遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『écriture 新人作家・杉浦李奈の推論Ⅳ シンデレラはどこに』 松岡圭祐 角川文庫

2022-09-28 18:04:41 | レビュー
 杉浦李奈の推論シリーズ第4弾。文庫書き下ろしとして令和4年(2022)4月に刊行された。この本の推論テーマはタイトルで明確になっている。杉浦李奈はシンデレラ譚の原典を探さねばならないという苦境に陥れられるというストーリー。最後は、李奈が己の推論により、原典を特定する仮説を確立して終わる。どのようにして仮説を構築できたかのプロセスが読ませどころとなる。
 本書からの副産物は、日本を含め世界に広がるシンデレラ譚の蘊蓄について学べることである。

 脇道から始めよう。少し前に英語絵本『Cinderella』( Retold by Casey Malarcher/ illustrated by Necder Yilmaz/ Compass Publishing)の読後印象をご紹介した。

 その時、私はシンデレラが舞踏会に履いていったのはガラスの靴と記憶していた。絵本は金色の靴だった。その点に戸惑いを抱いて、グリム兄弟の童話集の英語版も調べてみたことに触れている。だが、その違いの由来を十分は理解できないままになっていた。
 それが、この『推論Ⅳ シンデレラはどこに』を通読して、ナルホドと理解できた。シンデレラの物語の発想とその核となる話の筋を共有する物語は世界中にあるそうなのだ。

 『推論Ⅳ』はフィクションであるが、その中で語られるシンデレラ譚自体については事実が記されていると判断する。そこには、次の記述がある。
「ディズニーのシンデレラとは、じつは複数の原作の寄せ集めだった。シンデレラの元になった文芸作品や、さらにその原典たる伝承は、世界中にたくさんある」(p59)
「有史以来確認されている『シンデレラ物語』の記録は、世界じゅうに760種以上、伝承まで含めると3000種を超える」(p143-144)と。
 つまり、ガラスの靴や金色の靴は物語の一バリエーションにしかすぎない。本書から知った事実を参考にご紹介しておこう。伝承をもとにしてシンデレラについての文学作品が作られた。シャルル・ペローは『Cendrillon ou La petite pantoufle de verre』を書き、舞踏会はふた晩行われ、シンデレラにガラスの靴を履かせた。グリム兄弟は『Aschenputtel(灰かぶり姫)』を書き、シンデレラにはひと番目に金の靴、ふた番目に銀の靴を履かせた。また、ペローやグリム兄弟以前にジャンバッティスタ・バジーレは『Cenerentola(灰かぶり猫)』を書き、シンデレラにあたるゼゾーラは祭事の時に木靴を履いていた。(p59,p64-66)という具合である。私には、引きずっていたモヤモヤが一つすっきりとした。それも大きな副産物。本書を先に読んでいたら、疑問を抱かずに英語絵本を読めていたのに・・・・。

 さて、本題に戻ろう。このストーリーの冒頭は、007シリーズ映画の導入部の如く、一つのトリッキーなエピソードから始まる。杉浦李奈を担当する KADOKAWA の編集者菊池が同僚が担当する作家与縄将星の作品の校正ミス問題に捲き込まれる。菊池は李奈に助力を頼み、与縄夫妻と菊池の面談に立会い、さらりと懸案事象を解決し、そこにオチがついている。冒頭から李奈の推論の手際に読者は引きこまれる。

 李奈は友人の小説家那覇優佳のスマホへの着信を介して、直木賞作家となった三尾谷祥季から盗作問題についての相談事を受ける。2年ぐらい前に唐突に現れたRENと称する小説家が、グライト出版から次々と作品を出版し、ひところ時代の寵児に躍り出た。三尾谷の3作がRENの3作品に盗作されているという。李奈が確認すると、ストーリーやアイディアは、百人が読めば百人とも模倣ととらえると確信しているという。またRENは現在、20人以上の小説家に訴えられている状況にあるとも言った。

