「覚醒ニルヴァーナ篇」は「第三部 揚州」での続きから始まり、「第4部 ナーランダ」、「第5部 タームラリプティ」へと展開する。
「第3部 揚州」の続きは、拐かされた厩戸がある道観の蔵書室で昼夜も忘れて読書に没頭している場面から始まる。九叔は読書ばかりでは毒気が身体に溜まるばかりだと言い、導引を厩戸に教える。九叔は厩戸(ここでは八耳と名告っている)の霊性を引き出し、神仙になるべき逸材として期待していた。一方、倍達多法師は旧友月浄住持の伯林寺にて、僧が一丸となり読経して法力で、道教団の何処に厩戸がいるか見つけようとしていた。勿論、道教団も霊的防衛の手段を講じていた。道教側と仏教側の霊力対峙の状況が続く。物部商館と蘇我商館の人々もともに厩戸の探索をしている。
伯林寺が道教団により襲撃される事態に発展する。一方、厩戸の居る道観では、厩戸が蔵書室で広という少年が居ることに気づく。厩戸が足がしびれたという広の手を握ろうとした瞬間、接触した指先から閃光が放たれるという異変が一瞬生じる。それが倍達多に通じ、彼は霊的回路が二筋あったと認識した。道観で厩戸が広と出会ったことが、状況を急変させていく。伯林寺側が遂に、厩戸と広の所在地を真玉山道観と把握し、現地へ奪還に向かう。
この道教団と伯林寺側との奪還戦並びに厩戸と広の行動についてのオカルト的要素を含む描写は読ませどころとなっている。読み物としておもしろい。
厩戸と広は救出される。広は密かに従者達と姿を消す。ここで一つ不可思議な現象が起こる。道観が炎上する中で九叔道士も焼死した。だが、九叔の太一つまり、九叔の根源的なものだけを残す得たというのだ。その太一が二分し、厩戸と広に寄生したという。これまたオカルト的である。これが二人にいずれどのように影響するのか。一つの伏線が敷かれることとなる。
無事救出された厩戸は、インド商船に乗船してナーランダに向けて揚州を出発する。
「第4部 ナーランダ」は、ウルヴァシー号での外洋航海中の状況から始まって行く。本書ではこの第4部がほぼ半ばのボリュームである。後の2分の1ずつが第3部(承前)と第5部として描写される。つまり、ナーランダでの厩戸の修行と体験が重要な基盤となっていくという展開である。
このナーランダ行には、柚蔓と虎杖が護衛の剣士として随行する。そこに揚州から真壁速?(はやひ:物部宗家の九州担当連絡統括官)、筑紫物部灘刈(筑紫物部の御曹司)他2名が同行する。
ここからは、点描風にいくつかのシーンを列挙しておこう。
*航海中に厩戸他はサンスクリット語を倍達多から学ぶ。厩戸は倍達多を師として仏法を学ぶことに明け暮れる。
*怪蛸ヌ・マーンダーリカが出現し、虎杖が大活躍する。
*法顕伝に記された耶婆提の港で一時下船するが、そこでトライローキャム教団のカウストゥパに厩戸が目を付けられる。
*ムレーサエール侯爵の招待を倍達多と厩戸が受ける。師は檀越を大切にせよという。
この招待が色々な問題を引き起こすことにもなる。一方、侯爵は協力を申し出る。
*ナーランダ僧院に到着後、高僧シーラバドラが倍達多法師により厩戸の指導師となる。厩戸の仏典読破や瞑想修行などは急速に進展していく。それとともに、厩戸の問題意識も引き出されていく。
*ナーランダでの厩戸の修行が始まる。ここでは柚蔓と虎杖は護衛の任が不要となる。
二人は帰国まで、それぞれの生き方を迫られる。二人がどのように異国の地で、かつ厩戸の近くで生き延びていくかがサブストーリーとして展開されていく。
この二剣士それぞれの生き様、サブストーリーも読ませどころの一つになる。
*ナーランダで二度目の新年を迎え、11歳になる。ヴァルディタム・ダッタ(倍達多)が死を迎える。その1ヵ月後、師のシーラバドラと厩戸はブッダの足跡を巡る旅に出る。
この旅が厩戸の修行にとって大きな転換点となっていく。このたびのプロセスを描写することがこの第4部の大きな山場である。勿論、読ませどころである。
托鉢修行の中で、厩戸は戒律を破り、女犯をおかす結果となる。それは、シーラバドラが己の過去を想起する契機にもなる。厩戸の己との戦いの始まりである。
