kankoのひとりごと

外出できず、ネットと電話・ラジオで日々が過ぎています

源氏物語:末摘花

2024年06月10日 | ラジオ・TVメモ
古典講読「名場面でつづる『源氏物語』
前回(6月8日)は「末摘花の巻」だった。

末摘花は紅花(ベニバナ)のこと。
ベニバナは枝の末(先の方)から根元へと花が咲くので、先から摘んでいく。
それで末摘花。

光源氏、17~18 歳から19 歳の正月まで。
死んでしまった夕顔に似た女を探していた。
亡き常陸宮の忘れ形見である女(末摘花)に関心を抱き、一夜を共にする。
雪の朝になって、見届けた女の顔。たぶん美しくはないだろうと想像していたが
想像をはるかに超えた酷い風貌だった。
・身長が高い
・面長で、額は広く、あごが長い。顔の真ん中にある鼻は高くて長く、先が赤い。
・痩せていて骨ばっている。肩の辺りは着物の上からでも骨が分かる。

(今の世ならモデルさん体型でも、1000年前は美の基準が違う。
 これらを事細かに、嘲笑の的になるような表現が続く)

屋敷に帰って10歳の紫の上と戯れる際は
自分の鼻を赤く塗って「こんな顔どうだ!」と言って呆けた。

(講師からこれらの説明を聞いていると、気分が悪くなった、全く😥)

講師の説明は
これは「物語の俳諧」である。
物語の中で深刻な純愛ばかりが続くと、読者は涙で湿っぽくなってしまう。
緩衝材(クッション)として乾いた笑いが必要とされる、と考える、だった。

そして
光源氏が二条院で大切に育てている紫の上は、歯黒めもして眉毛も抜き、いよいよ美しさを際立たせ始めました。末摘花とは対照的です。
と結んでいた。

はあ…😥

手元には、赤羽淑著『源氏物語の女たち』の本があるので、「末摘花」の所を読んでみた。
このお姫さまの鼻が赤いのは、雪の朝で寒かったからではないか。
こんなに悪しざまに細かく書き立てているのは、この人物の中に、自分の面影を見ていたかと思われる。
同じように、滑稽な人物として登場する人と比べると、末摘花は光源氏から重く扱われ、後々まで歌を贈ったり訪問したりしているので、作者(紫式部)は嘲笑しながらも一目置いているのが分かる。

安心した😌
これからもラジオを聴き、身近にある本も読んでいこう🤔

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テレビのドラマ

2024年02月06日 | ラジオ・TVメモ
先ず、ドラマはあまり見てないから思うのだ、と断り書きした上で。

歴史上の人物を、ドラマ化して楽しむことに、違和感が残る。
大河ドラマの「光る君へ」を見てのこと。
「ドラマって、そんなもんよ」と言われるんだろうねえ…。


例えば、何百年にもわたって、いろんな分野から創作を追加されて
作り上げられてきた人物がいる。

12世紀末、平安時代終わりころにさかのぼっての話。
熊野の別当(寺社で働いていた人)の何某は、50歳になっても子がなかったので、
「若一王子(にゃくいちおうじ)」に申し子を祈願した。
めでたく懐妊したが、なかなか生まれない。
3年たって生まれた子は、髪は長く、歯は生えそろい、手足の筋肉はついていた。
そして「何とまあ、明るい世界であることよ」と叫んだ。

親は、鬼の子と思って山に捨てた。
その子を、熊野詣に来た都の大納言が見つけて、拾って帰り
「若一」と名づけて育てた。

7歳になった若一は比叡山に預けられたが、荒々しく乱暴で追い出された。
仕えるべき主(あるじ)を探すため、刀鍛冶師や鎧兜師の所に行き
武具を奪い取っていた。
そんな折、洛中で、鞍馬山から出てきた御曹司・牛若と出会う。
この後はあまりにも有名なので、略。

この「弁慶」が実在したかどうかは不明。
(いたわけがない)

弱者や薄幸の者に同情し、味方になることを判官贔屓(ほうがんびいき)言うが
一般の人は、「源頼朝」よりも「源義経」の方を心情的に好む。
義経も弁慶も、いろんな人々によって語り継がれ
「こうであったら、いい!」と、荒唐無稽な創作も付け加えられ
歌舞伎の十八番番となったし、各地に伝説も生まれた。

