遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ヒトイチ 警視庁人事一課監察係』  濱 嘉之  講談社文庫

2021-12-06 13:19:05 | レビュー
 警視庁という警察組織内の身内捜査シリーズ第1弾、文庫書き下ろしである。2015年5月に刊行された。現時点では第3弾まで刊行されている。

 人事一課は警視庁警務部に属し、通称ヒトイチ。警視庁の上層部である警部以上の人事を担当する部署である。監察とは、「警察組織内の不祥事や非行事案を摘発し、処理する」(p60)のが職務である。人事第一課長はキャリアのポストで階級は警視長。キャリアの出世コースからは外せない要職である」(p60)という。
 この新シリーズでは、34歳にして監察係長を務めるノンキャリアの榎本博史警部補を中心に彼の部下たちが監察業務を遂行するプロセスを描く。榎本は監察係長になって4年目。周囲からはノンキャリアのエリートと目されている。
 監察係は組織内の不祥事や非行事案という膿を抉り出し、それを警察組織外部に知らしめずに穏便に処理する役割を担う。警察の舞台裏での仕事だ。組織内の他部門・部署に所属する警察官からは、恐れられるとともに嫌悪感すら抱かれる存在といえる。だが、組織の浄化には不可欠の部署である。つまり、警視庁の外に公開されることのない身内の捜査がストーリーを形づくるという点でのおもしろさが伴う。警察組織の表の活動に対して、裏面に潜む膿を眺めることになる。警察組織活動での暗闇のカラクリをフィクションという形式で垣間見ることができるという次第。

 さて、読み始めて気づいたのだが、本書は3つの章で構成された章立てになっている。しかし、中身は各章それぞれ一応独立したストーリーであり、この第1作は短編連作集と言える。そのため、各ストーリーはほぼ監察事案がストレートに描かれてくことになり、ストーリーの流れはスッキリしている。講談社文庫でいえば、同著者の警視庁情報官シリーズ、オメガシリーズにおいて、日本と世界主要国の情勢を扱うインテリジェンス部分の記述が重要な要素を占めているが、こちらではその部分がほぼ不要となっている。読者にとっては、インテリジェンス視点で考える材料という副産物はなくなるが、ストーリー展開のおもしろさをストレートに楽しめる。

 本書に取り上げられた監察事案を簡単にご紹介しておこう。

<第1章 新宿の舍兄>
 客引きの「5000円ポッキリでオーケーです」に釣られて宮重は同僚を連れて、新宿歌舞伎町の一隅にある古いビルの2階のクラブに立ち寄った。そして50万をボッタクラレルという被害に遭う。宮重は新宿警察署の地域課を訪れ被害届を出した。この被害届は組織犯罪対策課の三田村陽一課長代理に届けられる。三田村は組対部生え抜きで55歳のベテラン警部。「新宿に三田村あり」と称される存在となっていた。被害者が「議会局調査部調査情報課主任」という肩書の都庁職員とわかると、この事案を自ら手掛ける行動に出る。三田村がどんな形でこれを捜査し処理するかがおもしろい。まずこれが前座話となる。
 だが、監察係長の榎本の許に、新宿郵便局で投函され、警視総監宛の内部告発のコピーが届く。それは、新宿署の組対課長代理が反社会的勢力と不適切な関係にあるという告発だった。榎本は、三田村代理という名前が、警視庁の組対エース、松田係長が投入されている総監特命事件の対象になっていることに気づいた。
 榎本は泉澤班に指示して三田村代理の行動確認をとることから始めていく。榎本自身は三田村夫妻の全預貯金額残高の推移と家族の生活実態の捜査に着手する。三田村に関わる様々な事実が炙り出されていく。榎本たちの捜査は、ある国会議員にも及んでいくことに。
 榎本の緻密でかつ大胆さを含む捜査活動が読者を惹きつけていくことになる。

<第2章 復讐のポルノグラフィー>
 池袋駅西口北側の歓楽街にアロマドラッグ店「フィズ」がある。そこで危険ドラッグが扱われていてある暗号を伝えると買えることを捜査員が掴んだ。試しにその店で買ったブツを科捜研で調べると違法成分が検出された。Xデーを決めてガサ入れを実施したが空振りに終わる。この3ヵ月、組織犯罪対策部における薬物関連の検挙実績は急降下し、ガサ入れの空振りが続いていた。捜査ミスとなった5例が全て花牧組関連の事件だった。組対五課の捜査情報が組織内部から漏洩している可能性が高くなる。庶務担当管理官の梶は監察係の榎本に相談を入れた上で、組対五課の内部調査を実施したが結果はシロだった。その調査報告書を前提に、榎本は組対五課が扱った事件編成表と事件チャートから、考えられる可能性を書きだし、組対課長に電話を入れることから捜査に取りかかった。
 そして、渋谷、新宿、目白の各署と連絡を取った後、榎本は事件情報の漏洩はやはり本部からに違いないと直感する。そして、可能性の高いところを絞り込み、行動に出る。
 捜査対象を絞り込んでからの榎本の行動が読ませどころとなって行く。
 第1章では、榎本の趣味は料理ということが挿話として書き込まれている。この第2章では、事件解決後、榎本が婚約者の菜々子の家のキッチンでの会話場面が最後に描かれていて、息抜きになっている。

