遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『裏千家今日庵歴代 第二巻 少庵宗淳』  千 宗室 監修  淡交社

2021-09-17 12:32:46 | レビュー
 これまでは千利休その人に関心があった。その関心は今も変わらない。しかし、以前に川口素生著『千利休101の謎』(PHP文庫)を読み、その後村井康彦著『利休とその一族』(平凡社ライブラリー)を読む事で、利休切腹後の千家の系譜にも関心を持つようになってきた。
 まずは、千利休の長男・紹安(のちの道安)と千利休の後妻となった宗恩の連れ子である少庵である。紹安と少庵は天文15年(1546)の同年の生まれという。紹安(道安)が「動」に対し少庵は「静」とそのスタンスは対照的だったという風に様々なところに記されている。茶の湯・千家を継承し今に伝える基となったのは、長男の道安ではなく、利休の娘・亀と結婚した少庵である。当時の常識で言えば、道安が茶の湯・千家を継承するところだろう。数書を読み重ねると、現存する茶会記類には、道安と少庵が共に茶会に名を連ねた記録がないという。こんなところから、この二人に興味を抱いた。千利休を論じた本は研究書から小説まで、その数は数多ある。だが、一般読者向けの本について少し調べてみると、千道安、千小庵を論じたものをほとんど見かけなかった。茶の湯・千家を再興した少庵について目に止まったのが本書である。
 本書の帯にも、「利休の茶を忠実に継承した『静』の人 二代少庵」というキャッチフレーズが記されている。

 茶道は門外漢でありながら千利休に関心をもつ立場から茶の湯関連の書を読んでいる。美術工芸品としての茶碗をはじめ茶道具や茶室を眺めるのは好き。そういう前提(限界)での読後印象記とご了解いただきたい。

 この「裏千家今日庵歴代」シリーズは、歴代の茶人を多面的にとらえるという企画のようである。冒頭に少庵とその時代について、「桃山文化と武家茶湯の成立」(二木謙一:以下敬称略)が解説される。利休が大成した茶の湯は広く武家社会に浸透するが、武家の教養となるにつれ、時代に合わせて古田織部、小堀遠州などの大名茶人が主流になっていく時代でもあった。その中で、「少庵は京都に住み、しかも利休の轍を踏まずに、政権・権力とは一定の距離を置き、侘び茶人として淡々といきた」(二木p8)とし、著者はそれを賢明だったという。茶の湯文化の領域に留まらない立場に踏み入ってしまえば、政争に巻き込まれるのが不可避。利休の轍を歩むことはたぶん必然だろう。大枠でみれば、古田織部は利休の轍を歩んだといえるではないか。

 その続きに、40ページにわたり「少庵の遺芳」(茶道資料館)というタイトルで、少庵画像、少庵筆消息類、少庵作の竹花入・茶杓、少庵在判あるいは所持の茶道具類の写真と解説文が収録されている。最後に茶室不審庵・麟閣・湘南亭の外観と内部が紹介されている。少庵がどういう感性の人だったかをイメージするのに役立つページである。
 2つの論文をはさみ、「少庵の好みもの」と題し、6ページにわたり香合・釜・棗が収録されている。そして、これらの2つの写真セクションに呼応する形で、「少庵の茶道具-利休の茶の継承-」(谷端昭夫)、「少庵の茶会-茶会記にみる少庵の茶の湯」(谷昇)、「少庵お茶室」(中村利則)、「会津と少庵」(野口信一)、「少庵の消息-書状からみた少庵の人柄と茶の湯-」(矢部誠一郎)という関連論文が載っている。文書、茶道具、茶室等に反映された少庵の美意識とスタンスを知る参考になる。
 「少庵居士をしのぶ」(鈴木宗幹)という見開きページには、「少庵筆 道閑老宛 青梅の文」と「圓能斎筆 少庵居士画像」並びに解説文が載る。「少庵遺芳」の最初に収録の「少庵画像」とこちらの画像を対比的にみると、描かれた時代の隔たりはあるが興味深い。

