人が人を裁くということはどういうことか。
1966(昭和41)年5月21日、東京都国分寺市内で強盗殺人事件が発生した。事件から4日後に容疑者が緊急逮捕された。5月25日は被害者の告別式が開かれた日でもあった。容疑者は「自分がやりました」と、最初からすべて認めた。それ以前に強盗や窃盗事件を3件犯していたことも進んで自白したという。犯人は当時22歳の長谷川武である。
本書は、「裁く者と裁かれる者」という観点に特化し、人が人を裁くことをテーマとしたノンフィクションである。第10回新潮ドキュメント賞を受賞した。
本書末尾の「そして、私たち」に、著者がディレクターを務めたNHKのETV特集で、2010年5月30日に、長谷川武の死刑をめぐる元検事の苦悩に焦点をあてる形で本書の一部が放送されたと記す。ネット検索で確認してみると、”「死刑裁判」の現場 ~ある検事と死刑囚の44年~”というタイトルだった。その後も著者は取材等を継続し、2011年4月に本書が刊行された。2015年12月に文庫化されている。
「そして、私たち」の中で、著者は次の点にふれている。
「裁判は法廷の中だけで判断を迫られますが、・・・・法廷に現れる資料は万全ではありません。限られた材料で判断を下さなくてはならないという裁判の大前提、そして人が人を裁くことの不完全さを、裁く側は頭に入れておかなくてはならないと思います。そのことは、迅速性が優先されがちな裁判員裁判ではなおのことです。・・・・・裁きの場で相手に科したその重みは自らが抱える重みとして跳ね返ってきます。これらのことを何も知らないまま、ある日突然、クジで選ばれて人を裁く場に駆り出され、短期間に人の命を左右する判断を強いられることはあってはならないと思います。」(p344)
裁判員裁判は既に司法制度の中に組み込まれている。一般市民が裁判員として加わり、人を裁くという立場に突然に投げ込まれ、直面する可能性が現実になっている。
「人が人を裁くということはどういうことか。」を考えてみる上で、必読書の一つと言ってよいのではないか。読了してこの箇所を読み感じたことの一つである。
長谷川武は第1審ではさしたる弁明もせず、死刑判決を受けた。この事件の捜査検事は東京地方検察局八王子支部に配属されていた土本武司。任官して丸6年たったころだったという。現場検証にも自ら立ち合っている。土本は捜査検事として死刑を求刑した。土本にとっては、検事人生でこれが唯一の死刑求刑となった。第1審裁判は公判検事に引き継がれ、土本検事は裁判の法廷には立っていない。
長谷川の事件は東京高等裁判所に控訴された。第2審の国選弁護人を引き受けたのが小林建治。小林は戦前から定年で退官するまで裁判官として勤め、10件もの死刑判決を書くという経験者でもあった。その小林が第2審で長谷川の弁護士となり、「控訴趣意書」を書く。だが、第2審でも死刑判決は変わらない。最高裁への上告を小林は長谷川に勧め、自ら私選弁護人を引き受ける。このとき、長谷川自身が「上告趣意書」を書いている。最高裁は「本件上告を棄却する」と結論付けた。これにより長谷川の死刑が確定した。
28歳の秋、1971(昭和46)年11月9日午前9時32分、長谷川武は処刑された。
土本武司は検事一筋30年、最高検察庁検事の任期半ばの53歳で退職し、大学教授に転身した。捜査検事として長谷川に向き合った土本に対し、長谷川は封書や葉書を送っていた。第1通は1967年の年賀状、全部で9通。9通目は1971年11月8日付で便箋1枚の封書。
一方、長谷川は2審・3審で弁護を引き受けた小林建治宛にも手紙を送っていた。封書や葉書が全部で47通。小林弁護士が亡くなり、娘の節子がそれらの手紙を保管していて、1ヵ月後に行う父の23回忌を最後に法事も終わりとし、長谷川からの手紙も処分しようと考えていたという。
本書は、長谷川が土本、小林両氏宛に出した手紙を中心に据えながら、長谷川武が引き起こした事件の経緯とその長谷川に関わる背景が克明に探求されていく。裁く者と裁かれる者という観点に特化した形での事件の事実と思考・思いの掘り起こしである。
