ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

幸せの花〝ベゴニア・ラブミー〟

2018年10月08日 | 俳句

 今日は〝体育の日〟、朝から気持ちの良い秋晴で、運動するのにはもってこいの日でした。でも、私は…ウン、イヤ運動(?)しましたよ。朝回覧板を持って行った帰り、入口の草が気になったので、ついついもう少しと…1時間以上も草取りをしてしまいました。それで、汗びっしょり。これも立派な運動の一つです。それから洗濯も掃除も…。

   体育の日なり青竹踏むとせむ     草間時彦

   体育の日を耳立てて兎たち      辻田克己

 「青竹踏み」なんて、懐かしいですね。今では運動マシーンがいろいろありますが、昔は適当な長さの青竹を半分に割って、台所などに置いて、それを踏みながら家事をしていましたもの。兎たちも耳を立てて、〝ヨーイ、ドン!〟と。さあ亀に負けないように…

 昼からは友人の催している「近代陶芸の巨匠展」を見に出掛けました。趣味で蒐集したものを展示し、販売もしておられましたが、なかなか高価すぎて手の出せるものはありませんでした。だって人間国宝で文化勲章も受章されているという濱田庄司氏、どちらも辞退された河井寛次郎氏。他にバーナードリーチ、島岡達三、金城次郎、荒川豊蔵、棟方志功、三輪休雪などなど…錚々たる方々の作品ばかりでしたので、しっかりと目の保養だけしてきました。やっぱりいいものはいいですよ!

 先日台風の中で行った城島高原は主人の誕生日の9月30日。その出かける前に、誕生日プレゼントが届きました。誰からって?ウフフ…(笑)実は銀行からなんです。山口銀行は年金を受領して、定期預金をしている人に毎年お花のプレゼントをしてくれるんです。私も貰っていますが、誕生日は花の少ない2月ですので、4月1日に変えて送って貰っています。義母の誕生日も私と同じ2月、それで自分に届いた花と私のを比べて、4月の花の方がよかったといつもぼやいていますよ。

 しかし、主人は真夏ではないので、ちょうどいい花が届きます。今年は「ベゴニア」でしたが、普通見るベゴニアとは違って〝ラブミー〟というドイツで作出されたクリスマスベゴニア系の品種、とても可愛い花です。

 花を貰うと何だかとても幸せな気分になって自然と明るくなります。自分で買って活けるのも好きですが…やはり〝花〟を貰うというのがいいんですね。花に付いていた山銀のカードにも「みなさまに〝幸せ〟という花がたくさん咲きますように…」とありました。しゃれた試みだと思いませんか?もちろん預金獲得のためなんですけどね~。でもこれだけ金利が低い世の中ですから、同じ預けるなら少しでも幸せな気分になれる方がお互いのためにもいいのでは…

 他の銀行の人が来た時、その話をすると〝それはいいですね~〟とは言うんですが、するという話は聞きません。やはり同じことは出来ないのかしら。銀行も預金獲得にあれこれ智恵を絞っているようですが、今のところこの花のプレゼントが一番いいかなあ~。

 写真は、そのお花です。キレイでしょ!結構鉢が大きいんです。だからボリュームがあってとても豪華ですよ。

 

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ねがいごとの木

2018年10月07日 | 俳句

 今日は気温を見ると28度でしたが、ナントも蒸し暑くて、しばらく忘れていたあの夏の不快感が蘇りました。それで、とうとうエアコンを付けてしまいましたが、さすがに夜は消しました。

 今日は何をして過ぎてしまったのでしょう。振り返ってみると、出掛ける用事のないときは、一日が何ということもなく過ぎて何も痕跡が残っていません。そんなときいつも、〝なにしてたんよ~〟と自分が情けなくなります。だってすることは山のようにあるんですから…

 でも、頼まれている原稿を一つ書いたし、俳句教室の資料プリントも作ったし、今度の〝あしかび会〟の資料も仕上げて、主宰に送ったし…。まあ、まあかな。

 ああ、そうそう昨日の夕方のこと。俳句教室の生徒さんから〝簡易書留〟が来て、何ごと?と思って受け取って、開けてびっくりです。先月の添削句稿が送られてこなかったし、いろいろと迷惑ばかりかけているので、もう見捨てられたんだと思って、教室を辞めさせて頂きますと…、今までのお礼を送ってこられたのでした。もう~また、やっちゃった!と、自分が情けなくなりましたよ。

