kankoのひとりごと

外出できず、ネットと電話・ラジオで日々が過ぎています

現代美術家の「二人展」

2016年06月18日 | 展覧会

「個展」ではなく、2人の美術家がそれぞれの作品を展示している「二人展」を見てきました。5月22日でした。
2人のうちの、井川惺亮さんは、高校で同級生。
私が撮った写真を並べます。
上の写真の、右側

その奥の方

写真中央に位置している結び目

上の写真の左側

壁から離れてあったポール

馴染みのある展示

このように見えた所もあった…


現代美術で「インスタレーション」という、空間も含んだ全体が作品です。
この写真から伝えられるものは、ごく一部でしかないと思いますが…。

展示室(下図イラスト)の壁は、カーブのある卵型。
中の壁は長さ15メートル。その両面に紐を回しているので、紐の長さは30メートル以上ですって。
広いギャラリーに、長い紐と、高いポールと、多くの絵。
色彩(色の取り合わせ)は共通で。

なお、卵型展示場の外側の壁には「ワークショップ」で作った巻物のように長い「絵の具の流し絵(?)」がありました。
観るだけでなく、大勢の参加者が協力して作るという「ワークショップ」も、今も時代だからこそできることなんでしょうね。

会場のリーフレットに記載されている井川さんの作品紹介
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個展を開催しながら、各地の展覧会に出品、また地域と美術を結ぶワークショップを積極的に開催している。絵画を意味する仏語「Peinture」と題された一連の作品は、キャンバスや画用紙といった画材だけでなく、木材・紐といった身近なものを原色で彩り、それらを多様に組み合わせることで構成されている。会場を横切る紐や、天井から吊るされた紐を通して作品を見ると、作品の中に入ったように鑑賞できる。
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外壁にあった井川惺亮さんの挨拶文
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Peinture(絵画)

皆さん、この展示場は内側に囲まれた壁面の卵型の建築構造となっています。更に内側と外側の両面の壁面をもつもう1つの弧を描く壁面を見ます。
 まず、この内側にカーブした壁面から弓を連想し、かつて弓型のような作品を制作したことを思い出し、この空間にマッチするだろうと運んできました。過去をセンチメンタルに語るのも良いでしょうが、私はあの大震災(大津波や原発トラブル)で自然と主に生きることの意味を問いました。

次に、私はリタイアし無職の身です。それでも現代美術家(画家)と言う職種を名乗りますが街や役場に行ってもただの人でしかありません。ただ個人的にはゴッホのように絵描きとしての使命を忘れないようにしています。同時にマルセイユ美術学校で学んだ西洋絵画の流れを念頭に、日本人としての完成のアイデンティティを常に反芻しています。この結集がキャンバス作品となっています。

川崎は、長崎と呼び名が似て、私の名は井川ですから親しみが沸きます。91年この市民ミュージアムでは子どもさんを対象に「井川惺亮パフォーマンス」を実施してお世話となりました。あれから25年経過しましたので、かれらはそろそろ成人となられたことでしょう。今回再び新たな子どもさんらに「ワークショップ」をします。なんといっても子どもさんらの美の感性は素晴らしいものがあります。「ワークショップ」を通して、その美をみなさんで共有し、川崎の文化向上にお役に立てたいです。

2016年4月9日 井川惺亮

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「二人展」についての紹介文
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「川崎の美術」は、川崎にかかわる作家や作品を紹介するシリーズです。今回は、現代美術家の樋口正一郎と井川惺亮を取り上げます。

1944年北海道に生まれた樋口正一郎は、幼年期を川崎市で過ごし、神奈川県立川崎高校卒業後、東京芸術大学彫刻科に進みます。
1970年に渡米、パブリック・アートに関心を寄せ、社会につながりのない美術作品では、造形する意味がないと考えるようになります。「立体絵画」、あるいは「2.5絵画」というテーマを持ちながら、一貫して鮮やかな色彩で表現された作品は、二次元と三次元の間を彷徨い、立体にも平面にもなりうるという新たな次元の作品となっています。
同じく1944年に内モンゴル自治区に生まれた井川惺亮は、幼少期を愛媛県越智郡で過ごし、東京芸術大学大学院終了後に渡仏、1984年からは長崎を拠点にしています。絵画の形態を解体して再構築するという一連の作品は、フランス語で絵画を意味する「Peinture」と題され、立体となったり、平面となったりとかたちを変えながら、絵画の本質を問う試みが続けられています、井川はまた、地域と美術を結びつける活動を積極的に行っています。
ともに1944年生まれの大学の同期である二人は、それぞれ彫刻と絵画から制作がはじまりましたが、一方は彫刻から平面へ、もう一方は絵画から立体へと向かい、期せずして境界線上で遭遇しています、。本展では、この二人の川崎ゆかりの作家の作品を通して、現代美術の一端を展覧いたします。