裁く者はどういう事実をどのように判断して死刑判決に至ったのか。土本武司はその中の一人だった。その背後には、検察組織がある。その前段に長谷川の犯罪を事件として捜査する警察組織がある。さらに、事件を精査し判決を宣告する地方・高等・最高という裁判所組織が関わっていく。
土本は長谷川から届いた一通の手紙に心を揺すぶられ恩赦の適用を願うという行動に動こうとすらしたという。
裁かれる者である長谷川武が犯罪を犯すに至った原因は何だったのか。なぜ当初さしたる弁明もせずに第1審に至ったのか。本人が名付けたかどうかは不詳だが、なぜ「犯罪日記」と通称される記録を書いていたのか。
著者は取材の過程で、長谷川と関わってきた同級生を含む周囲の人々が抱く長谷川像と事件を起こし人を殺めた長谷川の行動との間に大きなギャップを感じるところから、探求が始まって行く。さらに、長谷川が土本・小林に送った手紙の内容、そこに現れる長谷川の考え、思いに対する背景情報の収集や分析が推し進められる。長谷川武と母親の関係、武と家族の関係、長谷川家の沿革などが背景情報として明らかにされていく。より深く長谷川武を知るために・・・・である。
人が人を裁くとはどういうことか。人が人を裁くための根拠とする事実をどこまで、どのようにとらえるとよいのか。とらえることができるのか。時間的制約の中で、様々な障壁や障害となる要因もまた明らかになる。
さらに、本書ではなぜ「死刑」があるのかという点について見解が並存する実状も明らかにしている。
最後に、印象深い一節をいくつか引用してご紹介したい。読者として考える材料にもなる箇所だと思う。
*死刑とは、その時代その時代における正義感の表れであると表現されることがある。時代の正義感とは、言い換えれば市民がそれを正しいと支持する道理である。市民の正義感が、社会が定めたルールに違反したものに対して科せられる制裁の基礎となる。
死刑判決はその正義にのっとって、さらには法の下の平等の原則に基づいて、裁判という公正で公平な審理を通して下されるものである。
しかし、かつては死刑とされたものが、今では到底、死刑にならないとするならば、絶対的な真理であるはずの法の下の平等ですら時代によって変わるということか。
「正義」とは本来、うつろうものなのだろうか。
いずれにしても、どんな時代にあっても、どんな事件を裁くにあたっても、死刑判決を下す側に負わされる重荷は変わることはない。 p87-88
*「死刑」は受刑者である死刑囚に立ち直ることなど求めてはいない。死刑とは、自ら奪った命に対し自分の死をもって償わせることであり、いわば犯した罪への罰である。反省していようがいまいが、立ち直ろうが開き直ろうが、その先にあるのは等しく「死」のみである。償いが「死」そのものである以上、その前に別の償いを求める必要はない。だからこそ、死刑囚への処遇には労働もなければ厳しい日課も課されていない。 p230-231
*・・・土本には、ぶつけようのない苛立ちが感じられた。彼はこの感情を、”あの時”から抱き続けているに違いなかった。それは、自ら死刑を求刑した死刑囚から手紙が届き始めたときである。
かつて、その実現を胸に抱き、そして検事になって捨て去った刑罰の理想--。
青年は、処刑されるその日までに人間として立ち直りたいと書いていた。その彼を処刑し、この世から抹殺する死刑とは一体なんなのか--。
そんな土本の当惑をよそに、長谷川から届く手紙は日に日に澄んでいくように思えた。
p237
*死刑判決が確定しながら法的な特段の事情もないのに執行をやめるというのは、法治国家としては自らを破壊することになる。執行しない死刑制度というものを残しておくのは矛盾です。執行しないなら、もともと死刑制度そのものを廃止しなきゃいけないだろうと思うんです。・・・・現在の法律の下では裁判官は死刑に相当する事件であれば死刑判決を言い渡さなきゃならないし、それが確定した以上は執行されなければならないということだと思うんです。 p246
*人が人を裁き、そして命を奪う判断を下すことの重み。彼らは法律家としての理性で死刑判決を導く。だがひとりの人間に立ちかえったとき、消し去ることの出来ないその重みを生涯、背負い続けていくのだろう。
そして今まさに、その重みを市民が背負う時代がやってきている。 p249