つまり、釈迦が王城でのセックスを含めた日常生活を経て、出家し悟りを開いていく歩みとは真逆の厩戸の生き方が始まって行く。仏典を読み、知識を頭に満たした後に、肉体の成熟が始まる中での修行である。
*一旦ナーランダ僧院に戻った後、もはや僧院内で厩戸が学ぶことはないと判断する。
ただ一人、托鉢修行に出立することをシーラバドラに願い出る。師は許可する。
この許可は、シーラバドラにとっては、ある意味僧院で己を保つ意味での厄介者払いとなる。
*厩戸の宛のない托鉢修行が始まる。それは破天荒な方向に彼を導いていく。
強盗団に攫われるという結果となり、それが厩戸を思わぬ境遇に投げ込んでいく。
そして、最後は強盗団に売られてタームラプティの殷賑で猥雑な都市に舞い戻ることになる。なんと、売られた先が、ムレーサエール侯爵だった。
「第五部 タームラプティ」は、ナーランダ僧院とは隔絶した環境となる。不邪淫戒という概念の存在しない世界が始まるのだ。その中で厩戸は己の肉体を媒体として、独自の自己分析を開始する。釈迦が出家という道に歩み出した原因を究明しようと考える。
それを実行する環境が、ある意味で奇想天外というのがこの第五部である。
その内容は読んでのお楽しみというところ。
そして、厩戸は、ブツダとはまったく逆の道筋をたどり、悟りを得たと確信する。
侯爵はそれを聞き、最後は厩戸の弟子にしてくれと言う。厩戸は自分はもうインドに居る必要と意味が無くなったと語る。
だが、そのすぐ後に、思わぬ状況が生み出されてくる。「・・・・厩戸は脾腹に痛みをおぼえ、意識が晦冥におちこんだ」でこの篇が終わる。
えっ、どうなるの・・・・という余韻で、次篇につながるという次第。
ご一読ありがとうございます。
著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『神を統べる者 厩戸御子倭国追放篇』 中央公論新社
『高麗秘帖 朝鮮出兵異聞』 祥伝社
『秘伝・日本史解読術』 新潮社
「第3部 揚州」の続きは、拐かされた厩戸がある道観の蔵書室で昼夜も忘れて読書に没頭している場面から始まる。九叔は読書ばかりでは毒気が身体に溜まるばかりだと言い、導引を厩戸に教える。九叔は厩戸(ここでは八耳と名告っている)の霊性を引き出し、神仙になるべき逸材として期待していた。一方、倍達多法師は旧友月浄住持の伯林寺にて、僧が一丸となり読経して法力で、道教団の何処に厩戸がいるか見つけようとしていた。勿論、道教団も霊的防衛の手段を講じていた。道教側と仏教側の霊力対峙の状況が続く。物部商館と蘇我商館の人々もともに厩戸の探索をしている。
伯林寺が道教団により襲撃される事態に発展する。一方、厩戸の居る道観では、厩戸が蔵書室で広という少年が居ることに気づく。厩戸が足がしびれたという広の手を握ろうとした瞬間、接触した指先から閃光が放たれるという異変が一瞬生じる。それが倍達多に通じ、彼は霊的回路が二筋あったと認識した。道観で厩戸が広と出会ったことが、状況を急変させていく。伯林寺側が遂に、厩戸と広の所在地を真玉山道観と把握し、現地へ奪還に向かう。
この道教団と伯林寺側との奪還戦並びに厩戸と広の行動についてのオカルト的要素を含む描写は読ませどころとなっている。読み物としておもしろい。
厩戸と広は救出される。広は密かに従者達と姿を消す。ここで一つ不可思議な現象が起こる。道観が炎上する中で九叔道士も焼死した。だが、九叔の太一つまり、九叔の根源的なものだけを残す得たというのだ。その太一が二分し、厩戸と広に寄生したという。これまたオカルト的である。これが二人にいずれどのように影響するのか。一つの伏線が敷かれることとなる。
無事救出された厩戸は、インド商船に乗船してナーランダに向けて揚州を出発する。
「第4部 ナーランダ」は、ウルヴァシー号での外洋航海中の状況から始まって行く。本書ではこの第4部がほぼ半ばのボリュームである。後の2分の1ずつが第3部(承前)と第5部として描写される。つまり、ナーランダでの厩戸の修行と体験が重要な基盤となっていくという展開である。
