「死海文書」という言葉、かなり以前から頭の隅にちょっとひっかかりながら、そのままにしていた。大型書店に行っても、見る書棚のジャンルがちがったせいか、タイトルにその名を冠した背表紙を見た記憶が無かった。文庫本の本書がたまたま目に付いたので読んで見た。本書末尾にある主要参考文献のリストを見て、かなりの出版物があることを知った次第だ。併行して少しネット検索してみると、結構情報源があることにも気づいた。
さて、著者の出版物を読むにはこれが初めての本である。奥書を見ると、著者はUFO,UMAを含む超常現象・怪奇現象の研究に専念されているようだ。著書・訳書名を見てもその分野の本ばかりである。なぜ、死海文書関係の本を刊行できるのか? 「まえがき」を読んで理解できた。フィンランド在住の聖書研究家、K・v・プフェッテンバッハという人物の死海文書研究の内容紹介という次元の本ということなのだ。同氏の研究は、「内容があまりにも衝撃的すぎて本国では、ついぞ”陽の目”を見なかった、という曰くつき」なのだとか。その研究の一端が1997年8月に『封印された死海文書の秘密』という題で出版されたようだ。本書は、まえがきによるとこの本からその後の原著者の研究情報を加えて修正・加筆する形での出版だという。従って、「まえがき」の中では、「編著という形で、その研究をここに改めて紹介させてもらった」と記されている。
ネット検索で調べてみると、1997年出版の題名は、「封印された『死海文書』の秘密―原預言書が明かす“破壊”と“再生”のシナリオ」(K.v. プフェッテンバッ原著、並木伸一郎翻訳、KKベストセラーズ(ムックの本))である。つまり、この本の改訂版の位置づけになり、原著者の研究の祖述なのだと解釈した。編集の仕方に、本著者の視点・見解が入っているのかもしれない。原著を知らないので対比できないけれど・・・。
本書は、2012年10月初版だから、死海文書に関するその後の研究が追加され内容がアップデートされたのだろう。それは本書に、エルサレムのイスラエル博物館と米グーグルの共同プロジェクトの一環として、「2011年9月26日、『死海文書』の超高精細画像がオンライン上で一般公開された」(p234)という記述からも窺える。現在は発見された文書のすべてが解読されたわけでもなく、文書すべてが公開されているわけでもないという。つまり、1947年の偶然による発見以来、まだまだ研究・解明途上にあるのだとか。
『死海文書』について、大凡どんな位置づけの文書なのかをとりあえず知りたいという次元では、さらに興味をいだかせてくれたという意味で役に立った。初めて目にする宗団名や教義、関連事項についての知識不足があり、十分に本書の内容を理解できたとは言いがたいが、本書の構成のご紹介を兼ね、読後印象を少しまとめておきたい。
本書は6章構成になっている。印象としては原著者の原著のどこを訳出したのかが見えないので、本著者の独自編集によるまとめと理解した。
第1章 封印された『死海文書』の秘密
『死海文書』の発見とその研究の経緯、位置づけがほぼわかる。
1947年、羊飼いの少年ムハムマドが迷った羊を探していた。その時、死海のほとり、海面下400m近くの洞窟を見つけ、その中に陶土製の壺をいくつか発見したことから始まる。巻物の一部が、ベツレヘムのシャイク(長老)、骨董商経由で、シリア正教聖マルコ修道院のサミュエル大主教の許に持ち込まれた。ただし、持ち込まれたものは4巻だけ。それ以外の運び出されたものは、すべて市場で売り捌かれていたのだ。この4巻の”サミュエル・コレクション”と称される『死海文書』が、エルサレムに本部を置くオールブライト研究所(アメリカ東洋研究学院)に持ち込まれる。これが世紀の大発見として報道されたことで、その後、「国際チーム」が編成されて『死海文書』研究が開始されることになったのだ。
本書によれば、ヘブライ大学教授がエルサレムの古物商から買い取った3巻、”スーケニーク・コレクション”と称されるものと合わせて、「7つの死海文書」が現在、ヘブライ大学のパレスチナ考古博物館に保管されている。さらに、その後も文書の断片が続々と発掘されているようだ。
フランス・ソルボンヌ大学の教授アンドレ・デュポン・ソメールが1950年に、この『死海文書』の中に、「義の教師」と呼ばれる”イエスの原型”ともとれる人物のことが記されていることを公表。これは、キリスト教の本山、バチカンにとって、また信者にとって由々しき事だと言える。著者は、「国際チーム」の背景にバチカンが控えていると推測している。