 ホントにダメですね。後からしょうと思うのは…その時すぐにしておかないと、コロッと忘れてしまいます。特に月末は足元に火が付いていますので、急ぐものから消していかないと。すると、余裕のあるものが後回しになって、忘れてしまうんですね。

 すぐに電話をかけて謝り、FAXを送って許して貰いました。このAさんは、今ご主人の介護で句会に出て来られないので、通信で添削をしていたんです。まだ来てないと連絡をしてくれるとよかったのですが、私が忙しいから遠慮されて…。おまけに世話をかけるから迷惑がられているのではと疑心暗鬼になって、辞めると言ってこられたのでした。根っからの明るい方なので、すぐに誤解も解けて、また続けられることになりました。あ~ホッとしました。私のミスからいらぬ心配をかけてしまいました。ゴメンナサイ!

 これからはすぐにやるという習慣をつけるようにしましょう。どんどん歳を取って益々忘れっぽくなるでしょうから。

 写真は、先日の〝城島高原パーク〟にあった「ねがいごとの木」です。夫婦杉などは見たことがありますが、これは珍しい銀杏の木、このようになったのを初めて見ました。私も物忘れしないようにお願いしよう!

 

 

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県支部俳句大会の入賞作品

2018年10月06日 | 俳句

 本来なら今頃は広島の山小屋祭に参加して、星でも眺めていたかも…。6日~8日までのワンゲルOB会参加で、広島の〝いこいの村〟へ出掛けていたはずでした。昨日の台風進路情報で、今回は無理かもしれないと、返事が昨日午前中までと言うことでしたので、断念しました。

 ところが、今日のナント静かなこと、午後からはお日様まで差してきて、こんなことなら行くんだったなあ~と、後悔しきりでした。読みが当たらなかったと言うこと。まことに残念です!

 でも、主人共々このところハードスケジュールで、ちょっとひと休みするのもいいかもと考えることにしました。私もこのところ少し、いやかなり俳句が疎かになっていましたから、そちらの方も片付けないといけませんので、ちょうどよかったかしら。

 先日の俳人協会山口県支部俳句大会の入賞作品の三賞は以下。

 山口県知事賞      麦熟れて明るき雨の降りだせり 下関市 武石 道代

 朝日新聞社賞      蛍火やにんげんにある非常口  光 市 竹本チエ子

 (俳協)山口県支部長賞  ポケットの小銭も遺品余花の雨 周南市 吉浦百合子

 当日の席題は「木」で、季語ではない題が出ました。一応季節は当季ということでしたので、「木の実」や「木槿」「木犀」が多く出ましたね。でも、私たち馬醉木での詠み込みのときは、季語に詠み込むのはいけないとされています。だから、以前「黒」が出たとき、夏でしたので、「黒南風」や「黒百合」、「黒揚羽」などはダメでした。結社でいろいろと違うんでしょうか。

 ところで、よく「兼題」という言葉を使いますが、この「兼題」というのは、句会などを催すときあらかじめ出しておく題です。そもそも「兼題」は「兼日題」の略で、「兼日」とは期日より以前の日のことですから、当日には使いません。宿題のように題を出しておいものを詠み、句会の日にその俳句を持ってくるのです。また、「季題」というのは、俳句を作る詠題としての季語のこと。今では季語と混同して使われていることが多いのですが、本質的には違うようです。三省堂の大辞林では、元来、発句の中に題として詠まれる季を示す語を季題といい、発句・連句を通じて用いられる季を表す語を季語とよんで区別していたと説明あり。ホトトギス派は「季題」という言い方にこだわりがあるようで…。以前テレビで稲畑汀子さんと金子兜太さんがこの「季題」論争をしていたのを見たことがあります。兜太さんがちょっとからかっているように見えました。すると汀子さんがムキになって反論したり…。「季題」は明治40年頃河東碧梧桐が、「季語」は明治41年大須賀乙字が最初に用いたとか。 

