遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『平安京散策』 角田文衞 京都新聞社

2019-09-16 16:49:49 | レビュー
 先日、9月13日(金)の新聞に、「平安京の範囲確定 南端の羅城跡出土」(朝日新聞)、「平安京 羅城 九条大路 初出土」(京都新聞)と報じられた。京都市南区の元洛陽工業高校跡地の発掘調査で、南限の九条大路の痕跡が初出土。北側の側溝、南側の側溝が出土したことで、その間が九条大路の路面(幅約29m)とみられる。さらに、羅城門につづく城壁である羅城跡が出土した。9~10世紀ごろの基底部にあたる土壇で、柱列がみつからないため、築地塀が立っていた可能性が高いという。上記調査地は、平安京右京九条二坊四町にあたる。羅城跡の出土地点は、羅城門跡から西に約630mの辺りで、今までに考えられていたよりも、羅城(城壁)は長く築かれていたことになるそうだ。
過去の調査と併せ、平安京の範囲がこれで考古学的にも確定したこtになり、平安時代の法令集「延喜式」の記述が裏付けられることになったという。

 なぜ、この直近の発掘報道を冒頭に記したか? 
 それは本書の内容に直結するからである。本書は1991年11月に出版され、また著者は2008年5月14日に享年95歳で鬼籍に入った。
 著者は、本書冒頭の「平安の都」に、「平安時代の平安京に関しては、文献的史料が頗る豊富である。さらに近年は、発掘調査も活発に遂行されており、平安京の全貌もかなりよく判明して来た」としながらも、「その遺跡の多くは地下に眠っている上に、市街化が激しいため、遺跡の場所すらさだかでないところが多い」。つまり、研究、調査は活発に進行していても、建て替えや再開発の機会を待たねば発掘調査ができないという壁が存在している事実を述べている。その一例が、冒頭の羅城、九条大路の出土にリンクしているとも言える。

 「百年河清を待つ訳にも行かないので、今日判明している限りにおいて主要な遺跡を探訪してみるのは、有意義なことと思えるのである」という立場から、著者は平安時代の平安京に関して判明している諸事項・場所を抽出している。その史跡・遺跡について諸史料や発掘調査結果を踏まえて、語り部のスタンスでその場所は何で、何があり、誰がどのように使っていなのかなどを平安時代史として説明していく。著者は地域区分して、その地域に所在したもの、あるいは現に所在(存在)するものを取り上げている。
「もくじ」にある地域区分とそこで取り上げられた事項の件数をまずご紹介する。括弧内は抽出された件数である。
    大内裏(3)、左京(21)、右京(6)
    洛東(13)、 洛北(6)、 洛西(9)、 洛南(2)
 判明している史跡、遺跡を60項目取り上げている。その場所に佇み、諸史料と発掘調査結果などを通じて見えて来る平安時代の有り様を著者は語り、浮かび上がらせていく。ここに取り上げられた個別項目の説明を累積し相互に関係づけていくと、読者には平安時代の人々の有り様、社会の制度や構造の全貌が見え始めるという次第である。

 冒頭の報道と絡めてみると、「右京」の最後、第30項目に「羅城門」が取り上げられている。
 芥川龍之介は『今昔物語集』から取材して『羅生門』という小説を書いた。それが映画化されて世界的にその名が広まった。著者は、後世になって来生、羅生と記されるようになったが、平安時代には羅城門と記され、それは「ラジャウ」(呉音)あるいは「ラセイ」(漢音)と呼ばれていたのだという。冒頭に、「平城京や平安京が諸外国の古代都城と著しく違う点は、周囲に城壁、つまり羅城をめぐらさなかったこと」と記している。また、1023年、藤原道長は己のための法成寺を建立するにあたり、廃墟となっていた羅城門の礎石を運ばせて転用したという事実にも触れている。羅城門と道長がリンクするのをこの項で初めて知った。
 著者が理事長をつとめていた財団法人古代学協会が1961(昭和36)年に羅城門址の第二次・三次発掘調査を「九条通車道の全面改修という千載一遇の機会に便乗し」て実施した結果、現在の矢取地蔵堂から東20mの地点に「羅城門北側の溝を築いていた二列の石組みと、その西に粘土をつき固めた土壇らしいものの基部が発見された」という事実を述べている。一方でこの調査の結果、「羅城門址がほとんど破壊されているのを知る結果に終わった」と残念がる一文でこの項を終えている。著者は、羅城部分がどの程度の長さであったのかは、直接には触れていない。当時は発掘調査結果がなかったからだろう。
 この1961年の発掘調査からすれば、半世紀余、本書の出版からすれば、二十有余年を経て、冒頭の出土、発見をみたのである。著者は彼岸からこの発掘調査結果に喝采を送っているのではないかと思う。九条大路がほぼ確定したこと、羅城が少なくとも羅城門址から少なくとも西方向に600m余、築地塀という形式で設置されていたことにより、平安京の全貌がまた一歩クリアになったのだから。

 少し前に本書を読んでいたので、この新聞報道を読んだ時、その内容が本書とリンクしてきた。「平安の都」の文のすぐあとに、「平安京条坊図」が見開きページで掲載されている。発掘場所をこの条坊図に重ねてみると、平安京の広がりがイメージしやすくなる。
 時代が重層化されている現代の京都市街の地に、平安時代の平安京の痕跡を押さえてみる。その場所への紙上散策から、平安京に思いを馳せるうえではコンパクトにまとめられた便利な書である。本書は、さらに史跡・遺跡が確定している現地に足を運ぶための手がかりの書、誘いの書となる。
 ただし、よくある京都観光史跡ガイド的な本ではないので、ご注意を。その一例として「洛東」で取り上げられている場所・事項(13件)の名称を参考に列挙しておこう。
   東北院・中河のわたり・悲田院・白河押小路殿・東光寺・法勝寺金堂
   法勝寺の八角九重塔・金仙院・沙弥西念の家・村上源氏の墓地
   関白忠通の墓・関白兼実の墓・鳥部野
こんな項目が取り上げられている。他の地域も特定の建物名称が結構多い。

 『源氏物語』への関心から、この物語の背景となる平安京自体の有り様、実態にも関心の波紋が広がり、本書を知った。テーマ設定と取り上げ方について、類書はあまりないのではないかと思う。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、いくつかの事項を検索してみた。列挙しておきたい。
京都市平安京創生館 ホームページ
  平安京図会
平安時代の街作り  :「古代の京都」
京都平安京古地図  :「Story-β」
平安京オーバーレイマップ :「立命館大学 アートリサーチセンター」
芥川龍之介 羅生門  :「青空文庫」


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