九州豊後の羽根(うね)藩が再び舞台となる作品である。
主人公は伊吹櫂蔵。襤褸蔵という仇名で呼ばれ、漁村の漁師小屋で寝起きする境遇に落ちてしまった男である。家督を譲った弟が切腹する羽目になった後、その切腹の原因を究明し、弟の意図していたことを実現せんとする物語だ。堕落していた藩主と藩政の犠牲になった弟の意図・初志を実現することにより、いわば藩政改革という形で弟の敵討ちをする。そのためにはなぜ弟が死なねばならなかったかという理由の究明、その推理プロセスの側面を併せて仕上げられた作品と言える。リベンジとディテクティブのストーリー。
伊吹櫂蔵は26歳で、六尺近い長身、手足が長く骨ばった体つき、鼻が高かくてあごが張った面長な顔だちであり、男臭いもののいい面構えの男。かつては藩校で俊英と謳われ、眼心流剣術と以心流居合術に秀でている。3年前まで勘定方として出仕していたが、お役御免となった。大坂の蔵屋敷に出役で赴いた時に、大坂商人を接待する宴席で、剛毅な質の櫂蔵が、出席していた商人にからまれて失態を演じる。そのつまづきが直接の原因となる。だがその背景にはそれまでの上役や同僚とうまく行っていなかった人間関係も背景にあった。
家督を弟の新五郎に譲り、自分は隠居する。隠居身分として実家からいささかの給付を受けるが、酒におぼれる生活に陥っていく。弟は母親が違うので、櫂蔵とは似ていない。一見柔弱に見えるタイプ。控え目でひとに応対するのも常に丁寧なのだ。その弟が物産方に出仕して首尾よく勤め、評判もよいという噂だった。子供のころに、櫂蔵が新五郎を鍛えるつもりでよくなぐったのが、母親・染子にはいじめに見え、櫂蔵と継母との関係は冷たくなっていた。
その新五郎が漁師小屋に居る櫂蔵を訪ねてくる。金子が入り用になったという理由で家伝の品を売り払い、兄に些少で申し訳ないが取り分だとして金子を届けにきたのだ。櫂蔵の目算では売れば300両にはなるところ。些少だと3両を手渡された。櫂蔵はその日のうちにその3両を酒と賭博で蕩尽してしまう。
そして、翌日、漁師の宗平が青ざめた顔で、新五郎が切腹して果てたということを知らせにやってくる。母親・染子は櫂蔵に新五郎の切腹のこと、ただし屋敷に出向いてくることは無用という伝言を宗平に託したのである。
屋敷に駆けつけた櫂蔵に、継母染子は新五郎が櫂蔵に宛てて書き残した遺書を手渡すと屋敷の玄関で櫂蔵を追い返す。
遺書を読んだ櫂蔵は現象面での切腹に至る経緯を知る。
櫂蔵は漁師小屋近くの松林で、勘定奉行・井形清左衛門に面談させられる。井形は昨年帰国し、江戸での用人格から若くして勘定奉行に登用された男である。殿の内意だとして、新五郎の代わりに再び家督を継ぎ、出仕せよという。新五郎と同じ新田開発奉行並としての職務に就けというのだ。櫂蔵が出仕を受ければ、井形が上役ということになる。
継母染子は井形の申し出を受けられぬと拒否したのだが、櫂蔵は熟慮した結果、この申し出を受ける。新五郎切腹の裏にある理不尽な子細のを究明するためであり、襤褸蔵と呼ばれる櫂蔵をあえて登用しようとすること自体に何か裏がありそうだということを思いつつ、再び家督を継ぎ、出仕するという決断をする。
父の死後、新五郎の切腹により継母一人となった屋敷に櫂蔵は戻っていく。そのとき、飲み屋の女主人をしていたお芳をいずれ妻にしたいのだと連れていくことになる。羽根藩での足軽の娘だったお芳は、父の死後、料理屋に勤め、ある若い藩士に身をまかせ、その藩士が江戸に出仕することで捨てられたという過去がある。飲み屋の女主人となって、時折金で男に身を売ることもあるお芳は櫂蔵にも身を任せていたのだ。お芳を捨てた若い藩士とは井形清四郎だった。
武家社会とはいえ、貨幣経済の世の中となり、藩運営の苦しい貧乏小藩。だが参勤交代で江戸詰となっている藩主は遊蕩浪費の世界に足を踏み入れる。それに追随し時には助長する家臣が横行するのもお定まりだ。その資金はどこからくるか。国許が仕送り金を捻出するしかないが、そこには限界がある。藩の借金が増える過程で商人と結託する一群の人々が現れる。一方で、国許で藩財政の立て直しを真剣に考えようとする人々も出てくる。そのアイデアを出したのが新五郎であった。
