遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『écriture 新人作家・杉浦李奈の推論Ⅴ 信頼できない語り手』 松岡圭祐 角川文庫

2022-09-14 22:35:52 | レビュー
 たまたま目に止まったのが新人作家・杉浦李奈シリーズの第5弾。シリーズなら第1作から読むべきか・・・ちょっと思ったが、まあこれもありかと読むことにした。結論として、本書の推論プロセスはおもしろかった。次はこのシリーズのバックナンバーをまず読み進めることにしょう・・・・。読了後に、既に第6作が先日出版されていたことを知った。
 本書「信頼できない語り手」は、今年(2022年)6月に書き下ろしの文庫本として刊行されている。

 本書を読んで面白いと思ったのは、このシリーズの主人公である杉浦李奈の他に、杉浦李奈をサポートする形で、あの「万能鑑定士Q」として活躍した莉子が登場することだ。文脈から判断すると、この第5作で初登場と推測できる。それも、莉子は結婚し小笠原莉子として二児の母になっての登場である。勿論、万能鑑定士Qの冴えがここでも発揮される。だが、そこはあくまで李奈を強力にサポートする役割に撤している。
 「万能鑑定士Q」の愛読者にとり、楽しくなるのは請け合うことができる。私自身、莉子の登場により一層ストーリーを楽しめたのだから。

 冒頭は、大規模火災発生、死亡者218人の大参事という事件の記述から始まる。時は春先。場所は茅場町のリロゼッテ東京ホテルの宴会ホール。日本小説家協会懇親会の最中に宴会ホール内部で不審火が発生した。大型書店の文芸書コーナーで名を連ねる作家の三分の一超がこの火災で落命した。生存者は2人。68歳のベテラン作家藤森智明と27歳のホテル従業員伊藤有希恵。藤森は往年の人気作家で、下肢障害1級で車椅子を使用。有希恵は藤森の車椅子の介助をし、二人は防災カーテンをかぶり、必死に灼熱地獄に耐えて救助された。この事件の後、藤森と有希恵は生存者どうしとして養子縁組を結んだ。
 大火災の実態解明は容易でなく、生存者2名を含め懇親会参加者はまずこの事件の容疑者から外された。火災発生時、宴会ホールの扉は外側から施錠された状態になっていたのだ。犠牲となった作家がいなくなり、得をするのは誰か、などというとんでもないサイトが生まれたりしている。

 売れない新人作家・杉浦李奈もまた刑事の訪問を受け、聞き取り捜査に応じる羽目になる。その時、刑事からベストセラー作家である櫻木沙友理が李奈に会いたいと言っているという伝言を受けた。櫻木沙友理の自宅を李奈が訪ね、沙友理の用件を聞くことから、李奈はこの事件に関わっていくことになる。
 沙友理は日本小説家協会懇親会に参加する返信を出していたが当日キャンセルしたことで、大火災に巻き込まれずに済んだ。沙友理もまた事件後に非難中傷の手紙を山ほど受け取っていた。その状況に耐えられないので、放火事件の真相究明をしたい。李奈に協力して欲しいという願いだった。
 李奈はKADOKAWAの出版社員菊地を仲介にして、3人で生存者の藤森が入院する病院を訪れる。面談して当日の状況について情報収集することから始めていく。藤森(本名は西田崇)の傍には有希恵が付き添っていた。
 
 事件当日の現場での証言者は藤森と有希恵だけである。彼等は信頼できる証言者なのか、信頼をおけない証言者なのか。大火災現場の物的証拠は多くはない。宴会ホールの扉が外から施錠されていた事実は揺るがない。そのホールに客が出入りする扉は外からロックされると内側からは開くことができない仕組みだった。普通に考えれば犯人は懇親会場から出て、扉をロックし立ち去ったという判断になる。
 李奈たちが病室を訪れると、藤森は当日黒磯康太郎著のハードカバーの176ページにサインをもらったと言い、その本を見せ、経緯を説明した。その本のことは警察にはまだ話していないという。藤森は警察の捜査にすべてを開示した訳ではなかった。だがその場に刑事が現れ、その本を検査対象物としてその場で預かるという行動に出た。
 だがその後、藤森はもう一つ警察に話していない事があると言って、懇親会場にもう一人部外者がいたという。年齢は30歳以上と思える緒林桔平という男が、自分の原稿を持ってうろうろしていた。出席者の中には彼を見慣れている人もいたという。この話を語る時、藤森は唯一の生き残りなので、この状況はまるで”信頼できない語り手”だなと自嘲的に言った。本書のタイトルは、ここに由来するようだ。
 なぜ、藤森がこの話を警察に告げなかったのか、その理由を有希恵が順を追って語り出す。

