遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『輝山』  澤田瞳子  徳間書店

2021-12-31 14:47:24 | レビュー
 現在の島根県西部は、江戸時代、石見国と称され、天領(幕府領)、津和野藩と浜田藩が分有し支配していた。江戸幕府は大森町に大森代官所を置き、石見銀山附御料を支配する役所とした。この代官所は江戸幕府開闢以前から銀の産出地である杣の山を御直山として擁し、銀採掘の生産管理・搬出・輸送等を監視する重要な任務を担っていた。代官所は大森町にあり、鉱山である銀山・杣の山などの地域は銀山町と称された。
 この大森代官所は江戸に置かれた勘定所の直轄支配を受ける体制下にある。
 岩田鍬三郎は50歳で大森代官所の代官として赴任する。彼は有能な藤田幸蔵に目をつけ元締手代として起用し石見国に伴って行った。

 このストーリーの中心人物は、大森代官所の中間として働く金吾である。彼は岩田代官に従って江戸から石見銀山までやって来た。なぜか?
 金吾はかつての上役である小出儀十郎の甘言にのり、代官・岩田鍬三郎を探れとの密命を受け入れたのだ。岩田代官の任務に落ち度があれば、それを密告するというのが彼の密かな使命となる。だが、金吾は岩田代官に関わる問題事象を代官所内の勤めからは容易に見つけることができなかった。
 金吾は、代官所に来た翌年、杣ノ山の守り神である佐毘売山(さひめやま)神社の祭の行事として、岩田代官が参詣するのに従う。そして、初めて大森町から銀山町に入る経験をした。そして、銀山町であれば、代官所のある大森町では聞けない岩田代官の噂話を耳にできる機会があるかもしれないと考えるようになる。その結果、代官所での勤務後に銀山町に足繁く出かけるという行動に出る。
 金吾は徳市という主人がやっている飯屋に出入りするようになり、徐々に銀山町の実態、人々が代官所や代官をどのように思っているかを知悉するようになっていく。

 金吾が中間として赴任し、当初「けどまあ、それも2,3年--いや、早ければ1年程度の辛抱だ」(p13)と胸算用をしていたのに反して、その歳月が7年を過ぎるという経緯を辿ることに・・・・・。その期間に銀山町では様々な出来事が発生し、金吾も巻き込まれて行く。
 
 この小説には2つのテーマがあると受けとめた。
 テーマの一つは、江戸時代の天領であり鉱山町である石見銀山という一つの社会を具体的な人間の営みとして描き出すという試みだと思う。そこには様々な視点があり、銀産出がどのような状況のもとで実行され、人々がどのような仕事を担い、どのような生活状況にあったか、何が問題となっていたか・・・・、それら様々な事象を含む総体として描き出されていく。
 代官所の仕組みと役割。江戸から赴任する代官とその家臣対土着の銀山役人の関係。大森町と銀山町の関係。町境の口屋(番所)の機能。御直山と自分山の区分。代官所と山師の関係。堀子・手子(てご)・柄山負(がらやまおい)という鉱山労働での機能分化とその実情。銀山町の一昼夜は一番から五番に五分割された24時間体制。間歩(坑道)と鉉(つる、鉱脈)から採掘される鏈(くさり、鉱石)と吹屋(製錬所)。吹屋を営む銀吹師。吹大工・灰吹師とユリ女(素石と正味鏈の選別をする女衆)。鏈拵(くさりごしらえ、選鉱)。民間の裏目吹所での花降上銀への精製。間歩で働く堀子たちがこぞって罹患する病(職業病)が気絶(けだえ)。・・・・・石見銀山に住む人々の営みが見えて来る。
 金吾は徳市の飯屋で、大谷筋の藤蔵という山師の下で働く堀子頭の与平次を知り、親しくなっていく。与平次を介して、惣吉・小六・市之助・増太郎・・・・と銀山町の人々との関わりが広がる。徳市の店の使用人・お春との関わりも深くなる。与平次はお春を想い続けているのだが、お春には心に秘めた想い人がいる。そのお春の想い人がストーリーの後半に登場し、金吾との接点ができていくことに・・・・・。

 もう一つのテーマは、金吾に与えられた密命の持つ意味の謎解きである。金吾は小出儀十郎から岩田代官の失策・不祥事等を暴くという密命を与えられ江戸から赴任してきた。だが、その密命の背景は金吾には知らされていない。岩田代官を貶めるという意図にはどのような企みが隠されているのか。その謎解きは金吾の人生に関わることになる。

