晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
※文章や写真の無断転載は禁止!

【京都】 時雨殿にて講演会「紫式部と女流歌人たち」(講師:吉海直人先生)

2015年12月09日 | 平安あれこれ
 私のささやかな日常。京都・名古屋旅行編。

12月3日(木)、
小倉百人一首殿堂『時雨殿』にて行われた講演会
「紫式部と女流歌人たち」を拝聴。

講師は、同志社女子大学教授で
時雨殿館長でいらっしゃいます吉海直人先生です。


ご講演中の私のメモより。※聞き違いや勘違いがあればごめんなさい。

・『百人一首』において右大将道綱母の歌は『蜻蛉日記』から、清少納言の歌は『枕草子』から撰ばれているが、紫式部の和歌は『源氏物語』の作中歌から撰ばれていない。
 ⇒『源氏物語』はフィクションなので撰ばれなかった。

・紫式部の歌は“雲がくれ”という語が含まれていたことから「めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに…」が撰ばれた。
 ⇒『源氏物語』に<雲隠>という帖がある。また、<夕顔>などに“雲隠れ”という語も登場。

・歌人としての評価よりも、『源氏物語』の作者としての紫式部の評価が上がった。

・のちに『源氏物語』に読まれている言葉や情景が和歌に詠まれるようになる。
 ⇒歌を詠む勉強のために『源氏物語』を男性が読む。

・藤原定家(と息子・為家)による『百人一首』と『源氏物語青表紙本』は嵯峨野で生まれた!

・藤原俊成の妻で定家の母=美福門院加賀、為家の妻=阿仏尼はそれぞれ『源氏物語』の朗読が上手かった。
 ⇒『源氏物語』を阿仏尼が朗読し、為家が講義することも。

・「俊成―定家―為家」、「美福門院加賀―阿仏尼」・・・男性側の視点と女性側の視点で『源氏物語』に親しみお互いに影響し合ったか?




後半は、紫式部の描かれ方について述べられていました。

<レジュメより>

◎紫式部の三パターン
1 百人一首歌仙絵(素庵本系)・かるたの十二単紫式部
2 石山寺(土佐光起系)の机付き紫式部 源氏執筆
3 狩野探幽の見返り紫式部 佐竹本小町系




 ・一つ目のパターンは、かるたで見られる“十二単姿で描かれる紫式部”。・・・十二単型。

 ・二つ目のパターンは、土佐光起によって描かれた“源氏物語を執筆する紫式部”。・・・石山寺型。
 ⇒紫式部は有名になればなるほど美人に描かれる傾向が?
 ⇒後世、机が描かれている十二単姿あるいは袿姿の女性=紫式部 という定型に。

 ・三つ目のパターンは、“「佐竹本三十六歌仙 小野小町」(十二単の後ろ姿で顔は描かれない)を踏襲して描かれた紫式部”。・・・小町型。
 ⇒江戸時代以降、小野小町は細長を着た姿で描かれることが多い。




 
・・・などなど、楽しいお話満載でした。




ご講演後は、時雨殿1階にて
常設展を時雨殿の学芸員さんに、
企画展「紫式部と女流歌人たち」を吉海先生に
それぞれ解説していただきながら鑑賞。

展示内容への理解がより深まり
贅沢なひとときを過ごすことができました。






そののち、私は京都から名古屋へ移動。
翌日は徳川美術館の「国宝 源氏物語絵巻」展を鑑賞したのでありました。

それはまた別の記事にて。






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【京都】 大覚寺(大沢の池・名古曽の滝跡)へ行ってきました♪

2015年12月09日 | 平安あれこれ
 私のささやかな日常。京都・名古屋旅行編。

12月3日から4日まで
京都・名古屋へ行ってきました。

3日の午前中は大覚寺と大沢の池を訪ねました。
大覚寺は大好きなお寺のひとつです。


宸殿


右近の橘
(実がついていました)


御影堂の前にある舞台


紅葉


五大堂から見た大沢の池


廊下


大覚寺をお詣りしたあと、大沢の池の畔を散策しました。


放生池に映る心経宝塔。


大沢の池に浮かぶ島。菊ヶ島。


名古曽の滝跡。
『百人一首』に撰ばれた大納言公任(藤原公任)の歌でも知られていますね。

滝の音は絶へて久しくなりぬれど
 名こそ流れてなほ聞こへけれ




 大覚寺と『源氏物語』の関係

光源氏のモデルの一人といわれる源融(みなもとのとおる)。
源融は嵯峨天皇の皇子として生まれながら、
“源”姓を授かり臣下になった平安時代初期の人物です。

大覚寺は源融の父である嵯峨天皇の離宮
「嵯峨院」の一部が寺に改められたことが起こりです。

『源氏物語』内において、光源氏が造営した
「嵯峨の御堂(みどう)」は大覚寺の南に位置し、
滝殿の石組みの様子は大覚寺にある滝殿の石組み
「名古曽の滝(なこそのたき)」に劣らず趣深く、
素晴らしい寺だと記されています。

この光源氏の「嵯峨の御堂」は
源融が嵯峨院南部に建立した山荘“棲霞観(せいかかん)”が
モデルだと考えられており、現在の清凉寺境内に相応します。





午後からは小倉百人一首殿堂「時雨殿」へ行きました。




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