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もう一人の現代美術家・樋口正一郎さんの挨拶文
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美術に再度興味を持ったのはニューヨークでリチャード・セラの『アーク』を見たときからだ。鉄の素材そのものといった作品を国が買い、連邦ビルの広場に設置(後に撤去)。デュシャンの『便器』を作品として美術館が買って以降、意味の転換が価値の転換になった。

もの言わぬ作品で国が率先して世界にメッセージを伝える。アメリカはベトナムで敗戦したが、その一方で、自国の現代美術とパブリックアートを先兵とし、美術植民地を世界に築いてきた。だがコンピューターの出現以来、ヴィジュアルアートの領域は脳の想像力を支える目や手の職人技は過去の遺物、伝統文化に収斂する中で、結局は経済でしか動かないアメリカは超付加価値のブランド化という美術帝国主義出現のシステムをつくり上げ、逆転させ、一人勝ちしている。

日本の美術はかつてはヨーロッパそして60年代からはアメリカをなぞり、翻弄されてきた。世界中を見てきた私にとって、日本の現代美術の質は高い。せめて江戸美術とセットにして、アキハバラだけではない文化国家として現代美術を宣伝し、ソニーやトヨタのような世界ブランドにしたい。

2016年4月9日 樋口正一郎


樋口正一郎氏のブログはこちら
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会場は川崎市民ミュージアム。
私は初めて行った場所です。まず驚いたのは、とても大きかったこと。
日本鋼管(NKK)など重工業で栄えた大都市だけあって、でっかくてがっちりしていました。
フロアには現代美術の作品がいくつか配置されていました。
触っても、通り抜けても、いいんですよね~。



ミュージアムには展示室やアートギャラリーがいくつもあります。
アートギャラリーへは出入り自由(無料)。
この「2」と「3」のギャラリーで開かれている、川崎ゆかりの二人の現代美術家の作品展「二人展」でした。
会期は7月24日までです。

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現代美術家の個展

2015年10月08日 | 展覧会

9月27日に行った井川惺亮(Peinture)さんという現代美術家の個展。

会場に入ったら、最初に、「イメージ性はないので、好きなように見てください」と言われました。

ちょっと驚いたのは、会場が打ちっ放しのコンクリート壁で、円筒形の天窓からの光で作品を見せるようになっていたことでした。

(倉敷市立美術館も、丹下健三氏設計の市庁舎を美術館に変えたので、コンクリート打ちっ放しの壁に絵を掛けていたようにも思うけど…)

上が会場風景。絵の1枚1枚ではなく、会場全体で作品なんだと思います。
(好きに解釈してください、ということなので)

「写真を撮ってもいいですよ」と言われたのに、ヘンに遠慮して、まともにとったのはこの1枚。

絵の具を乗せたキャンバスを傾けたり動かしたりしてできた線。
意図して描いた線ではなく、偶然が作り出した曲線とのこと。

二度と同じものは作れない形、と説明されましたが、私は出来上がった形より、色彩の印象の方が強かったです。

並べられた作品は、ほとんど同じような色合いで、オレンジがメインでした。
でも、黄緑色の方が主役じゃないかなあと感じ、この黄緑色(井川グリーン?)が好きになりました。

こんな色合いの服を着るわけにはいかないけど、身近に、目立たない所に、この雰囲気があったらいいかも…。

彼の個展を見てきた人の話では、これまでずっと立体的なのを創ってきたので、キャンバスの平面だけの作品は意外だったそうですよ。

おまけ。井川さん(中央)のお友だちが、撮ってくれました。

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