 「少庵は意識的に利休正統の茶の湯を主張していたかとも考えられ」(谷p95)るとする。少庵が武家でなく京の町衆を弟子にする方向に重心を置き、茶室についても「異端の美学をもった利休を継承しつつも、それを一般化してさらに止揚していた実像が窺われ、次代を切り拓く基盤を盤石にした」(中村p103)という側面を見出している。また、残された消息類の筆致に言及し、滑らかで優しい筆致のもの以外に力強い筆致のものも残されていて、「この内容が、上洛の歓びと優しい花のことなので、意識して優しく書いたのかと考えたくなるほどであるが、いずれにしろ少庵は柔剛両面の豊かな心を持っていたと考えるほうが自然であろう」(矢部p117)、「一般にいう少庵の『柔・剛』に、許されるならば『優』の印象を付け加えておきたい」(矢部p117)という。少庵を知る上で役立つ。少庵に関わる消息類、茶道具、茶室は、茶湯を習い茶人を志す人には基礎知識、その道での教養にあたることかもしれない。
 264mm×188mmというサイズ。129ページのボリュームなので、画像が見やすく、また多面的な解説という点ではコンパクトにまとめられている。

 さて、私の直接の関心事という点では、次の論文が有益だった。
 2つの写真セクションの間に収録された「少庵の生涯-千家再興の軌跡-」(筒井紘一)と「織田有楽と少庵」(中村修也)及び、最後部に収録の「四座役者目録の少庵-能と茶の湯の邂逅-」(戸田勝久)、「千少庵、田中宗慶、吉左衛門・常慶 再興の時代」(樂吉左衛門)である。
 これらの論文から冒頭二書に加えて、さらにソースや解釈視点での知識情報を得ることができる。覚書を兼ね、大凡の要点をご紹介しよう。
*少庵の「静」、道安の「動」。少庵は天性穏やかで隠忍型、道安は剛直で一本気という性格の人間、とされる。『江芩夏書』に「蓋置」に絡めた記述例がある。(筒井p49)
*本書もまた上掲村井書と同様に、天正12年ごろには道安が秀吉の茶頭に名を連ねていたと推論している。 (筒井p50)
*利休が切腹を命じられた後の少庵と道安の対応のしかたが興味深い。上掲川口書には、道安が飛騨高山城の「金森長近のもとへ身をよせ」、「前田利家や徳川家康の袖に縋り、どうにか連座を免れることに成功」(p60)一方、少庵は会津若松城主「蒲生氏郷のもとへ預けられ」(p61)という風に記す。なぜ書き方に差があるのか。
 『利休由緒書』に、道安は「金森中務法印ヲ頼、」、少庵は「蒲生氏郷ヘ御あずけ、奥州ヘ流罪ニて候」と記されていると本書はいう。(筒井p59)
 これを解釈すれば、道安は自ら動き金森長近の許にまず逃げて、それから父利休との連座を避ける仲介を頼むという行動を取った。一方、少庵は待ちの姿勢であり、蒲生氏郷が秀吉に願い出て少庵を預かるという行動を起こした結果会津に身を寄せたということだろう。そう解釈するとここにも二人の性格の違いが端的に出ているように思う。
*上掲村井書では、少庵が宗桂(お亀)と別居していた時期がある点を論じている。
 本書では「その理由はただ一つ、長男の宗旦を大徳寺へ入れたことが原因であったに違いない。」(筒井p57)と述べる。
 その背景には、その時点での茶道千家の継承問題が絡んでいるようだ。
*利休は死を覚悟したとき、堺で紹安(道安)宛遺産分配の書状を書いている。そこには少庵の名前も、京都の家屋敷・土地・茶器類にも触れていないという。著者は「利休は道安に対して、これ以外の分については一切関与してはならないと言いたかったのではないか。」(筒井p58)と記す。興味深い解釈だと思う。たぶん、道安はそう解釈したのではないか。そんな気がする。
*「少庵召出状」にまつわる経緯と京千家の確立が具体的にわかる。(筒井p59-62、樂p123-125)
*会津から帰洛した少庵の活動は徐々に広がり、天正18年には、公家の勧修寺晴豊との交流が頻繁になり、公家たちとの茶湯を媒介した交流が広がる。(筒井,p56)
 少なくとも慶長12年(1607)頃から、少庵は織田有楽と交流があり、慶長16年に茶会での交流がピークになっている。 (中村p72)
*少庵を父・宮王三郎を介して、能の世界の系譜を辿ると、金春禅竹を介して世阿弥から観阿弥まで辿れるということを本書で知った。(戸田p112)

