『哄う北斎』から『フェルメールの憂鬱 大絵画展』と溯る形で読み継ぎ、著者のアートミステリー小説第1作に立ち戻った。このミステリー小説は、第14回日本ミステリー文学大賞新人賞を2010年に受賞した作品という。2011年2月に単行本が発行され、2013年3月に文庫本化されている。
画家ヴァン・ゴッホは主治医だった「医師ガシェの肖像」を描いた1ヵ月後に、パリ郊外の村で自殺した。その事実を冒頭で記した後、ストーリーは100年後、ロンドンにある美術品競売会社ルービーズにおけるこの絵のオークション風景から始まる。このオークションの様相が興味深い。イアン・ノースウィグはマリアの希望でこの絵を競り落としたいと頑張るが、金額に糸目をつけないアジア人画商、得体の知れない日本人に1億2000万ドルで競り落とされてしまう。それから時は2002年に飛ぶ。
このストーリー、大絵画展とどういう関わりがあるのだろうと疑問にすら思うことから始まる。男女二人がジャスダックに上場予定で値上りが確実という株のもうけ話の詐欺に遭う。男は群馬県南部の旧家、大浦家の長男荘介。美術大学卒業後、東京で小さなデザイン事務所を営んでいる。金銭感覚がなく借金まみれの生活を送っている。荘介の事務所に矢吹と名乗る男が業界誌2000部の制作という話を持ち込んでくる。それが切っ掛けで、矢吹との関係が深まり、その矢吹に騙され1000万円を準備し詐欺に遭う。その荘介の借金の返済に対し母定子は屋敷の蔵から骨董品等を持ち出して、東京銀座の日野画廊を仲介に品々を売却して、その金を息子に与えるということを繰り返している。
もう一人の女とは筆坂茜。元銀座のホステス、地方を転々とした後、今は都内の外れの地で、小さなスナックを経営している。彼女も闇金融の借金を抱える身。本物の遊び人の匂いを持った客・安福富男に株の話を持ちかけられ、500万円を準備し詐欺に遭う。
その頃、新聞には「大絵画展 4月11日より開催」という新聞広告が掲載されていた。この告知だけがこの後もストーリーの途中に唐突に時折挿入されていく。
ストーリーは若い無名の画家美濃部の話に転じる。銀座で日野画廊を営む日野智則のところに自作を幾度か持ち込む。日野はあるときその1作を買う。だが、その作品が日野画廊の柱の一つになっている日本画家戸倉秀道に買い取られる。戸倉はその絵を模写し自作として展覧会に出し入選する。後日にそれを知った美濃部は日野を恨む。
日野智則は13年前に、ロンドンのオークションで「医師ガシェの肖像」を競り落とした画商だった。日野は池谷実の代理人となった。池谷はブラックマネーを扱う。銀行での担保価値がつく時代になり、池谷にとり絵画はいわば資金操作の道具だった。日野は画商として池谷と一定の距離を置きつつ、絵画取引での関わりを維持する。「医師ガシェの肖像」の所有者は変転し、バブル崩壊後は銀行の担保物件として、他の絵画とともにレンタル倉庫会社の専用ロッカーに万全の管理で保管されている。
大浦荘介と筆坂茜は、自分たちが詐欺にあったと気づくと、言われるままに資金を振り込んだ証券会社の事務所を探し訪ねて行く。偶然二人はその事務所で鉢合わせることになる。その事務所自体がフェイクだった。お互いがその会社の人間と思い込みひと騒動をしている最中に、更に一人現れる。城田と名乗り、茜のスナックに幾度がかよって来ていた男だった。
城田は荘介と茜に己の身分を明かす。銀行から派遣されてある倉庫会社で債権管理をしているという。そして彼は、トランクルームには膨大な絵画が担保の回収として保管されていると語る。その中にゴッホの「医師ガシェの肖像」もあるという。城田はこの作品の来歴を二人に説明する。そして、倉庫会社からこの「医師ガシェの肖像」を盗み出すという仕事を二人に持ちかける。借金を重ねて株購入資金を準備した二人は、その返済の目処もなく切羽詰まっているために、この「医師ガシェの肖像」窃盗の話にのめり込んで行く。
窃盗の準備に必要な車両その他一切を城田が準備し、当日はその会社の警備の内部コントロールルームから二人に指示する。ただし、内部協力者が居るとわからぬようにカモフラージュし、犯行はあくまで二人によるものとみえるようにふるまうという。城田の正確で巧みな説明と作戦を聴いた二人は、その手順を実行することになる。
つまり、このストーリーのメインは、専用トランクルームから「医師ガシェの肖像」を盗み出すことである。それが二人にとっては、借金返済のためのミッションになる。