*長谷川の本当の犯行の動機を調べるのであれば、強盗殺人事件の九ヵ月前にさかのぼり、定職に就いていて金には不自由のない生活をしていた時期に、強盗や窃盗に手を染め始めた初期の犯行も含めて捜査や審理を行うべきではなかったか。その時すでに長谷川は自殺する覚悟でいるのである。若年者が大事件を起こす前には、必ずと言っていいほどシグナルが発せられる。長谷川はなぜ、最初の犯行に及んだのか、判決は一行もふれてはいない。 p258-259
*もし母親との関係が事件の動機にあったとすれば、それは裁判の審理で取り上げられるべき事実であった。・・・・・もし彼自身が愛されていることさえ確かめることが出来ていたならば、ほんの一度でもその胸に飛び込むことが出来ていたならば、この事件はおこらなかったかもしれない。しかし、地裁から最高裁まで三度にわたる判決の中で、長谷川を包んだであろう様々な思いには一度もふれられることはなかった。事件の動機はただ「金欲しさの犯行」という短い言葉で切り捨てられた。 p292
一読をお勧めしたい。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連して、ネット検索した事項を一覧にして起きたい。
刑法(明治四十年法律第四十五号) ;「e-gov 法令検索」
第26章 殺人の罪 第199条(殺人)
日本における死刑制度 | 執行手続や適用犯罪、廃止論などについて :「刑事弁護」
死刑制度の問題(死刑廃止及び関連する刑罰制度改革実現本部):「日本弁護士連合会」
死刑執行当日の流れとは?意外と知らない死刑執行手順を解説!:「刑事事件弁護士ナビ」
裁判員制度 ウェブサイト
裁判員制度ってどんな制度? :「日本弁護士連合会」
裁判員制度について :「さいたま地方検察庁」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』 堀川惠子 文藝春秋
1966(昭和41)年5月21日、東京都国分寺市内で強盗殺人事件が発生した。事件から4日後に容疑者が緊急逮捕された。5月25日は被害者の告別式が開かれた日でもあった。容疑者は「自分がやりました」と、最初からすべて認めた。それ以前に強盗や窃盗事件を3件犯していたことも進んで自白したという。犯人は当時22歳の長谷川武である。
本書は、「裁く者と裁かれる者」という観点に特化し、人が人を裁くことをテーマとしたノンフィクションである。第10回新潮ドキュメント賞を受賞した。
本書末尾の「そして、私たち」に、著者がディレクターを務めたNHKのETV特集で、2010年5月30日に、長谷川武の死刑をめぐる元検事の苦悩に焦点をあてる形で本書の一部が放送されたと記す。ネット検索で確認してみると、”「死刑裁判」の現場 ~ある検事と死刑囚の44年~”というタイトルだった。その後も著者は取材等を継続し、2011年4月に本書が刊行された。2015年12月に文庫化されている。
「そして、私たち」の中で、著者は次の点にふれている。
「裁判は法廷の中だけで判断を迫られますが、・・・・法廷に現れる資料は万全ではありません。限られた材料で判断を下さなくてはならないという裁判の大前提、そして人が人を裁くことの不完全さを、裁く側は頭に入れておかなくてはならないと思います。そのことは、迅速性が優先されがちな裁判員裁判ではなおのことです。・・・・・裁きの場で相手に科したその重みは自らが抱える重みとして跳ね返ってきます。これらのことを何も知らないまま、ある日突然、クジで選ばれて人を裁く場に駆り出され、短期間に人の命を左右する判断を強いられることはあってはならないと思います。」(p344)
裁判員裁判は既に司法制度の中に組み込まれている。一般市民が裁判員として加わり、人を裁くという立場に突然に投げ込まれ、直面する可能性が現実になっている。
「人が人を裁くということはどういうことか。」を考えてみる上で、必読書の一つと言ってよいのではないか。読了してこの箇所を読み感じたことの一つである。