 ところで、先ほどの「木」の詠み込みの優秀賞三句は次の句でした。

   食卓に廻して一人木の実独楽     大村生雲

   木登りの傷痕未だ鵙日和        村重光子

   木の実降る猿に注意と巡回車     来栖章子

 写真は、〝インパチェンス〟です。アフリカホウセンカと言い、ツリフネソウ科の植物。花を観賞する園芸植物である。園芸方面ではインパチエンスとも。 本来インパチェンスとは、ツリフネソウ属のラテン名であるが、日本でインパチェンスというとアフリカホウセンカの意味で使うことが普通である。(Wikipedia)ちなみに〝鳳仙花〟は秋の季語。この花はもう終りに近いですね。

 

 
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台風一過の〝城島高原パーク〟

2018年10月04日 | 俳句

 昨日は、着付け、体操、リハビリととても忙しい一日でした。夕方帰ってからもこのところの煩忙で片付けていないことがたくさんあって、それに時間を取られブログ書く余裕はありませんでした。ゴメンナサイ!

 さてさて、先日の台風最中に出掛けた別府の城島高原の話でもしましょうか。せっかく撮った写真もありますし…

 最初6人なので車2台で行く予定でしたが、義弟が気分がすぐれないと言ってキャンセル。それで5人1台で行きました。当日朝まで止めるかどうか随分悩んだのですが、大分の弟に電話すると、〝台風は昼頃大分を通過すると言ってるから、昼過ぎて出た方が…〟と。そこで東九州自動車道を通らず、福岡廻りで大分自動車道から湯布院へのコースで行くことに決定。台風は宮崎沖から大分、高知への進路予定ですから、福岡の方は風も弱いだろうし、別府に着く頃は夕方なのでもう通り過ぎているだろうとの想定でした。

 それが、ピッタリ当たりました。一番心配なのは関門橋…通行止めかも、でも関門トンネルがあるから大丈夫と強気です。50キロ制限だけで大丈夫でした。それを過ぎて小倉に差し掛かると、「豊前~別府」「別府~湯布院」が雨のため通行止めと。まさか通行止めまでは予想していませんでしたが、読みが当たりました。宇部を13時出発、17時頃には城島高原ホテルに無事到着。ヤッターです。

 チェックインの時、キャンセルが多かったですか?と聞くと、ハイと。当然ですけどね。〝もしかしたら貸切かも…〟などと話して、レストランへ行くと本当に…、いや、一人先客がありました。その後カップルが2組と、やはりこの大きなホテルを一番占めているのは私たちの家族。温泉の広い湯舟も独占…気持ちよかったですよ。気兼ねなくのびのびと入れました。夜の露天湯は強風のため施錠してあるので出ませんでしたが、朝もう一度行くと、露天湯OK。すると真っ先に入った娘が〝紅葉風呂よ!〟と。昨日の風で吹きちぎられた紅葉の葉がたくさん散らばって、浴槽にも浮いていました。まだ青いもみじですが…風流を満喫しました。

 翌日はまさに〝台風一過〟のいい天気。高原の緑が眩しく、窓を開けると目の前に由布岳が聳えていました。朝食を済ませて、今度はホテルとセットになっている「城島高原パーク」へ。ここもきっと人がいないよねと言いながら行くと、昨日台風のため休園だったからか、朝から結構人が来ていましたね。もちろん若い外国の人が多かったけれど…。

 残念なことは、ここの一番の目当て、木製コースターの〝ジュピター〟が点検中で乗れなかったこと。娘と息子はフリーパスを買って早速遊びに。私たち3人は…見ると60歳以上はダメというものがたくさんあって、以前三井グリーンランドでの経験があるのでやっぱりという感じでした。年齢に関係なくわざわざ〝ペースメーカーの人はお断り〟という看板もありましたよ。だっておばあちゃんはペースメーカーですもの。でも、大丈夫なものがたくさんありましたので、童心に返って遊びました。一番怖かったのは大観覧車。台風の余波でしょう、上空の風はとても強くて、ぎしぎしと音を立てて揺れるのが…コワイ!その観覧車に〝足ぶら観覧車〟(観覧車の写真の中に一つ映っています。探してみて!)というのがあって、籠のないリフトのような乗り物ですが、主人と娘が乗りました。娘は平然として笑っていましたが、主人の顔…引き攣っていましたね。降りてそう言うと、〝寒かったから…〟と。ホントかしらねえ~?