ただし、専用トランクルームには、2つのコンテナーが収めてあり、現場からはまずこの2つのコンテナーを盗みだし、別の場所に移動させて、そこで開梱して「医師ガシェの肖像」を抜き出す必要があるという。
そしていよいよ絵画窃盗行為が開始される。窃盗プロセスは緊迫感を醸し出しながらスピーディに進展していく。
このストーリーのおもしろさと読ませどころは低めの山から高い山にの如くに連なって行く。そして、その後下山の途中の眺めとなる。そのあたりをご紹介しよう。
*借金漬けになっている大浦荘介と筆坂茜が株に関わる詐欺行為を仕掛けられる手口が低めの山場と言える。欲に目がくらむというおもしろさと言える。
*日野画廊を営む日野智則の視点から、美術界の様相と絵画取引について、業界話的なエピソードを加えていて、この業界をイメージする上で読ませどころとなっている。一筋縄ではいかない世界といえようか。
*ヴァン・ゴッホ作「医師ガシェの肖像」の誕生と、その後のこの絵の所有者の変遷に関連した事実情報の提示やさまざまな作品にまつわる周辺話は、美術ファンにとって作品の背景を知るうえで興味深いことだろう。
*レンタル倉庫会社に侵入して絵画窃盗行為を働くプロセスの描写は大きな山場の一つとして読ませどころになっていく。
*ヴァン・ゴッホ作「医師ガシェの肖像」を入手したがっているスイスの銀行家が居るという。そこで盗み出された「医師ガシェの肖像」を池谷に転売目的で買わないかという話が持ち込まれる。池谷はこの話にうま味を感じて行動に乗りだす。
ここには13年前のオークションから始まり、バブル期の紆余曲折まで含め、池谷に意趣返しをしたいというさまざまな人々の思いがこもる池谷陥落作戦である。
海千山千の池谷の資金を吐き出させ、その罪悪を暴き出す契機づくりでもある。大掛かりな作戦として、読ませどころとなっている。これもまた大きな山と言える。
ここで、大浦荘介と筆坂茜沢も仕組まれた作戦をまったく知らずに一役買う形になるところもおもしろい。
池谷が現金と引き換えに見た「医師ガシェの肖像」には裏の仕掛けがあった。
*大浦と筆坂が盗み出した2つのコンテナには絵画が135点収納されていた。新聞は「総額2000億円、世界史上最高額の盗難事件」と報じる。
「医師ガシェの肖像」を除く残り134点が何処に行くのか? それが本書のタイトル「大絵画展」にリンクしていく。それはどのように。それは読んでのお楽しみである。
この大絵画展自体も相対的には低めの山場といえるが、全体の構成からはおさまりのよい読ませどころとなっている。
*日本の高度経済成長、バブル期における日本人の異様な美術品買いの行動が、芸術文化行動という視点から見つめられ、問題提起がなされているところもおもしろい。
*このストーリーの最大の読ませどころは、イアン・ノースウィグの思考と行動にある。それを城田がリーダーになり窃盗犯罪計画と池谷殲滅計画を実行していく。完全犯罪の遂行である。そのために全体のプロセスは緻密に二重三重に構造化されている。さまざまな人々の互いの関係性は極小化され、相互認知も極小化されることになり、全体構造を知る人は最小人数である。
最後は、オークションで「医師ガシェの肖像」を競り落とせなかったイアン・ノースウィグが、この絵を合法的に入手する手続ルートが組み込まれているという落とし所があるのだからおもしろい。
私は直近の作品から本書に溯って読んできた。イアン・ノースウィグ、城田、日野智則及び美術品競売会社ルービーズは本書から一貫して登場していくことがやっと確認できた。
さて、後は本書を開いてこの作品の構想のおもしろさを楽しんでいただきたいと思う。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連し関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
医師ガシェの肖像 :ウィキペディア
ゴッホが有名な「医師ガシェの肖像」を描く本編映像が解禁 『永遠の門 ゴッホの見た未来』 :「Celeb Extra」
ゴッホが最後にたどり着いた村オーベルシュルオワーズ :「O'bon Paris」
ゴッホ自殺の考察 :「ゴッホの考察サイト」
「絵画投資--もう一つの神話」の崩壊 :「cs-trans.biz」
絵画バブルはなぜ起こったか? :「AI TRUST」
洋画家/日本画家 1987~2010年度評価額変遷表 :「書画肆しみづ」