<第3章 灰色の筆致>
 組織対策部から再び情報漏洩が発生した。この情報漏洩で得をしたのは企業舎弟の「丸京」であり、丸京から金をもらっていた建設族のボス、民自党の深町昇平と考えられた。その深町が入れ込んでいる事案が国際リニアコライダー構想だった。その国際研究施設建設計画の誘致合戦が日本国内で密かに行われていたという。
 組対四課の作成したチャートがそのまま「情報東西」という薄い小冊子、定期購読契約者しか読めない専門誌に掲載されたのだ。発行人は岩淵新市。丸京から深町への金の流れを暴露したブラックな情報誌である。榎本は兼光課長からその情報誌を見せられて初めて知った情報誌だった。兼光は今回の情報漏洩について公安部も密かに内偵を開始すると判断した。榎本は課長からこの事案の捜査の指示を受けた。
 「内部の犯人捜しなんて、と嫌味を言う奴もいるだろう。そいつは組織内部の敵こそ組織を滅ぼす最も危険な因子になりうることを全く分かっていない。監察は警察の警察だ。警察という大組織に綻びがでないよう、組織を守るために徹底的に洗い出してくれ」(p266)と。
 組対四課の庶務担当管理官椚田(くぬぎた)から榎本に相談したいと電話が入る。四課内での内部調査ではシロだったという。榎本は今回のチャートの配布資料現物を見せられ情報流出防止対策を確認した。また、チャートがデータベース化される手続きと関係者もも知らされ聞き取りを行った。一方、泉澤は岩淵新市関連を既に調べていた。ここから捜査が展開して行く。榎本は捜査で訪れた部署において意外な事実を聴取することになる。情報漏洩の一事例として興味深い展開となっていく。
 情報流出防止対策の難しさを考えさせるストーリーにもなっている。
 この第3章も最後に榎本と婚約者菜々子の会話場面が加えられている。警察組織のことをほとんど知らない菜々子という設定がおもしろいオチになっている。

 ご一読ありがとうございます。

こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『警視庁情報官 ノースブリザード』   講談社文庫
『院内刑事 ブラックメディスン』 講談社+α文庫
『院内刑事』   講談社+α文庫

===== 濱 嘉之 作品 読後印象記一覧 ===== 2021.9.14現在 1版 21冊

『白馬山荘殺人事件』  東野圭吾  光文社文庫

2021-12-04 23:24:01 | レビュー
 初期の作品にも触れてみようと、江戸川乱歩賞受賞の『放課後』(1985年)に続いて、この小説を手に取った。1986年8月にカッパ・ノベルスとして出版され、1990年に文庫化されている。
 プロローグが2つあるというおもしろい構成で始まる。その1は、信州白馬のあるペンションに偽名で宿泊した客、本名川崎一夫がペンションの裏の谷に落下して死んでいるのが発見された。川崎は3日前から失踪中ということだった。その2は、白馬のある山荘の一室で、夜に死んでいる宿泊客が発見された。その部屋には鍵がかかっていた。警察の捜査結果で服毒自殺をはかったものとして処理された。

 1年後の同じ12月の時期に大学生の妹・ナオコは、兄・公一が服毒自殺したと判断された白馬の山荘に出かける決心をする。自分の目で真相を確かめたいという思いだった。ストーリーはそこから始まる。ナオコは同じ大学の友人マコトに声をかけて同行してもらうことにした。同行するにあたり、マコトはナオコに「危険なことはしないこと、自殺だという確証がつかめたらすぐ帰ること、とても手におえないと悟った場合もすぐに帰ること、以上の三点だ」(p29)と条件をつけた。ナオコ、マコトという表記に既にこのストーリーの伏線が敷かれている。そのことに気づいたのは、読み進めてからである。そのおもしろさは残しておこう。