その後の発掘で、洞窟の数は1952年段階で25にまでになり、第3洞窟からは「青銅の巻物」が発掘されている。発見された「七つの文書」とは、「宗規要覧・会衆規定(=教団規定)」、「感謝の詩編」(20の詩編で構成)、「戦いの書(=光の子と闇の子の戦いの書)」、「聖マルコのイザヤ写本」、「ヘブライ大学のイザヤ写本」、「ハバクク書註
解」、「外典創世記」である。これ以外に『神殿の巻物』『ダマスカス文書』も発見されているという。
第1章は、『死海文書』の作成年代の測定方法にも触れている。発見以来の経緯の外観理解に有益だ。
第2章 古代ユダヤの秘儀宗団「クムラン」の謎
エルサレムから直線距離でわずか30Kmにキルベルト・クムランが位置し、その標高差は約1000mあるという。そこは『死海文書』発見の洞窟からわずかの距離。ここにクムラン宗団が選ばれた者たちとして集っていたという。本章ではこのクムラン宗団がどういう人々による宗教組織だったかを概説している。その実体が「ユダヤ教の一分派=エッセネ派の中核組織ではなかったかという説が、今や定着しつつある」(p68)とする。
エッセネ派について本章で述べている。ルーツはエジプトであり、「白い服の兄弟たち」と呼ばれていたこと。エッセネはギリシャ語で「聖者たること」という意味であり、入会自由、人種を問題とせず、結婚しなかったこと。一日を夜明けの太陽礼拝から始めたこと。・・・・など、本章でこの宗派のイメージが湧きやすくなる。
「ハバク書註解」が「義の教師」に触れているという。この「義の教師」の正体は? この点の解明が、イエス・キリストとかかわってきそうなのだ。この謎は興味深い。だからこそ、バチカンにとって聖書研究上、『死海文書』に注目せざるをえないのだろう。
門外漢にはその意義が十分には理解できないのだが、本書では「クムラン宗団=初期キリスト教団」という大胆な推論図式にまで展開していて、おもしろい。
第3章 イエス・キリストの”謎と奇蹟”を解く
福音書に記述されたイエス・キリストの生誕から始め、聖書に記されていないイエスの生涯での「第一の謎の空白時間」、そして12歳から30歳までの「第二の空白期間」を取りあげる。「第二の空白期間」にイエスはどこで、何をしていたのか? 「荒野の40日間」も謎に満ちているという。さらに、「四福音書が語るイエスの霊的能力」について、分析的に詳述していく。
そして、イエスの生涯における空白期間を、クムラン宗団及び義の教師の存在と結びつける推論を展開する。このあたり、大胆な仮説の展開だ。イエスの「復活」もクムラン宗団の秘儀と結びつけている。このあたり、原著者の仮説なのか、本書編著の推論が加筆されているのか・・・どうだろう。確かめようがないが。
第4章 原預言書が明かす”滅亡”と”再生”のシナリオ
「戦いの書(=光の子と闇の子の戦いの書)」に記された文章を引用し、「人類最後の戦い」について言及していく。40年戦争論の分析的展開である。さらに、『死海文書』のひとつ「安息日の詩編」には、邪悪なものが勝利し、正しきものが滅ぶ矛盾についての記述すらあるとその章句を引用している。
そして、『旧約聖書』が『死海文書』の源流であり、『死海文書』にはクムラン宗団の重要な教義のエッセンスが含まれているとする。さらに「義の教師」の理念を語る。「義の教師」が、「救世主出現という民族全体を貫くテーマに、預言的要素を加えた終末思想を説くに至るのだ」(p179)と。
「感謝の詩編」の中に、救世の過程が表現されていると、該当章句を引用している。
つまり、本書は『死海文書』にみられる預言書的性格の側面を本章で論じている。
マヤ暦を含め、終末予言は様々にある。本章では最後に、40年戦争論のタイムスパンを湾岸戦争勃発に当てはめ、西暦2026年に「新世界秩序」が樹立されるという予言にまで展開していく。こちらの方が終末論よりロマンを感じられる。
第5章 破局後の人類を導く「ふたりのメシア」
『死海文書』のひとつ「宗規要覧・会衆規定」の章句に、アロンのメシアとイスラエルのメシアという2人のメシアが登場するのだ。
エッセネ派にそのルーツがあるという。起源前3000年頃を起源とする「セラピス教団」。それは神秘と数学を支配する”聖牛セラピス”を崇める超秘密宗教結社だと論じる。ゼラピス-エッセネ派-クムラン宗団への発展であり、アロンの系譜を受け継ぐ者がクムラン宗団なのだと。それは指導者である「表」のメシアを助ける介添役、すなわち「裏」のメシアなのだと。聖なるアロンの直系者たちの系譜が「フリーメーソン」だという。ここまで進むと、ちょっとシュールであるが、おもしろい。