美術品を購入することについて :「銀座 おいだ美術」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
画家ヴァン・ゴッホは主治医だった「医師ガシェの肖像」を描いた1ヵ月後に、パリ郊外の村で自殺した。その事実を冒頭で記した後、ストーリーは100年後、ロンドンにある美術品競売会社ルービーズにおけるこの絵のオークション風景から始まる。このオークションの様相が興味深い。イアン・ノースウィグはマリアの希望でこの絵を競り落としたいと頑張るが、金額に糸目をつけないアジア人画商、得体の知れない日本人に1億2000万ドルで競り落とされてしまう。それから時は2002年に飛ぶ。
このストーリー、大絵画展とどういう関わりがあるのだろうと疑問にすら思うことから始まる。男女二人がジャスダックに上場予定で値上りが確実という株のもうけ話の詐欺に遭う。男は群馬県南部の旧家、大浦家の長男荘介。美術大学卒業後、東京で小さなデザイン事務所を営んでいる。金銭感覚がなく借金まみれの生活を送っている。荘介の事務所に矢吹と名乗る男が業界誌2000部の制作という話を持ち込んでくる。それが切っ掛けで、矢吹との関係が深まり、その矢吹に騙され1000万円を準備し詐欺に遭う。その荘介の借金の返済に対し母定子は屋敷の蔵から骨董品等を持ち出して、東京銀座の日野画廊を仲介に品々を売却して、その金を息子に与えるということを繰り返している。
もう一人の女とは筆坂茜。元銀座のホステス、地方を転々とした後、今は都内の外れの地で、小さなスナックを経営している。彼女も闇金融の借金を抱える身。本物の遊び人の匂いを持った客・安福富男に株の話を持ちかけられ、500万円を準備し詐欺に遭う。
その頃、新聞には「大絵画展 4月11日より開催」という新聞広告が掲載されていた。この告知だけがこの後もストーリーの途中に唐突に時折挿入されていく。
ストーリーは若い無名の画家美濃部の話に転じる。銀座で日野画廊を営む日野智則のところに自作を幾度か持ち込む。日野はあるときその1作を買う。だが、その作品が日野画廊の柱の一つになっている日本画家戸倉秀道に買い取られる。戸倉はその絵を模写し自作として展覧会に出し入選する。後日にそれを知った美濃部は日野を恨む。
日野智則は13年前に、ロンドンのオークションで「医師ガシェの肖像」を競り落とした画商だった。日野は池谷実の代理人となった。池谷はブラックマネーを扱う。銀行での担保価値がつく時代になり、池谷にとり絵画はいわば資金操作の道具だった。日野は画商として池谷と一定の距離を置きつつ、絵画取引での関わりを維持する。「医師ガシェの肖像」の所有者は変転し、バブル崩壊後は銀行の担保物件として、他の絵画とともにレンタル倉庫会社の専用ロッカーに万全の管理で保管されている。
大浦荘介と筆坂茜は、自分たちが詐欺にあったと気づくと、言われるままに資金を振り込んだ証券会社の事務所を探し訪ねて行く。偶然二人はその事務所で鉢合わせることになる。その事務所自体がフェイクだった。お互いがその会社の人間と思い込みひと騒動をしている最中に、更に一人現れる。城田と名乗り、茜のスナックに幾度がかよって来ていた男だった。
城田は荘介と茜に己の身分を明かす。銀行から派遣されてある倉庫会社で債権管理をしているという。そして彼は、トランクルームには膨大な絵画が担保の回収として保管されていると語る。その中にゴッホの「医師ガシェの肖像」もあるという。城田はこの作品の来歴を二人に説明する。そして、倉庫会社からこの「医師ガシェの肖像」を盗み出すという仕事を二人に持ちかける。借金を重ねて株購入資金を準備した二人は、その返済の目処もなく切羽詰まっているために、この「医師ガシェの肖像」窃盗の話にのめり込んで行く。
窃盗の準備に必要な車両その他一切を城田が準備し、当日はその会社の警備の内部コントロールルームから二人に指示する。ただし、内部協力者が居るとわからぬようにカモフラージュし、犯行はあくまで二人によるものとみえるようにふるまうという。城田の正確で巧みな説明と作戦を聴いた二人は、その手順を実行することになる。
つまり、このストーリーのメインは、専用トランクルームから「医師ガシェの肖像」を盗み出すことである。それが二人にとっては、借金返済のためのミッションになる。
ただし、専用トランクルームには、2つのコンテナーが収めてあり、現場からはまずこの2つのコンテナーを盗みだし、別の場所に移動させて、そこで開梱して「医師ガシェの肖像」を抜き出す必要があるという。