長谷川武は第1審ではさしたる弁明もせず、死刑判決を受けた。この事件の捜査検事は東京地方検察局八王子支部に配属されていた土本武司。任官して丸6年たったころだったという。現場検証にも自ら立ち合っている。土本は捜査検事として死刑を求刑した。土本にとっては、検事人生でこれが唯一の死刑求刑となった。第1審裁判は公判検事に引き継がれ、土本検事は裁判の法廷には立っていない。
長谷川の事件は東京高等裁判所に控訴された。第2審の国選弁護人を引き受けたのが小林建治。小林は戦前から定年で退官するまで裁判官として勤め、10件もの死刑判決を書くという経験者でもあった。その小林が第2審で長谷川の弁護士となり、「控訴趣意書」を書く。だが、第2審でも死刑判決は変わらない。最高裁への上告を小林は長谷川に勧め、自ら私選弁護人を引き受ける。このとき、長谷川自身が「上告趣意書」を書いている。最高裁は「本件上告を棄却する」と結論付けた。これにより長谷川の死刑が確定した。
28歳の秋、1971(昭和46)年11月9日午前9時32分、長谷川武は処刑された。
土本武司は検事一筋30年、最高検察庁検事の任期半ばの53歳で退職し、大学教授に転身した。捜査検事として長谷川に向き合った土本に対し、長谷川は封書や葉書を送っていた。第1通は1967年の年賀状、全部で9通。9通目は1971年11月8日付で便箋1枚の封書。
一方、長谷川は2審・3審で弁護を引き受けた小林建治宛にも手紙を送っていた。封書や葉書が全部で47通。小林弁護士が亡くなり、娘の節子がそれらの手紙を保管していて、1ヵ月後に行う父の23回忌を最後に法事も終わりとし、長谷川からの手紙も処分しようと考えていたという。
本書は、長谷川が土本、小林両氏宛に出した手紙を中心に据えながら、長谷川武が引き起こした事件の経緯とその長谷川に関わる背景が克明に探求されていく。裁く者と裁かれる者という観点に特化した形での事件の事実と思考・思いの掘り起こしである。
裁く者はどういう事実をどのように判断して死刑判決に至ったのか。土本武司はその中の一人だった。その背後には、検察組織がある。その前段に長谷川の犯罪を事件として捜査する警察組織がある。さらに、事件を精査し判決を宣告する地方・高等・最高という裁判所組織が関わっていく。
土本は長谷川から届いた一通の手紙に心を揺すぶられ恩赦の適用を願うという行動に動こうとすらしたという。
裁かれる者である長谷川武が犯罪を犯すに至った原因は何だったのか。なぜ当初さしたる弁明もせずに第1審に至ったのか。本人が名付けたかどうかは不詳だが、なぜ「犯罪日記」と通称される記録を書いていたのか。
著者は取材の過程で、長谷川と関わってきた同級生を含む周囲の人々が抱く長谷川像と事件を起こし人を殺めた長谷川の行動との間に大きなギャップを感じるところから、探求が始まって行く。さらに、長谷川が土本・小林に送った手紙の内容、そこに現れる長谷川の考え、思いに対する背景情報の収集や分析が推し進められる。長谷川武と母親の関係、武と家族の関係、長谷川家の沿革などが背景情報として明らかにされていく。より深く長谷川武を知るために・・・・である。
人が人を裁くとはどういうことか。人が人を裁くための根拠とする事実をどこまで、どのようにとらえるとよいのか。とらえることができるのか。時間的制約の中で、様々な障壁や障害となる要因もまた明らかになる。
さらに、本書ではなぜ「死刑」があるのかという点について見解が並存する実状も明らかにしている。
最後に、印象深い一節をいくつか引用してご紹介したい。読者として考える材料にもなる箇所だと思う。
*死刑とは、その時代その時代における正義感の表れであると表現されることがある。時代の正義感とは、言い換えれば市民がそれを正しいと支持する道理である。市民の正義感が、社会が定めたルールに違反したものに対して科せられる制裁の基礎となる。
死刑判決はその正義にのっとって、さらには法の下の平等の原則に基づいて、裁判という公正で公平な審理を通して下されるものである。
しかし、かつては死刑とされたものが、今では到底、死刑にならないとするならば、絶対的な真理であるはずの法の下の平等ですら時代によって変わるということか。
「正義」とは本来、うつろうものなのだろうか。
いずれにしても、どんな時代にあっても、どんな事件を裁くにあたっても、死刑判決を下す側に負わされる重荷は変わることはない。 p87-88
