『東北芸術工科大学紀要』第22号に掲載されている標記論文の存在を知ったので、コピーを取り寄せて読みました。
この論文は、江戸時代後半の瀬戸内海公用通行をめぐる情報伝達について、海路上休泊拠点の一つ伊予国松山藩領津和地島(現愛媛県松山市)での藩士八原氏の公務記録、愛媛県歴史文化博物館所蔵「八原家文書」を素材にしつつ時代的変化を分析したものです。
論文のテーマをめぐっては、今から8年前の平成19年(2007)11月11日、山口県立山口図書館で開催された第106回『山口県地方史研究大会』において、私自身が「地域における情報ネットワーク形成と幕末動乱―防予間をめぐる長崎上使通行情報の伝達から―」と題する《口頭発表》をおこなっています。この《発表要旨》は『山口県地方史研究』第98号(2007年)86頁に掲載されておりますが、実証内容は、論文化しないまま放置してきました。
私がネタを放置しているあいだに一体どんな論文を発表されたのか注目しましたが、私が山口県ですでに発表しているのと異なる結論だったので、東京オリンピックのエンブレムみたいに問題視するまでもないことがわかりました。