 お昼を食べて、思い残さないためもう一度娘たちは遊具へ。お天気が良くて気持ちの良い時間でした。夕方5時過ぎに無事帰宅。ホッ…さすがに疲れました。

 テレビでは頻りに〝不要不急の外出は避けましょう〟と流していましたので、こんな時無理して行って事故でも起こせば何を言われるか…きっと非常識と責められるでしょうから、慎重に、慎重にと息子が運転してくれました。ヨカッタ、感謝です!主人には忘れられない誕生日となったことでしょう。

 写真は、①城島高原ホテル②夕食のバイキング③ホテルの窓から鶴見岳④〃由布岳⑤~⑬城島高原パーク

 

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〝人生は七十才より〟

2018年10月02日 | 俳句

 今日はまあまあのお天気…でも途中曇ったり、また日が差して晴れたりと、ちょっと定まらない〝女心と秋の空〟の感じでした。

 さて、今日のビッグニュースはもちろんノーベル医学生理学賞に決定した〝本庶祐〟(ほんじょたすく)さんのこと。私は昨日のニュースで知り、これは日本にとってメデタイことだと、最近にない明るいニュースに喜びました。ところが、今朝になって、氏が小学校から高校まで〝宇部市〟の出身だという…もう本当にびっくりしました。卒業した宇部高校は私の家のすぐ傍…神原小も神原中もみんな近くにあります。地元紙の今日の記事はこのことばかりで、宇部市じゅうが喜びに包まれています。個人的にはどこにも接点はないのですが、日本人がノーベル賞を貰うだけでも嬉しいんですから、ましてや我が町の出身だと思えば喜びは一入でしょう。バンザ~イ!

 夕方義姉から電話で〝オメデトウ、宇部は良かったね!〟と。かつて甲子園で宇部商が準優勝した時以来かしら?そんなことを言われたのは…。〝もっと早くにこの免疫療法が開発されていたら…〟まだ生きていたかもしれないと、義姉は兄の死を嘆いていました。ほんとにそう思う人が日本中には…いや世界中にもたくさんいることでしょうね。まあ当分の間マスコミは本庶フィバーでしょうから、情報はそちらの方に委せるとして、この地域でしか知り得ないようなものがあれば、その時にまた紹介しますね。とにかく御目出度うゴザイマ~ス!

 午後からは俳句教室でした。兼題は〝秋刀魚〟。もちろん秋の季語です。ところが、江戸時代にはあまり人気がなかったからか、季語とされておらず、現代になってから俳句に多く詠まれるようになったものですって。

  火だるまの秋刀魚を妻が食はせけり   秋元不死男

 以前〈鳥わたるこきこきこきと罐切れば〉の句を取上げて彼のことを書いたことがあります(2017・7・30〝秋元不死男〟)が、Wikipediaの説明を再掲しますね。

 秋元不死男の俳句は、善人性と庶民的ヒューマニズムが作風の基調をなす。その根底には、貧しい一家を支える母を助けながら多感な少年期を過ごした経験がある。山本謙吉は「現実的な人間生活に切り込もうとする意欲は、彼の初期からの特徴をなしている。彼の句は素材的で健康で感傷的で単純で重厚だが、詩人的感性は鋭くも深くもないし、抽象的思考は彼のもっとも不得手とするところだ。私は彼の句に、困苦に耐え、しかもちっともねじけなかった暖かい庶民的な感情が流れているゆえに愛するのである」と評している。

 戦時下の投獄経験は俳人としての大きな転機をなし、戦後、獄中で紙石盤に書き付けておいた若干の句を含めて獄中吟の連作として発表した。当時獄中吟をまとめた俳人は不死男のみで、俳壇に大きな感銘を与えることとなった。初期から評論においても活躍したが、戦後は1954年に『俳句』誌に発表した「俳句と『もの説』」において、スローガン的な社会性俳句に疑問を投げかけつつ、俳句という形式は「事」ではなく「もの」に執着しなければ崩れてしまうと論じ「俳句もの説」として注目を集める。晩年は飄逸味のあるのびやかな境涯詠を詠んだ。

 この秋刀魚の句がいつ詠まれたのかは分かりませんでしたが、特に〈火だるまの秋刀魚〉がいいですね。昔は七輪の炭火で、煙が出るので外で焼いていましたから、その景が目に浮かびます。ヘタすると脂が燃えて本当に火だるま、それを一生懸命に消して…だから焼き上がった秋刀魚は煤で真っ黒でした。でもそうやって焼いた秋刀魚のナント美味しかったこと!口を黒くして家族中の笑い声が…。父はあの苦い腸が好物で、これがあるから〝秋刀魚はうまいんだ!〟と。懐かしい話です。