新五郎はその目論見を実現するために、天領日田の掛屋から5000両の大金を借りる。その5000両が藩で流用されて、新五郎の目論見は実現できなくなる。そして、新五郎切腹という事態に。新田開発奉行並として出仕することを決断した櫂蔵は日田の掛屋・小倉屋義右衛門の店を訪ね、弟新五郎の目論見が何だったかを知る。ここから、実質的にこの物語が展開し始めることになる。
櫂蔵は襤褸蔵と蔑まれながら飲み屋に通っていたとき知り合った俳諧師咲庵と親しくなっていた。彼は海辺で潮鳴りを聞いていると、俳諧師になると言って江戸に残してきた、いわば捨ててきた妻の死を思い後悔するのだという。俳諧師になる前、江戸では三井越後屋の番頭を務めていたというのだ。商人の道とその裏を知り尽くした人物だった。
新田開発奉行並として出仕するにあたり、咲庵を家士とすることにより、御雇いということで役所への出入りを櫂蔵は井形に承諾させる。熟達した商人の目から藩の帳簿を調べさせるとともに、咲庵をアドバイザーとして商人の知恵を様々に得ることになる。咲庵は櫂蔵に助言する役割に生き甲斐を感じていく。
本書では羽根藩の抱える問題点がどこにあるのか、新五郎を切腹に追い込んだからくりとは何だったのか、その解明プロセスがおもしろい読みどころになっている。
一方で、いずれ私の妻にとお芳を屋敷に伴うが、勿論継母染子は反対する。妾なら櫂蔵の勝手だが正妻なぞ論外という。妾になるつもりはないとお芳は答える。宗平と彼の娘が屋敷に奉公に上がるということで、お芳も女中ということで、屋敷に住み込むこととなる。
染子は櫂蔵に目を向けこうつぶやく。「なにゆえ皆があなたに関わろうとするのか、不思議でなりませぬ。わたくしにはわかりかねますが、いまのあなたは手を差し伸べたくなる何かを持っているのでしょうか」と。
千代が染子の身の回りの世話をする。染子は「あの女が作ったものをわたしの膳にのせてはならぬ」と千代に厳しく言う。一つの屋敷内で、染子とお芳、宋平の娘・千代との女の世界の関係が始まって行く。染子がお芳の働きぶりを観察することからスタートする。その染子の意識が少しずつ変化していく。「わたくしには、そなたが言葉通りに嘘をつかぬ女でるかどうかはわかりませぬ。されど、嘘をつかぬとは、おのれを偽らぬということです。そなたがまことにおのれを偽らぬ生き方をしているのだとしたら、それはよいことです」(p158)これは染子がお芳についてふとつぶやいたことである。印象深い言句。
この作品の中では、女の世界・次元での展開が櫂蔵の行動次元とパラレルに進行していく。そしてその2つの次元が接点を生み出していくことになる。このあたり、実に巧みな構成だと思う。
この作品の最後の2ページに出てくる箇所を引用しておきたい。
一つは櫂蔵と染子の対話
櫂蔵「さよう、ようやくわたしにもわかったのです。ひとはおのれの思いにのみ生きるのではなく、ひとの思いをも生きるのだと」
染子「わが命は、自分をいとおしんでくれたひとのものでもあるのですね」
櫂蔵「それゆえ。落ちた花はおのれをいとおしんでくれたひとの胸の中に咲くのだと存じます」
もう一つは地の文である。
咲庵はかつて、潮鳴りが亡くなった妻の泣き声に聞こえると言った。しかしいまは違うのだろう。
潮鳴りはいとおしい者の囁きだったかもしれぬ、と櫂蔵は思った。いまもお芳が静かに囁き。励ましてくれているのだ。
(わたしは一生、潮鳴りを聞くことになるだろう)
この引用箇所の言葉の意味はこの作品を読むことで味わいが深まっていくことだろう。
ご一読ありがとうございます。
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いくつか関連事項をネット検索してみた。本筋とは少しずれる項目も含まれるがまあ周辺情報として参考になるだろう。一覧にしておきたい。
豊後国 :ウィキペディア
日田市 :ウィキペディア