そしていよいよ絵画窃盗行為が開始される。窃盗プロセスは緊迫感を醸し出しながらスピーディに進展していく。
このストーリーのおもしろさと読ませどころは低めの山から高い山にの如くに連なって行く。そして、その後下山の途中の眺めとなる。そのあたりをご紹介しよう。
*借金漬けになっている大浦荘介と筆坂茜が株に関わる詐欺行為を仕掛けられる手口が低めの山場と言える。欲に目がくらむというおもしろさと言える。
*日野画廊を営む日野智則の視点から、美術界の様相と絵画取引について、業界話的なエピソードを加えていて、この業界をイメージする上で読ませどころとなっている。一筋縄ではいかない世界といえようか。
*ヴァン・ゴッホ作「医師ガシェの肖像」の誕生と、その後のこの絵の所有者の変遷に関連した事実情報の提示やさまざまな作品にまつわる周辺話は、美術ファンにとって作品の背景を知るうえで興味深いことだろう。
*レンタル倉庫会社に侵入して絵画窃盗行為を働くプロセスの描写は大きな山場の一つとして読ませどころになっていく。
*ヴァン・ゴッホ作「医師ガシェの肖像」を入手したがっているスイスの銀行家が居るという。そこで盗み出された「医師ガシェの肖像」を池谷に転売目的で買わないかという話が持ち込まれる。池谷はこの話にうま味を感じて行動に乗りだす。
ここには13年前のオークションから始まり、バブル期の紆余曲折まで含め、池谷に意趣返しをしたいというさまざまな人々の思いがこもる池谷陥落作戦である。
海千山千の池谷の資金を吐き出させ、その罪悪を暴き出す契機づくりでもある。大掛かりな作戦として、読ませどころとなっている。これもまた大きな山と言える。
ここで、大浦荘介と筆坂茜沢も仕組まれた作戦をまったく知らずに一役買う形になるところもおもしろい。
池谷が現金と引き換えに見た「医師ガシェの肖像」には裏の仕掛けがあった。
*大浦と筆坂が盗み出した2つのコンテナには絵画が135点収納されていた。新聞は「総額2000億円、世界史上最高額の盗難事件」と報じる。
「医師ガシェの肖像」を除く残り134点が何処に行くのか? それが本書のタイトル「大絵画展」にリンクしていく。それはどのように。それは読んでのお楽しみである。
この大絵画展自体も相対的には低めの山場といえるが、全体の構成からはおさまりのよい読ませどころとなっている。
*日本の高度経済成長、バブル期における日本人の異様な美術品買いの行動が、芸術文化行動という視点から見つめられ、問題提起がなされているところもおもしろい。
*このストーリーの最大の読ませどころは、イアン・ノースウィグの思考と行動にある。それを城田がリーダーになり窃盗犯罪計画と池谷殲滅計画を実行していく。完全犯罪の遂行である。そのために全体のプロセスは緻密に二重三重に構造化されている。さまざまな人々の互いの関係性は極小化され、相互認知も極小化されることになり、全体構造を知る人は最小人数である。
最後は、オークションで「医師ガシェの肖像」を競り落とせなかったイアン・ノースウィグが、この絵を合法的に入手する手続ルートが組み込まれているという落とし所があるのだからおもしろい。
私は直近の作品から本書に溯って読んできた。イアン・ノースウィグ、城田、日野智則及び美術品競売会社ルービーズは本書から一貫して登場していくことがやっと確認できた。
さて、後は本書を開いてこの作品の構想のおもしろさを楽しんでいただきたいと思う。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連し関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
医師ガシェの肖像 :ウィキペディア
ゴッホが有名な「医師ガシェの肖像」を描く本編映像が解禁 『永遠の門 ゴッホの見た未来』 :「Celeb Extra」
ゴッホが最後にたどり着いた村オーベルシュルオワーズ :「O'bon Paris」
ゴッホ自殺の考察 :「ゴッホの考察サイト」
「絵画投資--もう一つの神話」の崩壊 :「cs-trans.biz」
絵画バブルはなぜ起こったか? :「AI TRUST」
洋画家/日本画家 1987~2010年度評価額変遷表 :「書画肆しみづ」
美術品を購入することについて :「銀座 おいだ美術」
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その点、ご寛恕ください。)