ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

俳人協会山口県支部第22回俳句大会

2018年10月01日 | 俳句

 今日からもう10月、9月がアッという間でした。きっと今月もそうなる気がします…

 あの台風24号の中を別府の城島高原ホテルへ行って来て、今日の夕方帰ってきました。その話は置いておいて…、ちょっと聞いて下さい。先ほど一段落してPC開いて見ると、日曜日に家を出る前に書いていたブログ…、UPしないまま出発してしまったので、原稿が全く残っていませんでした。悔しい!土曜日(9月29日)の俳人協会山口県支部第22回俳句大会のことを書いていたのですが…

 それで、思い出しながらもう一度簡単に…。やっぱりクヤシイ!

 講師は、「草笛」主宰、「百鳥」同人の太田土男先生。演題は「大野林火に学ぶこと」でした。

 「俳句は私に発する、故に抒情」、私に発するとなれば、「私を耕し、高めて行くことを抜きにして秀句は生れない」という林火の教えをひたすら学んだということ。そして、それは「生き方を問う」のが俳句で、「顔の見える俳句」を詠めと、厳しく教えられましたと。その林火の考えは、師の臼田亜浪の「まこと、心を大切なものとし、言葉の巧み、姿の飾りを排し、作意や細工を嫌う」姿勢をを受け継いだものでした。そういう林火から学んで常に念頭においている作句姿勢が太田氏にはあるということ。それは、「現場に立つ」「自分の場に立つ」「自分の土地に立つ」「季節の場に立つ」という4つのことでした。

 「現場に立つ」というのは、行く前にいろいろ調べたりしてイメージをふくらませておいてから、現場に行って句を詠むということ。

 「自分の場に立つ」とは、自分の詠うべきモチーフを、頭ではなく現場に立って、五感で詠むということ。観念で詠むことを諫める。

 「自分の土地に立つ」とは、今というX軸に、その土地の歴史というY軸を立て、その交点でものをみるということ。

 「季語の場に立つ」とは、昨今の麻痺している季節感覚を自分流にみて、季物から新しさを甘受し、季語の本意を広げること。

 講演の中で特に印象に残った話。大野林火主宰の「濱」で、観念的な俳句ばかりを詠んで一句級が10年続いた後、たまたま詠んだ〝牛〟の句を林火から褒められて開眼したと。その後は三年間牛の句ばかりを詠み続けたそうです。すると林火から〝君そろそろ違うものを詠んだらどうかね〟と言われて、他のものを詠むようになったと。しかし、その牛に執することで〝頭で作ることから、見て作ることへ〟という俳句の基本が分かり、自分の場合の「自分の場に立つ」とは〝牛〟であったということです。

 そこで、太田土男先生がどんな略歴を持った方かと興味が湧いて調べてみました。それが以下…

 1937年8月、川崎に生まれる。1960年に職を得て、盛岡、那須野、茨波など農水省の研究機関を転々。草地生態学を専攻し、主に牧場ぐらし。1958年に「濱」大野林火に師事、次いで松崎鉄之介に師事。1960年に「草笛」(岩手)入会、2008年草笛代表。1974年「鬼怒」(栃木)入会。1994年「百鳥」創刊とともに同人。濱賞(1974年)、第8回栃木県俳句作家協会賞(1975年)、百鳥鳳声賞(1996年)、第10回俳壇賞(1996年)、第⒓回俳句研究賞(1998年)

 写真は、講演中の先生です。

  

  

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