掛屋、日田金についての説明が「文化」の項に記されている。
日田街道・道中記 :「のんびりとツーリング!」
日田街道・道中記(2) :「のんびりとツーリング!」
かつての日田街道の雰囲気を所々に垣間見ることができる探訪記事。
掛屋 世界大百科事典 第2版の解説 :「コトバンク」
蔵屋敷 :ウィキペディア
大名貸 :ウィキペディア
大名貸 世界大百科事典 第2版の解説 :「コトバンク」
柴田家と大名貸 灘の酒造業と「柴田家文書」 :「神戸市文書館」
武士の金融と借金 :「剣客商売の時代」
以心流 :ウィキペディア
米が社会の土台となり新田開発が進められた時代 大地への刻印 :「水土の礎」
新田開発の陥穽 津軽で生まれる子らに :「水土の礎」
三井家蔵 柳文朝筆 江戸越後屋情景図 掛軸 :「星庵 seianYumeGallery」
雌伏の時代から江戸進出へ :「三井広報委員会」
三井グループ企業の原点 『三井越後屋物語』-前編
駿河町の発展から三都にける基盤を築く 『三井越後屋物語』-中編
幕府御用達と維新政府への支援 『三井越後屋物語』-後編
ミョウバン :ウィキペディア
明礬製造の歴史 入江秀利さん(別府市文化財調査員)のお話:「日本薬事法務学会」
国役 :ウィキペディア
国役普請 世界大百科事典 第2版の解説 :「コトバンク」
其の二十「博多小女郎波枕」 :「南条好輝の近松二十四番勝負」
昔、福岡市で赤線があった地域を教えてください。:「YAHOO! JAPAN 知恵袋」
福岡新柳町 :「集落町並みWalker」
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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『実朝の首』 角川文庫
===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新2版
主人公は伊吹櫂蔵。襤褸蔵という仇名で呼ばれ、漁村の漁師小屋で寝起きする境遇に落ちてしまった男である。家督を譲った弟が切腹する羽目になった後、その切腹の原因を究明し、弟の意図していたことを実現せんとする物語だ。堕落していた藩主と藩政の犠牲になった弟の意図・初志を実現することにより、いわば藩政改革という形で弟の敵討ちをする。そのためにはなぜ弟が死なねばならなかったかという理由の究明、その推理プロセスの側面を併せて仕上げられた作品と言える。リベンジとディテクティブのストーリー。
伊吹櫂蔵は26歳で、六尺近い長身、手足が長く骨ばった体つき、鼻が高かくてあごが張った面長な顔だちであり、男臭いもののいい面構えの男。かつては藩校で俊英と謳われ、眼心流剣術と以心流居合術に秀でている。3年前まで勘定方として出仕していたが、お役御免となった。大坂の蔵屋敷に出役で赴いた時に、大坂商人を接待する宴席で、剛毅な質の櫂蔵が、出席していた商人にからまれて失態を演じる。そのつまづきが直接の原因となる。だがその背景にはそれまでの上役や同僚とうまく行っていなかった人間関係も背景にあった。
家督を弟の新五郎に譲り、自分は隠居する。隠居身分として実家からいささかの給付を受けるが、酒におぼれる生活に陥っていく。弟は母親が違うので、櫂蔵とは似ていない。一見柔弱に見えるタイプ。控え目でひとに応対するのも常に丁寧なのだ。その弟が物産方に出仕して首尾よく勤め、評判もよいという噂だった。子供のころに、櫂蔵が新五郎を鍛えるつもりでよくなぐったのが、母親・染子にはいじめに見え、櫂蔵と継母との関係は冷たくなっていた。
その新五郎が漁師小屋に居る櫂蔵を訪ねてくる。金子が入り用になったという理由で家伝の品を売り払い、兄に些少で申し訳ないが取り分だとして金子を届けにきたのだ。櫂蔵の目算では売れば300両にはなるところ。些少だと3両を手渡された。櫂蔵はその日のうちにその3両を酒と賭博で蕩尽してしまう。
