副題は「知られざる生い立ちから切腹の真相まで」である。「101の謎」と言われると、「謎」という言葉にまず惹きつけられてしまう。何かほとんど解明できないような出来事、不可思議なことが盛りだくさんに俎上に上げられているのでは・・・・という思いに囚われる。この種のタイトル本はけっこう様々な歴史上の人物について出版されている。
手許に買い込んだ本が幾冊かあるが、読み始めるのはこれが最初になった。千利休についての「謎」本はこれ一冊である。
結論から言えば、千利休に関しての真の謎というものがそれほど語られている訳ではない。「謎」という魅惑的な言葉は、この際、千利休という超有名人の誕生から切腹による死に至るまで、彼の人生を多角的・多面的に分析し理解していくための「観点」・「視座」という意味に転換してうけとめた方がスッキリとわかりやすい。つまり、千利休という人物をとらえやすくする問いを投げかけ、そこから語っていくという進め方である。
読者はその問いかけに問題意識を感じ、千利休についての基本的情報を知ることになる。色々な角度から千利休像に迫っていく結果となる。つまり千利休を知る一般教養書となっている。
千利休という名は知っていても、千利休についての知識・情報が無いから謎らしく感じるということなのだろう。たしかに千利休に関する「謎」に留まる事項があるが、本書を読んだ結論としてその数はそれほど多くはない。
千利休を知るための問いかけがタイトル通り101問並んでいる。しかし、その問いかけの101問は、「利休の<*****>の謎」という見出しのもとに、10のグループに仕訳され、10問ずつ均等に問いかけがされている。このグルーピングが千利休を知るための中分類的な観点といえる。それが第1章から第10章という構成にまとめられている。***マークにした部分の語句だけ列挙してみる。
序. 実像&業績 1. 出自&家庭 2. 私生活&子孫 3. 茶の湯&修行
4. 流儀&茶会 5. 茶室 6. 茶道具 7. 流派&弟子
8. 天下人&茶頭 9. 失脚&切腹 10. 史跡&供養
つまり、千利休について、第1~3章では、利休の私人としての側面を捉えている。第4~7章では、利休の茶道という側面を、第8~9章では、利休の公人としての側面を捉えていると言える。最後の章はその見出し通りである。
本書の利点は、読者が関心を持つ観点、側面から読み進めるのに便利というところにある。関心事項から読み進めていくことができる。そこから、関心の波紋は自ずと広がっていくことだろう。結局、千利休を総合的に理解し基礎的情報を得ようとすれば、結局全章を読むことになる。そして、読後には、この問いが千利休に関して確認したいことのインデクスとして利用できる。
問いかけ方式の欠点もある。それは多角的に捉えようとした問いかけ故に、著者にはその問いに対する一応の完結した回答を読者に提示する必要性が出てくる。そのため、ほぼ同じ記述説明が各所で転用されてその箇所でのまとまりを与えることになる。つまり、初めから通読していくと、同じ記述の再出が煩わしくなってくる。通常の伝記としての記述ならそういうことはほぼ避けられるだろうから、この問いかけスタイルの一長一短というところか。
手許に、1969(昭和44)年7月に改版として出版された桑田忠親著『新版 千利休』(角川文庫)がある。伝記としての著作といえる。これと対比してみると、私人としての千利休については、桑田書は「三 利休の素性と茶系」では、利休の先祖・祖父田中千阿弥のこと、祖父の代で堺に移り、父千与兵衛の長男として生まれ、生家が魚問屋で、初め与四郎と称したこと位に最小限の記述である。一方、本書では、それらに加えて、「Q9 利休の二人の妻と人となりは?」「Q10 利休には何人の息子や娘がいたのか?」など、利休の私人としての側面がさらに広げられていて興味深い。桑田書に所載のないものとして、「千利休関係略系図(千利休関係閨閥図)」と三千家の略系図が載っている。
一方、本書では、道号利休について古渓和尚が授け、正親町天皇が改めて利休居士号を勅賜したことに触れています。しかし居士号利休の意味そのものには言及していません。この点については、桑田書では、「八 利休居士号の由来」で、利休の長男道安が、利休没後十余年を経た時期に、利休の語の意味がわからなくなったので、春屋和尚に質問し、その由来の説明を受けたという内容を記しています。