後半で、「イスラエルのメシア」の系譜を推論していく。この後半の推論は、原著者の仮説なのだろうか。本書著者の見解が述べられているのでは? そんな思いを抱きながら読んだ。本書を開いてお考え願いたい。p215~p232で推論が展開されている。
第6章 真・死海文書「エンジェル・スクロール=天使の巻物」
『死海文書』には”失われた1巻”があり、それがいずこかに秘匿されていると目されている。それが、十字軍の「テンプル騎士団」に関連してくるのだ。本章ではテンプル騎士団の発端から語られ、この失われた1巻をテンプルの丘から発掘したのが、この騎士団なのだと推論を展開している。それが「エンジェル・スクロール」なのだと。
1970年代からこの1巻の存在の噂が囁かれはじめたという。そして、1981年に、大金と引き換えに3人の神父が「天使の巻物」を入手し、ヨルダン国外に持ち出し、いずこかの修道院でその解読が開始されていたそうである。1996年に、マチウス・グンター神父が巻物とそれまでの解読成果の写しを友人に託したのち、亡くなったことでその事実がわかったそうだ。沈黙が破られたのだ。だが、肝心の巻物と解読の成果は何処に? この経緯は謎に満ちている。
『死海文書』はまだまだ解明の途上にあるようだ。
本当に全てが公開され、完全に解読されるのだろうか。そこにどのような真実が秘められているのか?
一方、本書の推論結果がどこまで事実に照応しているかと言う観点でも、興味が尽きない。その追跡は今後の課題である。
ご一読ありがとうございます。
読みながら、併行してネット検索で得た情報を一覧にまとめておきたい。
死海文書 :ウィキペディア
Dead Sea Scrolls : From Wikipedia, the free encyclopedia
The Digital Dead Sea Scrolls
THE DEAD SEA SCROLLS : FACSIMILE EDITONS
聖書の謎を解き明かす鍵、2000年以上前に書かれた「死海文書」が公開される
2008年05月15日 11時34分00秒 :「Gigazine」
Israel Unveils Part of Dead Sea Scrolls :YouTube
死海文書の謎に新説が浮上 :ナショナルジオグラフィック
死海文書の謎
付記
原著者名、Kenneth von Pfettenbach でネット検索したが、本人に関しての記事を見つけられなかった。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
さて、著者の出版物を読むにはこれが初めての本である。奥書を見ると、著者はUFO,UMAを含む超常現象・怪奇現象の研究に専念されているようだ。著書・訳書名を見てもその分野の本ばかりである。なぜ、死海文書関係の本を刊行できるのか? 「まえがき」を読んで理解できた。フィンランド在住の聖書研究家、K・v・プフェッテンバッハという人物の死海文書研究の内容紹介という次元の本ということなのだ。同氏の研究は、「内容があまりにも衝撃的すぎて本国では、ついぞ”陽の目”を見なかった、という曰くつき」なのだとか。その研究の一端が1997年8月に『封印された死海文書の秘密』という題で出版されたようだ。本書は、まえがきによるとこの本からその後の原著者の研究情報を加えて修正・加筆する形での出版だという。従って、「まえがき」の中では、「編著という形で、その研究をここに改めて紹介させてもらった」と記されている。
ネット検索で調べてみると、1997年出版の題名は、「封印された『死海文書』の秘密―原預言書が明かす“破壊”と“再生”のシナリオ」(K.v. プフェッテンバッ原著、並木伸一郎翻訳、KKベストセラーズ(ムックの本))である。つまり、この本の改訂版の位置づけになり、原著者の研究の祖述なのだと解釈した。編集の仕方に、本著者の視点・見解が入っているのかもしれない。原著を知らないので対比できないけれど・・・。
本書は、2012年10月初版だから、死海文書に関するその後の研究が追加され内容がアップデートされたのだろう。それは本書に、エルサレムのイスラエル博物館と米グーグルの共同プロジェクトの一環として、「2011年9月26日、『死海文書』の超高精細画像がオンライン上で一般公開された」(p234)という記述からも窺える。現在は発見された文書のすべてが解読されたわけでもなく、文書すべてが公開されているわけでもないという。つまり、1947年の偶然による発見以来、まだまだ研究・解明途上にあるのだとか。