 そんな最中に、李奈に着信メールが届く。差出人は佐田千重子となっている。目的は李奈に「シンデレラ」の原典を1週間以内に探せという指示である。回答がなければ李奈の身内もしくは親しい人が死ぬ。メールを他人に見せることも口外も禁じると。
 李奈にとっては青天の霹靂である。自分一人の問題だけではない・・・戦慄が走る。
 佐田千重子からのメールはその後、断続的に送信元を替えながら送信されてくる。
 「シンデレラはどこに」がここから始まる。
 李奈にとっては生活のたしにならず、逆に時間と金を浪費する難題の渦中に投げ込まれることに。この雲をつかむような要求を誰にも知らせず、身近な人を危険なめに曝さずに何とか自力で取り組もうと、李奈の健気な行動がスタートする。

 ネット検索で、佐田千重子が川端康成著『古都』の主人公名が使用されたと推測できる。だが、後にこの千重子にはもう一つの意味が重ねられていることがわかる。鍬谷芳雄は西洋古典文学研究の凖教授であり、プレジャーボートの転覆で遭難し死亡していた。鍬谷は『シンデレラ』の原典を突きとめたと吹聴していたが期待外れだったと、佐田千重子がメール返信してきた。「”34 40 139 40”とメモに書き、市原署をお訪ねください」と指示まで加えて。
 このわずか2つの糸口から李奈はシンデレラの原典なるものの追跡を迫られる。

 その翌日、優佳から小説家の曽埜田璋に引き合わされる。曽埜田もまたRENの盗作被害者だという。三尾谷祥季と曽埜田璋、二人の相談事ばかりでなく、李奈の『トウモロコシの粒は偶数』がREN著『サイレント・ラブ』で盗作されていると菊池から知らされることになる。RENの盗作問題は遂に李奈の問題ともなる。
 さらに、RENは李奈にだけは直接会いたいと菊池に申し入れてきた。李奈は六本木ヒルズ内のグランドハイアット東京でRENとの面会する。だが、それが契機で、RENの問題と佐田千重子のメール送信に何等かのリンクがありそうだと李奈は直感するのだが・・・・。

 このストーリー、2つの事案がパラレルに進行していく。RENによる盗作疑惑問題。もう一つが、佐田千重子の脅迫メールから始まった『シンデレラ』の原典追跡。そして李奈は盗作問題には直接の被害者の一人として関わり、「シンデレラはどこに」は孤独な追跡行動を余儀なくされる。
 盗作問題では、著作権法との絡みで具体的な文章表現とアイデア、発想レベルでの類似性などに具体的に踏み込んで行くことになるので、読者にとっては、著作権とは何かについて、李奈が盗作箇所について分析的に考える行動から学ぶという副次的な効用がある。
 ストーリーの中での著作権法からみの記述を要約して抽出してみよう。
*ストーリーの類似点を著作権違反として訴えるのは新潮にならざるを得ない。
 アイデアの一致が著作権侵害なら、大半の小説が槍玉にあがる。 p43-44
*作曲の旋律が似通っているという訴訟問題では、偶然の一致は著作権侵害にあたらないという判例が出た。  p105-106
*判例として「被上告人に特有の認識ないしアイディアであるとしても、その認識自体は著作権法上保護されるべき表現とはいえず、これと同じ認識を表明することが著作権法上禁止される謂われはない」とある。 p171
*最高裁判決「思想、感情もしくはアイディア、事実もしくは事件など表現それ自体でない部分、または表現上の創作性がない部分において、既存の言語の著作物と同一性を有するにすぎない著作物を創作する行為は、既存の著作物の翻案に当たらない」 p173
 こういう著作権解釈を背景として、RENによる盗作疑惑がどのように進展するのかが楽しめる。おもしろい。