 上掲二書で少庵を論及した箇所と本書を関連付けて読めば、更にいろいろ興味深い点が出てくるかもしれない。とりあえずのご紹介はこれくらいにしておきたい。

 本書を読む前、なぜ少庵が茶道千家の二代目なのか、という疑問を単純に抱いていた。
 利休がそういう家督継承の決定を切腹前にしていたのか。秀吉が少庵を召出状にて帰洛を許した後にそこに関わったのか。などと・・・・。
 だが、本書を読み、読後印象記を纏めながら気がついた。茶道千家の二代目少庵と考えるのは、現代から見た結果論に過ぎないと。当時の状況に立ってみれば、少庵は単にそれまでの京千家を継承しただけ。武家社会との関わりをできるだけ避け、利休の侘びの茶湯を継承する決断をした。道安も許され秀吉の茶頭に復帰し、堺を拠点とする堺千家を継承した。利休の後で二千家に分流したそれぞれが二代目という状況にしかすぎない。道安には継承者がいずに茶の湯・堺千家としては道安の死により堺千家が廃絶しただけと言える。勿論、そこには道安の決断があったのだろう。その結果残ったのは京千家。それが、宗旦の後に三千家の分流し現代まで継承されている。つまり、利休を継ぐ二代目は結果的に少庵ということになる。疑問の持ち方が無駄だったといえるのだろう。

 最後に、私が一番おもしろいと思ったエピソードをご紹介しておこう。
 ”またどの座敷のことであったかは知られないが、ある座敷において「少庵小座敷ニつき上げ窓を二ツ明」(『茶道四祖伝書』利休居士伝書)けたところ、利休は燕の羽を広げたようだといって否定したことがあった。しかしそれは利休が自らの小座敷に突上窓を二つ明けるためであったことも伝えられ”(中村p99)ているという。千利休の一面を垣間見る思いがする。これがおもしろい。
 いずれにしても、二代目少庵も興味深い人だということが少しわかってきた。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、少しネット検索した。一覧にしておきたい。
千少庵  :「コトバンク」
千小庵 少庵の逸話(その1 利休と少庵) :「茶の湯 こころと美」
  このページから「その2 少庵の上京」、「その3 右近と少庵」
  「少庵から宗旦へ」と解説記事がつづきます。
千小庵 召出状 :「茶の湯 こころと美」
少庵画像 蘭叔宗秀讃  :「表千家北山会館」
特別展 少庵四百年忌記念「千 少庵」 平成25年 :「茶道総合資料館」(裏千家今日庵」
蓋置ってこんなの  :「茶道具 翔雲堂」
竹茶杓 千少庵作 共筒 如心斎替筒  :「茶の湯とは・・・・」
少庵灰匙  :「ColBase」
苔寺(西方寺)茶室と露地 :「造詣礼讃」
茶室 麟閣 :「会津若松観光ビューロー」
茶室 麟閣 :「福島県」
千道安   :ウィキペディア
千道安 「茶の湯道歌」より  :「茶の湯 こころと美」
千道安 堺市史第七巻 :「ADEAC デジタルアーカイブシステム」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


これまでに、茶の世界に関連した本を断続的に読み継いできています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
=== 小説 ===
『利休とその妻たち』 上巻・下巻   三浦綾子   新潮文庫
『利休の闇』 加藤 廣  文藝春秋
『利休にたずねよ』 山本兼一 PHP文芸文庫
『天下人の茶』  伊東 潤  文藝春秋
『宗旦狐 茶湯にかかわる十二の短編』 澤田ふじ子  徳間書店
『古田織部』 土岐信吉 河出書房新社 
『幻にて候 古田織部』 黒部 享  講談社
『小堀遠州』 中尾實信  鳥影社
『孤蓬のひと』  葉室 麟  角川書店
『山月庵茶会記』  葉室 麟  講談社
『橘花抄』 葉室 麟  新潮社
=== エッセイなど ===
『利休とその一族』  村井康彦  平凡社ライブラリー
『利休 破調の悲劇』  杉本苑子  講談社文庫
『茶人たちの日本文化史』  谷 晃   講談社現代新書
『利休の功罪』 木村宗慎[監修] ペン編集部[編] pen BOOKS 阪急コミュニケーションズ
『千利休101の謎』  川口素生  PHP文庫
『千利休 無言の前衛』  赤瀬川原平  岩波新書
『藤森照信の茶室学 日本の極小空間の謎』 藤森照信 六耀社
『利休の風景』  山本兼一  淡交社
『いちばんおいしい日本茶のいれかた』  柳本あかね  朝日新聞出版
『名碗を観る』 林屋晴三 小堀宗実 千宗屋  世界文化社
『売茶翁の生涯 The Life of Baisao』 ノーマン・ワデル 思文閣出版


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