今日は久し振りに一日中よい天気で、秋晴でした。でも、朝夕はちょっと冷え込み、一枚余分にセーターでも羽織らないと…という感じ。見ると宇部の最低気温はやっぱり10度とありましたからね。
午後からは句会でした。ここは兼題はありませんから当季雑詠の5句投句です。今日はしめて、16人投句の80句。しかし、欠席者が多くて私を含めて出席者は8人でした。
今回の問題点はやはり季語の付きすぎということ。更に句材のワンパターン化と取り合せの陳腐さということかな。ついでに言うなら切れの甘さ。俳句はたった17文字なのに一つの奥深い世界を描き出すことも可能な力を持っています。その力を発揮させるのが省略と切字なのです。そして、そこが俳句の魅力なのですが、それを曖昧に…または、切れがなく散文的に述べたような俳句はどうもいただけませんね。俳句らしくしっかりと一本立ちした切れのある句を詠みたいものです。
ところで、昨日、映画「人生フルーツ」を主人と観に行きました。午前、午後、夜の3回の上映でしたが、私は午後から俳句教室でしたので、19時からの夜の部へ。
先日亡くなられた樹木希林さんのナレーションで、第91回キネマ旬報ベスト・テンの文化映画第1位。第32回高崎映画祭ホリゾント賞、平成29年度文化庁映画賞文化記録映画優秀賞のドキュメンタリー映画です。
「風が吹けば、枯葉が落ちる。枯葉が落ちれば、土が肥える。土が肥えれば、果実が実る。こつこつ、ゆっくり。人生、フルーツ。」というこの映画のテーマが、樹木希林さんのナレーションで最初から最後まで流れます。更にもう一つのメッセージ、それは、むかし、ある建築家が言いました。「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」という、モダニズムの巨匠ル・コルビュジエの言葉です。
かつて日本住宅公団のエースとして、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わっていた津端修一さん。1960年代、風の通り道になる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画しました。しかし、経済優先の時代がそれを許さず、理想とはほど遠い無機質な大規模団地が完成、それが愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンです。そこで、修一さんは、それまでの仕事から距離を置き、そのニュータウンの一隅を買って、家を建て、雑木林を育て始めました。それから50年、ふたりはコツコツ、ていねいに、時をためていきました。英子さんは今では70種の野菜と50種の果実を育て、美味しいご馳走を。そうやって長年連れ添った二人の暮らしは細やかな気遣いと工夫に満ちていました。修一さんが亡くなる三ヶ月前に新たな仕事の依頼が舞い込みます。
雑木林を生かした精神科(?)のクリニックを建てたいので力を貸して下さいという佐賀県唐津からの依頼でした。それを喜んで無償で引き受けた修一さん、そういう幸せな仕事を最後に与えて貰って…と感謝の気持ちのままその着工を見ないで息を引き取られました。

1925年1月3日生まれ。東京大学を卒業後、建築設計事務所を経て、日本住宅公団へ。数々の都市計画を手がける。広島大学教授などを歴任し、自由時間評論家として活動。

1928年1月18日生まれ。愛知県半田市の老舗の造り酒屋で育つ。27歳で修一さんと結婚し、娘2人を育てる。畑、料理、編み物、機織りなど、手間ひまかけた手仕事が大好き。
「人生はだんだん美しくなる」という、田端修一さん90歳、英子さん87歳、風と雑木林と建築家夫婦の物語。ふたりの来し方と暮らしから、この国がある時代に諦めてしまった本当の豊かさへの深い思索の旅が、ゆっくりとはじまります。そんな映画を久し振りに観ましたが、こういう時間も人生には貴重なものですね。ホント!(写真はお借りしました)