今日は朝から必死でした。なぜって?
実は27日~28日にかけて、恒例の「あしかび会」の吟行が実施され尾道へ出かけていました。そのためにブログを三日間もお休みしました。訪ねて下さった方にはゴメンナサイ!
そのつけが来て、今日が締切の原稿に追われていたのです。やっと一段落してブログ書いています。
去年から引き受けた〝あしかび会〟の吟行会、去年は初めてで要領を得ませんでしたが、二年目ですので、まあまあだったかな。みなさん満足されて帰られましたから。
参加者は、主宰と男性2名、女性16名の計19名。
尾道駅12時集合、先ずガイドさんの案内で林芙美子像と13歳から上京する19歳までいたという尾道での居宅見学。そこは「芙美子記念館」として林芙美子の資料が展示されていて、奥には〝林芙美子の部屋〟が残されていました。2階の6畳もないような天井の低い部屋で、階段が急なので降りるときがコワイ!芙美子は小柄な人で身長が150センチもなかったということでした。大柄な人かと思っていたので、ちょっと意外。
芙美子像は、柳行李の旅鞄と日傘を横にしゃがみ込み、遠くの海へ思いを馳せるように見つめていました。その像の銘板には恩師・故小林正雄氏の〝林芙美子さんのこと〟という文(以下)が誌されています。
〝女流作家 林芙美子は、大正5年5月、尾道に両親とともに降り立った。爾来、小学校(現土堂小学校)、県立高女(現尾道東高等学校)を卒業するなど、夢多き青春時代をこの地ですごした。上京後、幾多の辛酸をなめ、詩情豊かな作風をつらぬき、「放浪記」や「うず潮」「晩菊」「浮雲」など、芸術的香り高い名作を数多く残し、齢48歳を一期に他界した。 けだし芙美子にとって尾道は、少女期の感じ易き魂に文学の目を開かしめた唯一の揺籃の地であり、かつまたわすれがたい故郷の街でもあった。〟
その後、レトロな商店街を通り抜けて千光寺山ロープウエイで山頂へ。その展望台からは尾道市内としまなみ海道の島々はもちろん、更にはるか遠くの石鎚山も望むことができます。
次は俳句や短歌などを石碑に刻んだ散策路の〝文学のこみち〟を下って、千光寺の境内へ。参拝と記念撮影を済まして、今度は〝おのみち文学の館〟の見学です。もう遅いので、これはまた次にしましょう。オヤスミナサイ。