「Q12 利休が大徳寺で一族の追善を依頼した意図は?」の問いがあります。天正17年(1589)に大徳寺で一族の追善が行われたそうです。利休が追善を行った事実を現存する寄進状を踏まえて、著者は説明します。利休が一族の追善を依頼するのは、謎でも何でもないと思います。しかしそこに利休の早世した息子と考えられる宗林童子・宗幻童子という名が記されているそうです。その事実は説明されていますが、母が誰なのかという具体的な関係は謎のままです。まさに解けない謎の一つでしょう。また、この追善において、利休は自分自身と後妻・宗恩の逆修もあわせて聚光院に依頼しているのです。なぜ、この時期に己と宗恩の逆修まで依頼したのでしょう。この逆修依頼の意図こそ、私には謎に思われます。勿論著者は、逆修を依頼したという寄進状に記載の事実を提示するにとどまります。利休が切腹するのは、2年後の天正19年2月です。
利休にまつわる解けない謎は何か? 101の謎という問いかけを読み、真の謎が幾つあるかを、お楽しみください。
本書は千利休という人物像に多面的に迫る手引書・教養書として読みやすいので、これを手がかりにすると便利です。
そして、上記桑田書をはじめ、主要参考文献一覧に掲載の単行本で千利休の伝記を扱う書を重ね読みすると、さらに千利休像に肉迫できそうに思います。
ご一読いただきありがとうございます。
本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
千利休 :ウィキペディア
茶道とは :「裏千家 今日庵」
千利休屋敷跡 :「堺観光ガイド」
利休について :「さかい利晶の社」
なぜ切腹!3分でわかる千利休 :「NAVERまとめ」
妙喜庵 待庵 :「山崎観光案内所」
国宝茶室 待庵 :「豊興山 妙喜禅庵」
表千家不審菴 :「茶の湯 こころと美」
今日庵 茶室・茶庭 :「裏千家 今日庵」
武者小路千家 官休庵 :「武者小路千家 官休庵」
龍寶山大徳寺 :「臨黄ネット」
南宗寺 :「堺観光ガイド」
北野天満宮 ホームページ
利休所持 茶壺 橋立 :「表千家北山会館」
黒楽茶碗 銘 次郎坊 :「Google Arts & Culture」
竹一重切花入 銘 園城寺 :「東京国立博物館」
利休作竹花入 -園城寺・よなが・尺八- :「茶香逍遙」
建水 大脇差 :「茶道入門」
桂籠花入 :「つれづれ」
井戸香炉 銘 此世 :「文化遺産オンライン」
唐物鶴首茶入「利休鶴首」 :「茶道具事典」
千利休木像 :「ADEAC」
茶聖・利休と激動の京都 :「そうだ 京都、行こう」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
手許に買い込んだ本が幾冊かあるが、読み始めるのはこれが最初になった。千利休についての「謎」本はこれ一冊である。
結論から言えば、千利休に関しての真の謎というものがそれほど語られている訳ではない。「謎」という魅惑的な言葉は、この際、千利休という超有名人の誕生から切腹による死に至るまで、彼の人生を多角的・多面的に分析し理解していくための「観点」・「視座」という意味に転換してうけとめた方がスッキリとわかりやすい。つまり、千利休という人物をとらえやすくする問いを投げかけ、そこから語っていくという進め方である。
読者はその問いかけに問題意識を感じ、千利休についての基本的情報を知ることになる。色々な角度から千利休像に迫っていく結果となる。つまり千利休を知る一般教養書となっている。
千利休という名は知っていても、千利休についての知識・情報が無いから謎らしく感じるということなのだろう。たしかに千利休に関する「謎」に留まる事項があるが、本書を読んだ結論としてその数はそれほど多くはない。
千利休を知るための問いかけがタイトル通り101問並んでいる。しかし、その問いかけの101問は、「利休の<*****>の謎」という見出しのもとに、10のグループに仕訳され、10問ずつ均等に問いかけがされている。このグルーピングが千利休を知るための中分類的な観点といえる。それが第1章から第10章という構成にまとめられている。***マークにした部分の語句だけ列挙してみる。
序. 実像&業績 1. 出自&家庭 2. 私生活&子孫 3. 茶の湯&修行
4. 流儀&茶会 5. 茶室 6. 茶道具 7. 流派&弟子
8. 天下人&茶頭 9. 失脚&切腹 10. 史跡&供養
つまり、千利休について、第1~3章では、利休の私人としての側面を捉えている。第4~7章では、利休の茶道という側面を、第8~9章では、利休の公人としての側面を捉えていると言える。最後の章はその見出し通りである。