そして、翌日、漁師の宗平が青ざめた顔で、新五郎が切腹して果てたということを知らせにやってくる。母親・染子は櫂蔵に新五郎の切腹のこと、ただし屋敷に出向いてくることは無用という伝言を宗平に託したのである。
屋敷に駆けつけた櫂蔵に、継母染子は新五郎が櫂蔵に宛てて書き残した遺書を手渡すと屋敷の玄関で櫂蔵を追い返す。
遺書を読んだ櫂蔵は現象面での切腹に至る経緯を知る。
櫂蔵は漁師小屋近くの松林で、勘定奉行・井形清左衛門に面談させられる。井形は昨年帰国し、江戸での用人格から若くして勘定奉行に登用された男である。殿の内意だとして、新五郎の代わりに再び家督を継ぎ、出仕せよという。新五郎と同じ新田開発奉行並としての職務に就けというのだ。櫂蔵が出仕を受ければ、井形が上役ということになる。
継母染子は井形の申し出を受けられぬと拒否したのだが、櫂蔵は熟慮した結果、この申し出を受ける。新五郎切腹の裏にある理不尽な子細のを究明するためであり、襤褸蔵と呼ばれる櫂蔵をあえて登用しようとすること自体に何か裏がありそうだということを思いつつ、再び家督を継ぎ、出仕するという決断をする。
父の死後、新五郎の切腹により継母一人となった屋敷に櫂蔵は戻っていく。そのとき、飲み屋の女主人をしていたお芳をいずれ妻にしたいのだと連れていくことになる。羽根藩での足軽の娘だったお芳は、父の死後、料理屋に勤め、ある若い藩士に身をまかせ、その藩士が江戸に出仕することで捨てられたという過去がある。飲み屋の女主人となって、時折金で男に身を売ることもあるお芳は櫂蔵にも身を任せていたのだ。お芳を捨てた若い藩士とは井形清四郎だった。
武家社会とはいえ、貨幣経済の世の中となり、藩運営の苦しい貧乏小藩。だが参勤交代で江戸詰となっている藩主は遊蕩浪費の世界に足を踏み入れる。それに追随し時には助長する家臣が横行するのもお定まりだ。その資金はどこからくるか。国許が仕送り金を捻出するしかないが、そこには限界がある。藩の借金が増える過程で商人と結託する一群の人々が現れる。一方で、国許で藩財政の立て直しを真剣に考えようとする人々も出てくる。そのアイデアを出したのが新五郎であった。
新五郎はその目論見を実現するために、天領日田の掛屋から5000両の大金を借りる。その5000両が藩で流用されて、新五郎の目論見は実現できなくなる。そして、新五郎切腹という事態に。新田開発奉行並として出仕することを決断した櫂蔵は日田の掛屋・小倉屋義右衛門の店を訪ね、弟新五郎の目論見が何だったかを知る。ここから、実質的にこの物語が展開し始めることになる。
櫂蔵は襤褸蔵と蔑まれながら飲み屋に通っていたとき知り合った俳諧師咲庵と親しくなっていた。彼は海辺で潮鳴りを聞いていると、俳諧師になると言って江戸に残してきた、いわば捨ててきた妻の死を思い後悔するのだという。俳諧師になる前、江戸では三井越後屋の番頭を務めていたというのだ。商人の道とその裏を知り尽くした人物だった。
新田開発奉行並として出仕するにあたり、咲庵を家士とすることにより、御雇いということで役所への出入りを櫂蔵は井形に承諾させる。熟達した商人の目から藩の帳簿を調べさせるとともに、咲庵をアドバイザーとして商人の知恵を様々に得ることになる。咲庵は櫂蔵に助言する役割に生き甲斐を感じていく。
本書では羽根藩の抱える問題点がどこにあるのか、新五郎を切腹に追い込んだからくりとは何だったのか、その解明プロセスがおもしろい読みどころになっている。
一方で、いずれ私の妻にとお芳を屋敷に伴うが、勿論継母染子は反対する。妾なら櫂蔵の勝手だが正妻なぞ論外という。妾になるつもりはないとお芳は答える。宗平と彼の娘が屋敷に奉公に上がるということで、お芳も女中ということで、屋敷に住み込むこととなる。
染子は櫂蔵に目を向けこうつぶやく。「なにゆえ皆があなたに関わろうとするのか、不思議でなりませぬ。わたくしにはわかりかねますが、いまのあなたは手を差し伸べたくなる何かを持っているのでしょうか」と。