*「死刑」は受刑者である死刑囚に立ち直ることなど求めてはいない。死刑とは、自ら奪った命に対し自分の死をもって償わせることであり、いわば犯した罪への罰である。反省していようがいまいが、立ち直ろうが開き直ろうが、その先にあるのは等しく「死」のみである。償いが「死」そのものである以上、その前に別の償いを求める必要はない。だからこそ、死刑囚への処遇には労働もなければ厳しい日課も課されていない。 p230-231
*・・・土本には、ぶつけようのない苛立ちが感じられた。彼はこの感情を、”あの時”から抱き続けているに違いなかった。それは、自ら死刑を求刑した死刑囚から手紙が届き始めたときである。
かつて、その実現を胸に抱き、そして検事になって捨て去った刑罰の理想--。
青年は、処刑されるその日までに人間として立ち直りたいと書いていた。その彼を処刑し、この世から抹殺する死刑とは一体なんなのか--。
そんな土本の当惑をよそに、長谷川から届く手紙は日に日に澄んでいくように思えた。
p237
*死刑判決が確定しながら法的な特段の事情もないのに執行をやめるというのは、法治国家としては自らを破壊することになる。執行しない死刑制度というものを残しておくのは矛盾です。執行しないなら、もともと死刑制度そのものを廃止しなきゃいけないだろうと思うんです。・・・・現在の法律の下では裁判官は死刑に相当する事件であれば死刑判決を言い渡さなきゃならないし、それが確定した以上は執行されなければならないということだと思うんです。 p246
*人が人を裁き、そして命を奪う判断を下すことの重み。彼らは法律家としての理性で死刑判決を導く。だがひとりの人間に立ちかえったとき、消し去ることの出来ないその重みを生涯、背負い続けていくのだろう。
そして今まさに、その重みを市民が背負う時代がやってきている。 p249
*長谷川の本当の犯行の動機を調べるのであれば、強盗殺人事件の九ヵ月前にさかのぼり、定職に就いていて金には不自由のない生活をしていた時期に、強盗や窃盗に手を染め始めた初期の犯行も含めて捜査や審理を行うべきではなかったか。その時すでに長谷川は自殺する覚悟でいるのである。若年者が大事件を起こす前には、必ずと言っていいほどシグナルが発せられる。長谷川はなぜ、最初の犯行に及んだのか、判決は一行もふれてはいない。 p258-259
*もし母親との関係が事件の動機にあったとすれば、それは裁判の審理で取り上げられるべき事実であった。・・・・・もし彼自身が愛されていることさえ確かめることが出来ていたならば、ほんの一度でもその胸に飛び込むことが出来ていたならば、この事件はおこらなかったかもしれない。しかし、地裁から最高裁まで三度にわたる判決の中で、長谷川を包んだであろう様々な思いには一度もふれられることはなかった。事件の動機はただ「金欲しさの犯行」という短い言葉で切り捨てられた。 p292
一読をお勧めしたい。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連して、ネット検索した事項を一覧にして起きたい。
刑法(明治四十年法律第四十五号) ;「e-gov 法令検索」
第26章 殺人の罪 第199条(殺人)
日本における死刑制度 | 執行手続や適用犯罪、廃止論などについて :「刑事弁護」
死刑制度の問題(死刑廃止及び関連する刑罰制度改革実現本部):「日本弁護士連合会」
死刑執行当日の流れとは?意外と知らない死刑執行手順を解説!:「刑事事件弁護士ナビ」
裁判員制度 ウェブサイト
裁判員制度ってどんな制度? :「日本弁護士連合会」
裁判員制度について :「さいたま地方検察庁」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
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『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』 堀川惠子 文藝春秋
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