このナーランダ行には、柚蔓と虎杖が護衛の剣士として随行する。そこに揚州から真壁速?(はやひ:物部宗家の九州担当連絡統括官)、筑紫物部灘刈(筑紫物部の御曹司)他2名が同行する。
ここからは、点描風にいくつかのシーンを列挙しておこう。
*航海中に厩戸他はサンスクリット語を倍達多から学ぶ。厩戸は倍達多を師として仏法を学ぶことに明け暮れる。
*怪蛸ヌ・マーンダーリカが出現し、虎杖が大活躍する。
*法顕伝に記された耶婆提の港で一時下船するが、そこでトライローキャム教団のカウストゥパに厩戸が目を付けられる。
*ムレーサエール侯爵の招待を倍達多と厩戸が受ける。師は檀越を大切にせよという。
この招待が色々な問題を引き起こすことにもなる。一方、侯爵は協力を申し出る。
*ナーランダ僧院に到着後、高僧シーラバドラが倍達多法師により厩戸の指導師となる。厩戸の仏典読破や瞑想修行などは急速に進展していく。それとともに、厩戸の問題意識も引き出されていく。
*ナーランダでの厩戸の修行が始まる。ここでは柚蔓と虎杖は護衛の任が不要となる。
二人は帰国まで、それぞれの生き方を迫られる。二人がどのように異国の地で、かつ厩戸の近くで生き延びていくかがサブストーリーとして展開されていく。
この二剣士それぞれの生き様、サブストーリーも読ませどころの一つになる。
*ナーランダで二度目の新年を迎え、11歳になる。ヴァルディタム・ダッタ(倍達多)が死を迎える。その1ヵ月後、師のシーラバドラと厩戸はブッダの足跡を巡る旅に出る。
この旅が厩戸の修行にとって大きな転換点となっていく。このたびのプロセスを描写することがこの第4部の大きな山場である。勿論、読ませどころである。
托鉢修行の中で、厩戸は戒律を破り、女犯をおかす結果となる。それは、シーラバドラが己の過去を想起する契機にもなる。厩戸の己との戦いの始まりである。
つまり、釈迦が王城でのセックスを含めた日常生活を経て、出家し悟りを開いていく歩みとは真逆の厩戸の生き方が始まって行く。仏典を読み、知識を頭に満たした後に、肉体の成熟が始まる中での修行である。
*一旦ナーランダ僧院に戻った後、もはや僧院内で厩戸が学ぶことはないと判断する。
ただ一人、托鉢修行に出立することをシーラバドラに願い出る。師は許可する。
この許可は、シーラバドラにとっては、ある意味僧院で己を保つ意味での厄介者払いとなる。
*厩戸の宛のない托鉢修行が始まる。それは破天荒な方向に彼を導いていく。
強盗団に攫われるという結果となり、それが厩戸を思わぬ境遇に投げ込んでいく。
そして、最後は強盗団に売られてタームラプティの殷賑で猥雑な都市に舞い戻ることになる。なんと、売られた先が、ムレーサエール侯爵だった。
「第五部 タームラプティ」は、ナーランダ僧院とは隔絶した環境となる。不邪淫戒という概念の存在しない世界が始まるのだ。その中で厩戸は己の肉体を媒体として、独自の自己分析を開始する。釈迦が出家という道に歩み出した原因を究明しようと考える。
それを実行する環境が、ある意味で奇想天外というのがこの第五部である。
その内容は読んでのお楽しみというところ。
そして、厩戸は、ブツダとはまったく逆の道筋をたどり、悟りを得たと確信する。
侯爵はそれを聞き、最後は厩戸の弟子にしてくれと言う。厩戸は自分はもうインドに居る必要と意味が無くなったと語る。
だが、そのすぐ後に、思わぬ状況が生み出されてくる。「・・・・厩戸は脾腹に痛みをおぼえ、意識が晦冥におちこんだ」でこの篇が終わる。
えっ、どうなるの・・・・という余韻で、次篇につながるという次第。
ご一読ありがとうございます。
著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『神を統べる者 厩戸御子倭国追放篇』 中央公論新社
『高麗秘帖 朝鮮出兵異聞』 祥伝社
『秘伝・日本史解読術』 新潮社
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