宝島社
『玉村警部補の災難』   宝島社
『ナニワ・モンスター』 新潮社  
『モルフェウスの領域』 角川書店
『極北ラプソディ』  朝日新聞出版