 〝火だるま〟というと、何となく家計が〝火の車〟だという感じも連想されて、妻が〝もっとしっかり働いて〟とハッパをかけているようでもあり、そう思えば不死男の苦笑いも見えてきませんか。裏を返せば、苦労ばかりかけている妻を労る優しさも隠されているように私には思えます。気持ちを素直に口に出して言えない男の含羞かな?不死男の句を読んでいると何だかドラマができそうな…そんな句が多いですね。

 今日の写真は、〝人生は七十才より〟。先日の俳句大会の時、喫茶店で見つけました。先ほどの本庶祐さんも76歳…関係ないかな…

 

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俳人協会山口県支部第22回俳句大会

2018年10月01日 | 俳句

 今日からもう10月、9月がアッという間でした。きっと今月もそうなる気がします…

 あの台風24号の中を別府の城島高原ホテルへ行って来て、今日の夕方帰ってきました。その話は置いておいて…、ちょっと聞いて下さい。先ほど一段落してPC開いて見ると、日曜日に家を出る前に書いていたブログ…、UPしないまま出発してしまったので、原稿が全く残っていませんでした。悔しい!土曜日(9月29日)の俳人協会山口県支部第22回俳句大会のことを書いていたのですが…

 それで、思い出しながらもう一度簡単に…。やっぱりクヤシイ!

 講師は、「草笛」主宰、「百鳥」同人の太田土男先生。演題は「大野林火に学ぶこと」でした。

 「俳句は私に発する、故に抒情」、私に発するとなれば、「私を耕し、高めて行くことを抜きにして秀句は生れない」という林火の教えをひたすら学んだということ。そして、それは「生き方を問う」のが俳句で、「顔の見える俳句」を詠めと、厳しく教えられましたと。その林火の考えは、師の臼田亜浪の「まこと、心を大切なものとし、言葉の巧み、姿の飾りを排し、作意や細工を嫌う」姿勢をを受け継いだものでした。そういう林火から学んで常に念頭においている作句姿勢が太田氏にはあるということ。それは、「現場に立つ」「自分の場に立つ」「自分の土地に立つ」「季節の場に立つ」という4つのことでした。

 「現場に立つ」というのは、行く前にいろいろ調べたりしてイメージをふくらませておいてから、現場に行って句を詠むということ。

 「自分の場に立つ」とは、自分の詠うべきモチーフを、頭ではなく現場に立って、五感で詠むということ。観念で詠むことを諫める。

 「自分の土地に立つ」とは、今というX軸に、その土地の歴史というY軸を立て、その交点でものをみるということ。

 「季語の場に立つ」とは、昨今の麻痺している季節感覚を自分流にみて、季物から新しさを甘受し、季語の本意を広げること。

 講演の中で特に印象に残った話。大野林火主宰の「濱」で、観念的な俳句ばかりを詠んで一句級が10年続いた後、たまたま詠んだ〝牛〟の句を林火から褒められて開眼したと。その後は三年間牛の句ばかりを詠み続けたそうです。すると林火から〝君そろそろ違うものを詠んだらどうかね〟と言われて、他のものを詠むようになったと。しかし、その牛に執することで〝頭で作ることから、見て作ることへ〟という俳句の基本が分かり、自分の場合の「自分の場に立つ」とは〝牛〟であったということです。

 そこで、太田土男先生がどんな略歴を持った方かと興味が湧いて調べてみました。それが以下…

 1937年8月、川崎に生まれる。1960年に職を得て、盛岡、那須野、茨波など農水省の研究機関を転々。草地生態学を専攻し、主に牧場ぐらし。1958年に「濱」大野林火に師事、次いで松崎鉄之介に師事。1960年に「草笛」(岩手)入会、2008年草笛代表。1974年「鬼怒」(栃木)入会。1994年「百鳥」創刊とともに同人。濱賞(1974年)、第8回栃木県俳句作家協会賞(1975年)、百鳥鳳声賞(1996年)、第10回俳壇賞(1996年)、第⒓回俳句研究賞(1998年)

 写真は、講演中の先生です。

  

  

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