『死海文書』について、大凡どんな位置づけの文書なのかをとりあえず知りたいという次元では、さらに興味をいだかせてくれたという意味で役に立った。初めて目にする宗団名や教義、関連事項についての知識不足があり、十分に本書の内容を理解できたとは言いがたいが、本書の構成のご紹介を兼ね、読後印象を少しまとめておきたい。
本書は6章構成になっている。印象としては原著者の原著のどこを訳出したのかが見えないので、本著者の独自編集によるまとめと理解した。
第1章 封印された『死海文書』の秘密
『死海文書』の発見とその研究の経緯、位置づけがほぼわかる。
1947年、羊飼いの少年ムハムマドが迷った羊を探していた。その時、死海のほとり、海面下400m近くの洞窟を見つけ、その中に陶土製の壺をいくつか発見したことから始まる。巻物の一部が、ベツレヘムのシャイク(長老)、骨董商経由で、シリア正教聖マルコ修道院のサミュエル大主教の許に持ち込まれた。ただし、持ち込まれたものは4巻だけ。それ以外の運び出されたものは、すべて市場で売り捌かれていたのだ。この4巻の”サミュエル・コレクション”と称される『死海文書』が、エルサレムに本部を置くオールブライト研究所(アメリカ東洋研究学院)に持ち込まれる。これが世紀の大発見として報道されたことで、その後、「国際チーム」が編成されて『死海文書』研究が開始されることになったのだ。
本書によれば、ヘブライ大学教授がエルサレムの古物商から買い取った3巻、”スーケニーク・コレクション”と称されるものと合わせて、「7つの死海文書」が現在、ヘブライ大学のパレスチナ考古博物館に保管されている。さらに、その後も文書の断片が続々と発掘されているようだ。
フランス・ソルボンヌ大学の教授アンドレ・デュポン・ソメールが1950年に、この『死海文書』の中に、「義の教師」と呼ばれる”イエスの原型”ともとれる人物のことが記されていることを公表。これは、キリスト教の本山、バチカンにとって、また信者にとって由々しき事だと言える。著者は、「国際チーム」の背景にバチカンが控えていると推測している。
その後の発掘で、洞窟の数は1952年段階で25にまでになり、第3洞窟からは「青銅の巻物」が発掘されている。発見された「七つの文書」とは、「宗規要覧・会衆規定(=教団規定)」、「感謝の詩編」(20の詩編で構成)、「戦いの書(=光の子と闇の子の戦いの書)」、「聖マルコのイザヤ写本」、「ヘブライ大学のイザヤ写本」、「ハバクク書註
解」、「外典創世記」である。これ以外に『神殿の巻物』『ダマスカス文書』も発見されているという。
第1章は、『死海文書』の作成年代の測定方法にも触れている。発見以来の経緯の外観理解に有益だ。
第2章 古代ユダヤの秘儀宗団「クムラン」の謎
エルサレムから直線距離でわずか30Kmにキルベルト・クムランが位置し、その標高差は約1000mあるという。そこは『死海文書』発見の洞窟からわずかの距離。ここにクムラン宗団が選ばれた者たちとして集っていたという。本章ではこのクムラン宗団がどういう人々による宗教組織だったかを概説している。その実体が「ユダヤ教の一分派=エッセネ派の中核組織ではなかったかという説が、今や定着しつつある」(p68)とする。
エッセネ派について本章で述べている。ルーツはエジプトであり、「白い服の兄弟たち」と呼ばれていたこと。エッセネはギリシャ語で「聖者たること」という意味であり、入会自由、人種を問題とせず、結婚しなかったこと。一日を夜明けの太陽礼拝から始めたこと。・・・・など、本章でこの宗派のイメージが湧きやすくなる。
「ハバク書註解」が「義の教師」に触れているという。この「義の教師」の正体は? この点の解明が、イエス・キリストとかかわってきそうなのだ。この謎は興味深い。だからこそ、バチカンにとって聖書研究上、『死海文書』に注目せざるをえないのだろう。
門外漢にはその意義が十分には理解できないのだが、本書では「クムラン宗団=初期キリスト教団」という大胆な推論図式にまで展開していて、おもしろい。
第3章 イエス・キリストの”謎と奇蹟”を解く
福音書に記述されたイエス・キリストの生誕から始め、聖書に記されていないイエスの生涯での「第一の謎の空白時間」、そして12歳から30歳までの「第二の空白期間」を取りあげる。「第二の空白期間」にイエスはどこで、何をしていたのか? 「荒野の40日間」も謎に満ちているという。さらに、「四福音書が語るイエスの霊的能力」について、分析的に詳述していく。
そして、イエスの生涯における空白期間を、クムラン宗団及び義の教師の存在と結びつける推論を展開する。このあたり、大胆な仮説の展開だ。イエスの「復活」もクムラン宗団の秘儀と結びつけている。このあたり、原著者の仮説なのか、本書編著の推論が加筆されているのか・・・どうだろう。確かめようがないが。
