殺人級の気温で、家人が見事に熱中症(軽度)となり、日曜でお休みのところ申し訳ありませんが、病院で点滴うっていただき、何とか復活して帰ってきました。
なるべく電気代かけないようにと、自室のクーラーかけないで過ごそうとしていたらしく、その後見事に頭痛と嘔吐(--;)
早く見つかったからよかったけど、これもうチョイ時間たっていたら命ヤバかったかもしれません。
「受診料より電気代の方がなんぼも安いんだから、クーラーつけやがれっ」としっかり叱って終了(--)
ホント、生き残るのも命がけの最近の真夏の気温。特に小さな子供とお年寄りは危険なので、注意してみてあげないとですね。近所の猫までぐったりしていたので、「奴も熱中症か!?Σ( ̄口 ̄|||)」と思ったら、ちゃんと顔洗い始めたので良かった、生きてたw
命かかっているんだから、電気代気になるなら公共施設に行ってもいいので、とにかく冷やして欲しいです。
命がけ―――
昨日「この世界の片隅に」を放送していたので、何度か見てますが(ドラマ含めて)、改めて見直しました。
同じ夏ですが、今から74年前の夏は、暑さではなく熱さで幾人も多くの方々が亡くなりました。
映画では開戦当初はそこまで空襲とか危機的状況はなかった(※食糧事情は危機)ですが、舞台となった呉の街は海軍の拠点だったこともあって、次第に空襲の数が増え、そして真夏の盛りの原爆・・・
毎日が命の危機にさらされ、挙句目の前で姪っ子が時限爆弾に巻き込まれ爆死。主人公自身も右手を失う大けがを負いました。そんな中でも少しでも「幸せ」と思うことを見つける北条家の家族たち。「空襲で魚が沢山うち上がって、食べられるものが手に入ってよかった」「怪我はしたけど命は助かった。よかった。」「今日は野草が採れたよ。よかった。」etc・・・
今では道端に注意を向けることなんてないです。タンポポが咲いているのも当たり前。気にも留めない。でもあの時代の人達は、そこに命があるだけでもありがたいと思うんですよ。鷺が一羽、庭に舞い降りていたのを必死に「空襲が来るから」と追い払う。どんな命でも少しでも救いたくなる。現在、みんなどれだけ自分だけじゃなく小さな生き物まで「命」を大事にしようと向き合っている人がどのくらいいますかね・・・。ちょっと意見されただけで簡単に人を刺したり殴ったり。命の大切さを忘れているんじゃないかと思いますよ。ゲームみたいに簡単にリセットできるんだったら、74年前の夏を生きていた人たちは命をどれだけリセットしてあげたかったでしょうか。
この時期、6月の沖縄掃討戦から原爆、終戦に至るまでの数々のドラマをテレビを始め、メディアで取り上げていますが、「また今年もやるんだ」と冷めた目で見るのではなく、一年に一度でもいい、こうしたドラマやメディアを見ながら、少しでも「命のある有難さ」「平和のありがたさ」を感謝する心を取り戻したいですね。無論煩悩のままに生きているかもしたも。
長門に乗っていたじーさまが亡くなって、もう77年目になりますが、また今年も手を合わせたいと思います。
(余談ですが、本家のばーさまが、長岡花火の三尺玉打ち上げる時になるサイレンで、「シャキーン!」ってよくなっていたんですけど、昨日の映画の空襲警報のサイレン聞いて、魂に刻み込まれた恐怖は何年経っても忘れられないんだと、つくづく思いました。「んでも7人も子供をばー様一人で連れていけないから、最後は「(焼夷弾)落とすんなら落としやがれ!」って腹くくって家で座り込んでいたそうです。・・・焼けなくってよかったね(焼けてたら、今頃かもしたは生きてはいまい・・・)
なるべく電気代かけないようにと、自室のクーラーかけないで過ごそうとしていたらしく、その後見事に頭痛と嘔吐(--;)
早く見つかったからよかったけど、これもうチョイ時間たっていたら命ヤバかったかもしれません。
「受診料より電気代の方がなんぼも安いんだから、クーラーつけやがれっ」としっかり叱って終了(--)
ホント、生き残るのも命がけの最近の真夏の気温。特に小さな子供とお年寄りは危険なので、注意してみてあげないとですね。近所の猫までぐったりしていたので、「奴も熱中症か!?Σ( ̄口 ̄|||)」と思ったら、ちゃんと顔洗い始めたので良かった、生きてたw
命かかっているんだから、電気代気になるなら公共施設に行ってもいいので、とにかく冷やして欲しいです。
命がけ―――
昨日「この世界の片隅に」を放送していたので、何度か見てますが(ドラマ含めて)、改めて見直しました。
同じ夏ですが、今から74年前の夏は、暑さではなく熱さで幾人も多くの方々が亡くなりました。
映画では開戦当初はそこまで空襲とか危機的状況はなかった(※食糧事情は危機)ですが、舞台となった呉の街は海軍の拠点だったこともあって、次第に空襲の数が増え、そして真夏の盛りの原爆・・・
毎日が命の危機にさらされ、挙句目の前で姪っ子が時限爆弾に巻き込まれ爆死。主人公自身も右手を失う大けがを負いました。そんな中でも少しでも「幸せ」と思うことを見つける北条家の家族たち。「空襲で魚が沢山うち上がって、食べられるものが手に入ってよかった」「怪我はしたけど命は助かった。よかった。」「今日は野草が採れたよ。よかった。」etc・・・
今では道端に注意を向けることなんてないです。タンポポが咲いているのも当たり前。気にも留めない。でもあの時代の人達は、そこに命があるだけでもありがたいと思うんですよ。鷺が一羽、庭に舞い降りていたのを必死に「空襲が来るから」と追い払う。どんな命でも少しでも救いたくなる。現在、みんなどれだけ自分だけじゃなく小さな生き物まで「命」を大事にしようと向き合っている人がどのくらいいますかね・・・。ちょっと意見されただけで簡単に人を刺したり殴ったり。命の大切さを忘れているんじゃないかと思いますよ。ゲームみたいに簡単にリセットできるんだったら、74年前の夏を生きていた人たちは命をどれだけリセットしてあげたかったでしょうか。
この時期、6月の沖縄掃討戦から原爆、終戦に至るまでの数々のドラマをテレビを始め、メディアで取り上げていますが、「また今年もやるんだ」と冷めた目で見るのではなく、一年に一度でもいい、こうしたドラマやメディアを見ながら、少しでも「命のある有難さ」「平和のありがたさ」を感謝する心を取り戻したいですね。無論煩悩のままに生きているかもしたも。
長門に乗っていたじーさまが亡くなって、もう77年目になりますが、また今年も手を合わせたいと思います。
(余談ですが、本家のばーさまが、長岡花火の三尺玉打ち上げる時になるサイレンで、「シャキーン!」ってよくなっていたんですけど、昨日の映画の空襲警報のサイレン聞いて、魂に刻み込まれた恐怖は何年経っても忘れられないんだと、つくづく思いました。「んでも7人も子供をばー様一人で連れていけないから、最後は「(焼夷弾)落とすんなら落としやがれ!」って腹くくって家で座り込んでいたそうです。・・・焼けなくってよかったね(焼けてたら、今頃かもしたは生きてはいまい・・・)