本書の利点は、読者が関心を持つ観点、側面から読み進めるのに便利というところにある。関心事項から読み進めていくことができる。そこから、関心の波紋は自ずと広がっていくことだろう。結局、千利休を総合的に理解し基礎的情報を得ようとすれば、結局全章を読むことになる。そして、読後には、この問いが千利休に関して確認したいことのインデクスとして利用できる。
問いかけ方式の欠点もある。それは多角的に捉えようとした問いかけ故に、著者にはその問いに対する一応の完結した回答を読者に提示する必要性が出てくる。そのため、ほぼ同じ記述説明が各所で転用されてその箇所でのまとまりを与えることになる。つまり、初めから通読していくと、同じ記述の再出が煩わしくなってくる。通常の伝記としての記述ならそういうことはほぼ避けられるだろうから、この問いかけスタイルの一長一短というところか。
手許に、1969(昭和44)年7月に改版として出版された桑田忠親著『新版 千利休』(角川文庫)がある。伝記としての著作といえる。これと対比してみると、私人としての千利休については、桑田書は「三 利休の素性と茶系」では、利休の先祖・祖父田中千阿弥のこと、祖父の代で堺に移り、父千与兵衛の長男として生まれ、生家が魚問屋で、初め与四郎と称したこと位に最小限の記述である。一方、本書では、それらに加えて、「Q9 利休の二人の妻と人となりは?」「Q10 利休には何人の息子や娘がいたのか?」など、利休の私人としての側面がさらに広げられていて興味深い。桑田書に所載のないものとして、「千利休関係略系図(千利休関係閨閥図)」と三千家の略系図が載っている。
一方、本書では、道号利休について古渓和尚が授け、正親町天皇が改めて利休居士号を勅賜したことに触れています。しかし居士号利休の意味そのものには言及していません。この点については、桑田書では、「八 利休居士号の由来」で、利休の長男道安が、利休没後十余年を経た時期に、利休の語の意味がわからなくなったので、春屋和尚に質問し、その由来の説明を受けたという内容を記しています。
「Q12 利休が大徳寺で一族の追善を依頼した意図は?」の問いがあります。天正17年(1589)に大徳寺で一族の追善が行われたそうです。利休が追善を行った事実を現存する寄進状を踏まえて、著者は説明します。利休が一族の追善を依頼するのは、謎でも何でもないと思います。しかしそこに利休の早世した息子と考えられる宗林童子・宗幻童子という名が記されているそうです。その事実は説明されていますが、母が誰なのかという具体的な関係は謎のままです。まさに解けない謎の一つでしょう。また、この追善において、利休は自分自身と後妻・宗恩の逆修もあわせて聚光院に依頼しているのです。なぜ、この時期に己と宗恩の逆修まで依頼したのでしょう。この逆修依頼の意図こそ、私には謎に思われます。勿論著者は、逆修を依頼したという寄進状に記載の事実を提示するにとどまります。利休が切腹するのは、2年後の天正19年2月です。
利休にまつわる解けない謎は何か? 101の謎という問いかけを読み、真の謎が幾つあるかを、お楽しみください。
本書は千利休という人物像に多面的に迫る手引書・教養書として読みやすいので、これを手がかりにすると便利です。
そして、上記桑田書をはじめ、主要参考文献一覧に掲載の単行本で千利休の伝記を扱う書を重ね読みすると、さらに千利休像に肉迫できそうに思います。
ご一読いただきありがとうございます。
本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
千利休 :ウィキペディア
茶道とは :「裏千家 今日庵」
千利休屋敷跡 :「堺観光ガイド」
利休について :「さかい利晶の社」
なぜ切腹!3分でわかる千利休 :「NAVERまとめ」
妙喜庵 待庵 :「山崎観光案内所」
国宝茶室 待庵 :「豊興山 妙喜禅庵」
表千家不審菴 :「茶の湯 こころと美」
今日庵 茶室・茶庭 :「裏千家 今日庵」
武者小路千家 官休庵 :「武者小路千家 官休庵」
龍寶山大徳寺 :「臨黄ネット」
南宗寺 :「堺観光ガイド」
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黒楽茶碗 銘 次郎坊 :「Google Arts & Culture」
竹一重切花入 銘 園城寺 :「東京国立博物館」
利休作竹花入 -園城寺・よなが・尺八- :「茶香逍遙」
建水 大脇差 :「茶道入門」
桂籠花入 :「つれづれ」
井戸香炉 銘 此世 :「文化遺産オンライン」
唐物鶴首茶入「利休鶴首」 :「茶道具事典」
千利休木像 :「ADEAC」
茶聖・利休と激動の京都 :「そうだ 京都、行こう」
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