第4章 原預言書が明かす”滅亡”と”再生”のシナリオ
「戦いの書(=光の子と闇の子の戦いの書)」に記された文章を引用し、「人類最後の戦い」について言及していく。40年戦争論の分析的展開である。さらに、『死海文書』のひとつ「安息日の詩編」には、邪悪なものが勝利し、正しきものが滅ぶ矛盾についての記述すらあるとその章句を引用している。
そして、『旧約聖書』が『死海文書』の源流であり、『死海文書』にはクムラン宗団の重要な教義のエッセンスが含まれているとする。さらに「義の教師」の理念を語る。「義の教師」が、「救世主出現という民族全体を貫くテーマに、預言的要素を加えた終末思想を説くに至るのだ」(p179)と。
「感謝の詩編」の中に、救世の過程が表現されていると、該当章句を引用している。
つまり、本書は『死海文書』にみられる預言書的性格の側面を本章で論じている。
マヤ暦を含め、終末予言は様々にある。本章では最後に、40年戦争論のタイムスパンを湾岸戦争勃発に当てはめ、西暦2026年に「新世界秩序」が樹立されるという予言にまで展開していく。こちらの方が終末論よりロマンを感じられる。
第5章 破局後の人類を導く「ふたりのメシア」
『死海文書』のひとつ「宗規要覧・会衆規定」の章句に、アロンのメシアとイスラエルのメシアという2人のメシアが登場するのだ。
エッセネ派にそのルーツがあるという。起源前3000年頃を起源とする「セラピス教団」。それは神秘と数学を支配する”聖牛セラピス”を崇める超秘密宗教結社だと論じる。ゼラピス-エッセネ派-クムラン宗団への発展であり、アロンの系譜を受け継ぐ者がクムラン宗団なのだと。それは指導者である「表」のメシアを助ける介添役、すなわち「裏」のメシアなのだと。聖なるアロンの直系者たちの系譜が「フリーメーソン」だという。ここまで進むと、ちょっとシュールであるが、おもしろい。
後半で、「イスラエルのメシア」の系譜を推論していく。この後半の推論は、原著者の仮説なのだろうか。本書著者の見解が述べられているのでは? そんな思いを抱きながら読んだ。本書を開いてお考え願いたい。p215~p232で推論が展開されている。
第6章 真・死海文書「エンジェル・スクロール=天使の巻物」
『死海文書』には”失われた1巻”があり、それがいずこかに秘匿されていると目されている。それが、十字軍の「テンプル騎士団」に関連してくるのだ。本章ではテンプル騎士団の発端から語られ、この失われた1巻をテンプルの丘から発掘したのが、この騎士団なのだと推論を展開している。それが「エンジェル・スクロール」なのだと。
1970年代からこの1巻の存在の噂が囁かれはじめたという。そして、1981年に、大金と引き換えに3人の神父が「天使の巻物」を入手し、ヨルダン国外に持ち出し、いずこかの修道院でその解読が開始されていたそうである。1996年に、マチウス・グンター神父が巻物とそれまでの解読成果の写しを友人に託したのち、亡くなったことでその事実がわかったそうだ。沈黙が破られたのだ。だが、肝心の巻物と解読の成果は何処に? この経緯は謎に満ちている。
『死海文書』はまだまだ解明の途上にあるようだ。
本当に全てが公開され、完全に解読されるのだろうか。そこにどのような真実が秘められているのか?
一方、本書の推論結果がどこまで事実に照応しているかと言う観点でも、興味が尽きない。その追跡は今後の課題である。
ご一読ありがとうございます。
読みながら、併行してネット検索で得た情報を一覧にまとめておきたい。
死海文書 :ウィキペディア
Dead Sea Scrolls : From Wikipedia, the free encyclopedia
The Digital Dead Sea Scrolls
THE DEAD SEA SCROLLS : FACSIMILE EDITONS
聖書の謎を解き明かす鍵、2000年以上前に書かれた「死海文書」が公開される
2008年05月15日 11時34分00秒 :「Gigazine」
Israel Unveils Part of Dead Sea Scrolls :YouTube
死海文書の謎に新説が浮上 :ナショナルジオグラフィック
死海文書の謎
付記
原著者名、Kenneth von Pfettenbach でネット検索したが、本人に関しての記事を見つけられなかった。
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