ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝人生は七十才より〟

2018年10月02日 | 俳句

 今日はまあまあのお天気…でも途中曇ったり、また日が差して晴れたりと、ちょっと定まらない〝女心と秋の空〟の感じでした。

 さて、今日のビッグニュースはもちろんノーベル医学生理学賞に決定した〝本庶祐〟(ほんじょたすく)さんのこと。私は昨日のニュースで知り、これは日本にとってメデタイことだと、最近にない明るいニュースに喜びました。ところが、今朝になって、氏が小学校から高校まで〝宇部市〟の出身だという…もう本当にびっくりしました。卒業した宇部高校は私の家のすぐ傍…神原小も神原中もみんな近くにあります。地元紙の今日の記事はこのことばかりで、宇部市じゅうが喜びに包まれています。個人的にはどこにも接点はないのですが、日本人がノーベル賞を貰うだけでも嬉しいんですから、ましてや我が町の出身だと思えば喜びは一入でしょう。バンザ~イ!

 夕方義姉から電話で〝オメデトウ、宇部は良かったね!〟と。かつて甲子園で宇部商が準優勝した時以来かしら?そんなことを言われたのは…。〝もっと早くにこの免疫療法が開発されていたら…〟まだ生きていたかもしれないと、義姉は兄の死を嘆いていました。ほんとにそう思う人が日本中には…いや世界中にもたくさんいることでしょうね。まあ当分の間マスコミは本庶フィバーでしょうから、情報はそちらの方に委せるとして、この地域でしか知り得ないようなものがあれば、その時にまた紹介しますね。とにかく御目出度うゴザイマ~ス!

 午後からは俳句教室でした。兼題は〝秋刀魚〟。もちろん秋の季語です。ところが、江戸時代にはあまり人気がなかったからか、季語とされておらず、現代になってから俳句に多く詠まれるようになったものですって。

  火だるまの秋刀魚を妻が食はせけり   秋元不死男

 以前〈鳥わたるこきこきこきと罐切れば〉の句を取上げて彼のことを書いたことがあります(2017・7・30〝秋元不死男〟)が、Wikipediaの説明を再掲しますね。

 秋元不死男の俳句は、善人性と庶民的ヒューマニズムが作風の基調をなす。その根底には、貧しい一家を支える母を助けながら多感な少年期を過ごした経験がある。山本謙吉は「現実的な人間生活に切り込もうとする意欲は、彼の初期からの特徴をなしている。彼の句は素材的で健康で感傷的で単純で重厚だが、詩人的感性は鋭くも深くもないし、抽象的思考は彼のもっとも不得手とするところだ。私は彼の句に、困苦に耐え、しかもちっともねじけなかった暖かい庶民的な感情が流れているゆえに愛するのである」と評している。

 戦時下の投獄経験は俳人としての大きな転機をなし、戦後、獄中で紙石盤に書き付けておいた若干の句を含めて獄中吟の連作として発表した。当時獄中吟をまとめた俳人は不死男のみで、俳壇に大きな感銘を与えることとなった。初期から評論においても活躍したが、戦後は1954年に『俳句』誌に発表した「俳句と『もの説』」において、スローガン的な社会性俳句に疑問を投げかけつつ、俳句という形式は「事」ではなく「もの」に執着しなければ崩れてしまうと論じ「俳句もの説」として注目を集める。晩年は飄逸味のあるのびやかな境涯詠を詠んだ。

 この秋刀魚の句がいつ詠まれたのかは分かりませんでしたが、特に〈火だるまの秋刀魚〉がいいですね。昔は七輪の炭火で、煙が出るので外で焼いていましたから、その景が目に浮かびます。ヘタすると脂が燃えて本当に火だるま、それを一生懸命に消して…だから焼き上がった秋刀魚は煤で真っ黒でした。でもそうやって焼いた秋刀魚のナント美味しかったこと!口を黒くして家族中の笑い声が…。父はあの苦い腸が好物で、これがあるから〝秋刀魚はうまいんだ!〟と。懐かしい話です。

 〝火だるま〟というと、何となく家計が〝火の車〟だという感じも連想されて、妻が〝もっとしっかり働いて〟とハッパをかけているようでもあり、そう思えば不死男の苦笑いも見えてきませんか。裏を返せば、苦労ばかりかけている妻を労る優しさも隠されているように私には思えます。気持ちを素直に口に出して言えない男の含羞かな?不死男の句を読んでいると何だかドラマができそうな…そんな句が多いですね。

 今日の写真は、〝人生は七十才より〟。先日の俳句大会の時、喫茶店で見つけました。先ほどの本庶祐さんも76歳…関係ないかな…

 

コメント (2)
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