千代が染子の身の回りの世話をする。染子は「あの女が作ったものをわたしの膳にのせてはならぬ」と千代に厳しく言う。一つの屋敷内で、染子とお芳、宋平の娘・千代との女の世界の関係が始まって行く。染子がお芳の働きぶりを観察することからスタートする。その染子の意識が少しずつ変化していく。「わたくしには、そなたが言葉通りに嘘をつかぬ女でるかどうかはわかりませぬ。されど、嘘をつかぬとは、おのれを偽らぬということです。そなたがまことにおのれを偽らぬ生き方をしているのだとしたら、それはよいことです」(p158)これは染子がお芳についてふとつぶやいたことである。印象深い言句。
この作品の中では、女の世界・次元での展開が櫂蔵の行動次元とパラレルに進行していく。そしてその2つの次元が接点を生み出していくことになる。このあたり、実に巧みな構成だと思う。
この作品の最後の2ページに出てくる箇所を引用しておきたい。
一つは櫂蔵と染子の対話
櫂蔵「さよう、ようやくわたしにもわかったのです。ひとはおのれの思いにのみ生きるのではなく、ひとの思いをも生きるのだと」
染子「わが命は、自分をいとおしんでくれたひとのものでもあるのですね」
櫂蔵「それゆえ。落ちた花はおのれをいとおしんでくれたひとの胸の中に咲くのだと存じます」
もう一つは地の文である。
咲庵はかつて、潮鳴りが亡くなった妻の泣き声に聞こえると言った。しかしいまは違うのだろう。
潮鳴りはいとおしい者の囁きだったかもしれぬ、と櫂蔵は思った。いまもお芳が静かに囁き。励ましてくれているのだ。
(わたしは一生、潮鳴りを聞くことになるだろう)
この引用箇所の言葉の意味はこの作品を読むことで味わいが深まっていくことだろう。
ご一読ありがとうございます。
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いくつか関連事項をネット検索してみた。本筋とは少しずれる項目も含まれるがまあ周辺情報として参考になるだろう。一覧にしておきたい。
豊後国 :ウィキペディア
日田市 :ウィキペディア
掛屋、日田金についての説明が「文化」の項に記されている。
日田街道・道中記 :「のんびりとツーリング!」
日田街道・道中記(2) :「のんびりとツーリング!」
かつての日田街道の雰囲気を所々に垣間見ることができる探訪記事。
掛屋 世界大百科事典 第2版の解説 :「コトバンク」
蔵屋敷 :ウィキペディア
大名貸 :ウィキペディア
大名貸 世界大百科事典 第2版の解説 :「コトバンク」
柴田家と大名貸 灘の酒造業と「柴田家文書」 :「神戸市文書館」
武士の金融と借金 :「剣客商売の時代」
以心流 :ウィキペディア
米が社会の土台となり新田開発が進められた時代 大地への刻印 :「水土の礎」
新田開発の陥穽 津軽で生まれる子らに :「水土の礎」
三井家蔵 柳文朝筆 江戸越後屋情景図 掛軸 :「星庵 seianYumeGallery」
雌伏の時代から江戸進出へ :「三井広報委員会」
三井グループ企業の原点 『三井越後屋物語』-前編
駿河町の発展から三都にける基盤を築く 『三井越後屋物語』-中編
幕府御用達と維新政府への支援 『三井越後屋物語』-後編
ミョウバン :ウィキペディア
明礬製造の歴史 入江秀利さん(別府市文化財調査員)のお話:「日本薬事法務学会」
国役 :ウィキペディア
国役普請 世界大百科事典 第2版の解説 :「コトバンク」
其の二十「博多小女郎波枕」 :「南条好輝の近松二十四番勝負」
昔、福岡市で赤線があった地域を教えてください。:「YAHOO! JAPAN 知恵袋」
福岡新柳町 :「集落町並みWalker」
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その点、ご寛恕ください。)
徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『実朝の首』 角川文庫
===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新2版
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