 李奈たち3人が病院のエントランスを出た時点で、日本月虹社の編集者2人がエントランスに向かってくるのに出会う。不審に思った李奈の質問に対して、藤森の26年前の小説『火樹銀花』が韓国で映画化が内定しそうだという話が飛び出してきた。著作権、出版契約など業界絡みの背景状況が話材になってくる。この話がどう関連していくのか・・・・・。

 李奈は、藤森と有希恵の話、日本月虹社編集者の話などを糸口に、ネット検索で周辺情報を収集していく。この小説の副次的なおもしろさは、李奈と莉子がどういう風にインターネットから情報を手繰り寄せるかというそのアプローチにある。さらに、インターネットをアリバイ立証の情報根拠に役立てられるという視点が織り込まれているところにもある。中央署で大御所ミステリ作家田中昂然のアリバイ証明に李奈が助言する場面は、ストーリーの枝葉ではあるが、実際的でおもしろい。なるほどと思う。

 藤森が李奈に見せたサイン本が中央署に来ていた李奈に嶋仲刑事からの指示だとして、女性警察官から返却される。藤森の代理人にみなされたのだ。ところが、その返却本の176ページが破り取られていた。サイン本が刑事の手に渡った時、李奈は病院の現場で立ち合っていた。李奈は破られていた事実により警察不信に陥る。さらに、奇妙なことに、その破り取られていたページは、沙友理の自宅のキッチンの食器棚の奥、皿の下にあったのを沙友理が見つけたという。留守電専用の固定電話に入っていた清掃業者からのメッセージで、普段触ることがない食器棚を開けてみて、発見したというのだ。ここに新たな疑惑が生まれる。沙友理の自宅は厳重なセキュリティ体制が設けられているのに、何者かがその体制をかいくぐって内部に侵入していたということになる。その事実をそのページの発見が証拠立てている。
 オープンテラスのカフェで李奈と沙友理が話し合う場に、小笠原莉子が二児を伴い現れる。莉子は沙友理の友人として登場してきた。ここから、莉子がこの事件の謎解きに参画する形になる。「万能鑑定士Q」ファンにはワクワク感が付け加わる。莉子がどういう局面でどのような関わりをするのかという楽しみが加わる。また今、小笠原は何をしているのかという別の興味も派生的に生まれる。

 懇親会でのターゲットは沙友理だったのか。沙友理は今も狙われているのか。
 沙友理宅のセキュリティ体制が破られた原因は何か。それが事件にどう関わるのか?
 藤森と有希恵が間一髪で救助されたのは本当に偶然なのか。
 藤森の過去の小説が韓国で映画化されるという話は、放火事件とどう関わるのか。
 藤森と有希恵が語った緒林桔平という男は実在するのか。実在するなら今どこに?
 懇親会場のホールを、誰が何時ロックしたのか。鍵をどのように何時入手したのか?
 李奈が目の前で見たサイン本、その破られたページ、発見された場所、その関係は?
 李奈が感じ始めた警察への不信感。それはやはり事実につながるのか?
 
 問題事象は一見ばらばらな状態で次々に発生する。拡散的な状況での個別対応。だが、徐々に李奈の頭脳の内で、脈絡のないように見える諸事実に繋がりが見え始めて行く。一方でその気づき、仮説に対して李奈は憂鬱感を抱き始める。

 莉子は己の経験を踏まえて李奈に「杉浦さん。憂鬱なのは真相を伝えることよりも、自信がないからじゃなくて? 責任の重さを考えると、気持ちが沈まざるを得ないとか」(p244)「・・・ たぶん、答えはひとつ。事実をみいだしたとたん、人は孤独になるから」(p245)「”わたしは行動する人間を疑いなく賞賛する”」(p251、チャンドラーの言葉)と助言する。
 背中を押された李奈は、真相解明への最後のチャレンジに挑んでいく。

 莉子が李奈に助言をしている途中で、莉子が李奈に投げかけた3つの問題がある。このストーリーは、その場で即答できなかった李奈が、その謎解きをする会話場面で終わる。この問題、私は解けなかった。最後の会話場面を読み、ナルホドとすっきりした。おもしろい。

 各所での伏線の敷き方はやはり上手いなと思う。実にさりげない形で謎解きの糸口が織り込まれている。読了後に、ああ、あそこに糸口が・・・・という具合。読書プロセスにおける己の不明さが嫌になる。
 
 ご一読ありがとうございます。

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