 ストーリーの前半は、相対的にとらえると、金吾が銀山町に入り込んで行くプロセスを主に描く。最初のテーマにウエイトがかかっていく。そして、後半になると2つめのテーマに比重がシフトしていく。勿論、後半は、前半の石見銀山における岩田代官の治政が前提となって展開することではあるが、金吾に与えられた密命の背後に潜む意図についての謎解きとなっていく。
 7年を過ぎるまで、金吾は小出儀十郎に密告するに値する問題事象を見つけられずに時を過ごす。逆に金吾は岩田代官を敬服するようになっていく。
 江戸幕府の老中首座に任ぜられた水野越前守忠邦は、改革の一環として江戸に蔓延する浮浪人の粛清策を取るようになる。捕らえた無宿人たちをそれぞれの本国に送還し、そこで社会復帰させる改心策に期待するという方針を打ち出した。それにより、岩田代官が支配する石見銀山附御料にも、8人の無宿人が送還されてくることになった。無宿人たちを石見銀山で働かせるということになる。何と、その無宿人の送還に今は普請役となっている小出儀十郎が押送使という役目で同行し大森に乗り込んで来るという。
 小出儀十郎が大森に来ることから事態が急展開していくことに・・・・・。

 ストーリーの最終段階で次の一節が出てくる。引用しておきたい。(p401)
「あの時、鉛色の雲をいただいた巨山は、立ち入る者の命と引き換えに銀を産む恐ろしい山と映った。だが与平次が--徳市の店に出入りするすべての堀子たちが、これから先もあの山深くで生き続けていると思えるとすれば、杣ノ山は彼らの命を奪う恐るべき山ではない。銀山町の人々のみなを深く懐に抱き、その命の輝きを永遠に宿し続けるいのちの山なのではあるまいか。」
 本書のタイトル「輝山」は多分ここに由来すると思う。

 ストーリー全体は興味深い構成となっている。江戸時代の石見銀山の状況を具体的に知り、イメージしやすくなるという点でも有益なフィクションである。今、石見銀山は世界遺産に登録された史跡観光の名所になっている。石見銀山を一度訪れて見たくなった。
 石見銀山観光をする前に、この小説を読んでおくとよい。金吾が銀山町で見聞し体験したストーリーの状況を現地で思い描いてみることである。現状の史跡石見銀山の姿に歴史の奥行をヴァーチャルに重ねることに役立つ。史跡石見銀山を数倍楽しめることになるかもしれない。
 
 本書は、学芸通信社の配信により、日本各地の諸新聞に掲載(2018年3月~2020年5月)された後、大幅な加筆修正を経て、2021年9月に刊行されている。

 ご一読ありがとうございます。

本書からの関心事項をネット検索してみた。一覧にして起きたい。
石見国  :ウィキペディア
石見銀山  :「NHK for school」
石見銀山世界遺産センター  ホームページ
  県指定史跡 石見銀山御料郷宿田儀屋遺宅 青山家
  「竣工記念公開」のお知らせ【11/14(日)】  
石見銀山遺跡について :「島根県」
    石見銀山遺跡の概要
    石見銀山の歴
石見銀山 :ウィキペディア
特集 世界に輝いた銀鉱山への旅 石見銀山-島根県太田市 :「Blue Signal」
歴史をいかした街並み「石見銀山御料・大森の町並み」:「国土交通省中国地方整備局」
世界遺産 石見銀山 :「なつかしの国石見」
石見銀山遺跡とその文化的景観 (世界遺産登録年:2007年) :「文化遺産オンライン」
石見銀山資料館  ホームページ
アニメで分かる石見銀山  :「石見大田法人会」

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徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記』  光文社
『駆け入りの寺』  文藝春秋
『日輪の賦』  幻冬舎
『月人壮士 つきひとおとこ』  中央公論新社
『秋萩の散る』  徳間書店
『関越えの夜 東海道浮世がたり』  徳間文庫
『師走の扶持 京都鷹ヶ峰御薬園日録』  徳間書店
『ふたり女房 京都鷹ヶ峰御薬園日録』  徳間書店
『夢も定かに』  中公文庫
『能楽ものがたり 稚児桜』  淡交社
『名残の花』  新潮社
『落花』   中央公論新社
『龍華記』  KADOKAWA
『火定』  PHP
『泣くな道真 -太宰府の詩-』  集英社文庫
『腐れ梅』  集英社
『若冲』  文藝春秋
『弧鷹の天』  徳間書店
『満つる月の如し 仏師・定朝』  徳間書店