 この山荘には、ほぼこの12月の同時期に例年同じ常連客が集まり親交を楽しむという特徴があった。ナオコとマコトが山荘の宿泊客となったとき、1年前とほぼ同じ常連客が今年も宿泊しているという確認を宿のオーナー、霧原から取れた。霧原はマスターと呼ばれていた。ナオコはこの山荘で公一の妹であることを当初は伏せて偽名で宿泊する。
 この山荘自体にも大きな特徴があった。もとは英国人の別荘で、今流行のウッディ・ハウスとれんが造りとを掛け合わせたような感じで、周囲には塀がめぐらせてあって、中世の雰囲気が漂っていたりする。「まざあ・ぐうす」と称されていた。友人だった所有者の英国人が手放す決心をした時に、霧原が買い取ってそのままペンションに転用したという経緯があった。この「まざあ・ぐうす」の各部屋には、入口に「まざあ・ぐうす」に因んだ名前が付けられている。部屋には新聞一面分ぐらいの壁掛けがかかっていて、そこには部屋名とかかわる「まざあ・ぐうす」の唄の部分フレーズが中央に英文で彫ってある。その裏面に、日本文をマスターが刻んでいた。

 ナオコとマコトは、予約の時にナオコの兄・公一が死んだ部屋に宿泊を希望した。予約を担当したのは山荘のスタッフ、高瀬だった。チェック・インの際にマスターは最初しぶっていたが、結局彼等の希望を受け入れる、ナオコの宿泊した部屋、つまり兄・公一の死んだ部屋は”Humpty Dumpty"(ハンプティ・ダンプティ)という名が付けられていた。
 部屋の内部を確認したナオコとマコトは、もし公一が自殺したのでなく誰かに殺されたとしたなら、密室殺人事件という謎を解かねばならなくなる。
 ナオコは、1年前、兄が死んだ後に、死の直前にナオコ宛てに出されたハガキを受け取っていた。そこには「マリア様が、家に帰ったのはいつか」という問いかけと、「ようやく芽が出る」という語句も記されている。こんな文を妹に送る兄が自殺したとは信じられないのだ。
 ナオコとマコトは、常連客と親しくなり、それとなく当時の状況について、聞き出すことから始めていく。

 二人が常連客から聞き出したことはいくつかあった。常連客の一人、上条は、公一がなぜ部屋にマザー・グースの唄が飾ってあるのか。各部屋の名前、マザー・グースから引用されたフレーズの間に何かの関係性があるのか、その謎解きに熱中していたという。ナオコは22歳で亡くなった兄が英米文学を専攻していたことを思い出す。
 各部屋の名称とそれに関連する部屋の壁掛けの章句は、英国人がここを別荘としていた時にあったものがそのまま使われているのだった。それは何かを示唆しているのか。
 上条は二人にこの宿にまつわるもう一つの気味の悪い話を伝える。それは2年前にもここで人が死んでいるという事実だった。転落死であり、一応事故という判断がなされていた。その時、上条は事件の3日後にこの宿に着いたので、話を聞いただけだという。
 ナオコとマコトがこの山荘に逗留を始めたさなかに、常連客の一人である大木が裏の崖から転落死するという事故が発生した。二人が情報収集を始めた最中に第三の事件が発生したことになる。地元の刑事が捜査に乗り込んでくる。それぞれの事件はまったく偶然のことなのか。あるいは、それらに何らかの関係があるのか・・・。
 そういう状況下で大学生2人は現地体験と調査から真理を求める推理を進展させて行く。そこに、公一を熱中させたマザー・グースの唄の謎がどのように関わっていくのか・・・・。

 公一の死が自殺ではなくて密室を装った殺人であると解き明かされるプロセスが一つの押さえ所になる。それは、白馬のある山荘のマスターとスタッフたち、そして常連客の間の人間関係を明らかにする。一見、無関係に見えた3つの事件が繋がって行く。そして意外な事実を明らかにする。
 マザー・グースの唄のフレーズの謎解きが一つの読ませどころになる。マザー・グースの唄のフレーズの組み合わせに秘められたメーッセージが新たな事実を明らかにする。

 マザー・グースの唄と密室殺人の組み合わせがおもしろい。マザー・グースの唄がどんなものか、その一端を楽しめるところも興味深い。ストーリー全体が意外な展開に導くおもしろい設定になっている。
 
 ご一読ありがとうございます。

ふと手に取った作品から私の読書領域の対象、愛読作家の一人に加わりました。
次の本を読み継いできています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『放課後』   講談社文庫
『分身』    集英社文庫
『天空の蜂』  講談社文庫

東野圭吾 作品 読後印象記一覧 1版  2021.7.16 時点  26作品