 「シンデレラはどこに」の方は、李奈の追跡行動を通じて、著者の該博な文芸知識あるいは関連情報の集積を踏まえたシンデレラ譚についての蘊蓄が周到に展開されていく。文学、民俗学、情報文化の伝搬などを総合した流れを学んでいる趣きすら感じるところがあって、実に楽しめる。ミステリーを介して、世界のシンデレラ譚を知れるというところがよい。そして、そこにさらに最先端の情報処理技術を持ち込んでくるところが著者のセンスだろう。
 李奈は公益法人・国際文学研究協会の美和事務局長の協力を得て、文学テキストマイニングの国際標準を使い、データ解析をTDI社に外注するという方法を使う。勿論、そのデータ解析のためのデータは李奈と優佳らがデッドラインの迫る中で作成することに・・・・。
 IT技術のことは分からなくても、このストーリー展開は十分に楽しめる。何をしようとしているのか想像が大凡できるから。データ作成が現実的にタイムリミットまでの時間量で可能かという疑念は残るのだが、こnストーリーとしては出来るという線に乗っかる方が楽しい。どんな結論が導かれるか、読者にはそこに期待が湧く。

 そして、遂に二つの流れが合流する。李奈の推論結果の提示、そして李奈が仕組んでおいた事項が最後の証拠になる。クライマックス場面における李奈のプレゼンテーションが楽しめる。

 最後に、著者がここでシンデレラ譚として言及し李奈に語らせている上記以外の事例を列挙してみよう。この記事をお読みいただいたあなたはご存知だったでしょうか。私は無知だった。括弧内は国や地域をさす。
 「ストラボーンの残した記録 トラキア人の遊女(ロドビス)の話」(ギリシャ)、イソップ『薔薇色の靴の乙女』、ヘロドトス『歴史』の中の記述、坪内逍遥『おしん物語』、「プティと継母及び娘メラの伝承」(インドネシア)、「タムとカムの伝承」(ベトナム)、「葉限の物語」(中国・秦漢時代)、『米福粟福』(日本、東北・中部地方)、『豆福と小豆福』(韓国)、『アラビアン・ナイト』の中の「足飾り」の話、『奴隷の娘』(チベット、民話)、『アイシャ』(インド)、「ファティマの物語」(ペルシャ、民話)、「アーリヤの物語」(オマーン)、パルドメロ・レイノソ著『リンド』、『雨季の起源』(ミャンマーのカレン族の伝承)
 見落としがあるかもしれないが、こんな具合・・・・シンデレラも奥が深い!

 李奈の追跡するシンデレラ譚に関連して引用深い部分を引用しておきたい。
*伝承とは・・・土着の風俗を反映し、設定が現れたり消えたりするものであろう。 p197
*人類の四大文明には、横のつながりのなかった分野においても、同じような発展を遂げた例がみられます。文化とはかならずしも干渉しあうものではないのです。 p233
*現代の子供たちはディズニーに味付けされた、カラフルなメルヘンの『シンデレラ』しかうけつけない。  p162
*古代ギリシャの三大悲劇詩人のひとり、ソポクレスはいった。年をとると、人はふたたび子供になると、そのどこがわるいのだろう。 p164

 この小説、盗作問題とシンデレラ譚についての関心を読者に呼び覚ますトリガーになることと思う。

 ご一読ありがとうございます。

本書からの関心でネット検索した情報を一覧にしておきたい。
著作権法 :「e-GOV 法令検索」
盗作であると言われる作品が著作権侵害になる基準  :「スター綜合法律事務所」
著作権法からみる「パクリ」「盗作」とは?  :「たきざわ法律事務所」
イラストや画像の著作権侵害の判断基準は?どこまで類似で違法?
               :「企業法務の法律相談サービス」
ジャンバティスタ・バジーレ  :ウィキペディア
シャルル・ペロー :ウィキペディア
子どもに読ませたい世界の絵本 ~シャルル・ペロー~  :「kiminiブログ」
グリム(兄弟) :「ジャパンナレッジ」
グリム兄弟   :「コトバンク」
米福粟福  :「コトバンク」
125 米福と粟福  :「東北文京大学附属図書館」
アールネ・トンプソンのタイプ・インデックス :ウィキペディア
アールネ・トンプソンのタイプ・インデックス(AT分類) :「森の里ホームズ」
データマイニングとは?基本の考え方から分析手法、仕組みを解説!:「ITトレンド」
テキストマイニングツール比較12選!選び方や注意点も解説 :「ITトレンド」

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『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論Ⅱ』 角川文庫

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