それらは多くの人々の、勇気と希望に繋がっていったのだろう。


話を戻して、『源氏物語』の作者として知られている程度の「紫式部」。
名前も生い立ちについても、あまり残ってないから
フィクションで作り上げていくのが、今回のドラマらしい。

『ベルサイユのばら』に出てくる架空の人物「オスカル」のような位置に
藤原道長(実在した超権力者)を据えて
ヒロインに箔をつけるんだろうと思ったりしながら、ドラマを見ている。

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水道水に含まれる塩素の効用

2022年08月31日 | ラジオ・TVメモ
TVやネットで見たことのメモなど。

「水挿し観葉植物」用の水は、水道水を。
浄水器の水やミネラルウォーターは雑菌が増えやすい
(講師の実験結果による)
8月31日放送、NHK-TV『趣味の園芸』より。


ティーバッグで作るお茶、水だしだと長持ち
冷蔵庫に常備する「作り置きのお茶」は、
煮出しよりも水出しの方が傷みにくい。
「作り置きのお茶」、安全に飲めるのはどのくらい?


冷蔵庫で氷を作る時
「必ず水道水を使用して下さい」
取り扱い説明書に書いてある。

水道水に含まれてる塩素、すごいなあ。

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ラジオ深夜便

2022年07月16日 | ラジオ・TVメモ
睡眠が途切れた時には「ラジオ深夜便」をつける。

おや? 聞き覚えのある声。
武田アナ!
番組は、『明日へのことば』。
比叡山の僧侶、宮本祖豊(そほう)さんへのインタビュー
「自分をみつめる」だった。
宮本さんは、比叡山で12年間、一人っきりで誰にも会わず、
自分自身の心と向き合うという「静の荒行」を成し遂げた人。

アナの声に惹かれ、目を覚まして聞いたけど、
内容は、腑に落ちるものではなかった。
私の思いとはかなりの乖離があった。
武田アナは、一生懸命、リスナーとの間を取り持ってくれていた。
どこへ行っても苦労は尽きないね。

今日になって、「聞き逃しサービス」を聞いてみた。
放送の初めの自己紹介。
「大阪に来て1年余り、すっかり馴染んで、串カツにはまってしまった
大阪放送局のアナウンサー、武田○○です。
ラジオ深夜便のアンカーは15年ぶり、
前回は沖縄放送局時代(後略)」

「ラジオ深夜便」は、ほぼ初めての担当だったんだ…。
また聞けるといいな。
(有名人の名前を書くと、知らない人の閲覧が増え、
その人たちには期待ハズレなので、名前はテキトーです)

この番組のアンカーで好きなのは、後藤繁榮(しげよし)さん。
今夜です(*^-^*)

話戻して、
私の感覚にしっくりこなかったのは、
人間って、環境が変わると、人柄や主義主張も変わる
ということを、痛感してきたから。
変わるのは、良くも悪くも、にです(-.-)。


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西行がおこもりした八幡宮

2018年07月02日 | ラジオ・TVメモ
NHKラジオ第2 古典講読「西行をよむ」を聞いています。
7月1日は、「第13回『旅の歌』其の一」でした。
備前の話だったので、メモしておきます。
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はじめに、西行のこと

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。
武士の家に生まれ、23歳で出家。名前は、西方浄土に因む「西行」が、後世の人に定着している。

「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」と詠み、願い通りに生を終えた。
その生き方が、藤原定家・松尾芭蕉をはじめ、広く後世の人々の共感をよんでいる。

<関連人物の生没年>
同時代の人物
  西行   1118年~1190年 享年73
  平清盛  1118年~1181年 享年64
  藤原定家 1162年~1241年 享年74
  (『小倉百人一首』の選者。56年にわたる克明な日記『明月記』を残した)

そして500年後
  芭蕉   1644年~1694年、享年50

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以下は、ラジオで聞いたこと。

西行は生涯に4回、大きな旅をしたことの記録がある。
 東方 みちのくの旅が2回 
 西方 中国四国方面へが2回

西行の旅はすべて修行の旅。
笠をかぶり、笈(おい)を背負っている。
(江戸時代になると、四角い笈が丸い風呂敷き包みに変わる)

松の木の下に休み、富士山を見ている、日本画の「富士見西行」の型が出来上がった。
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むかし見し松は老木(おいき)になりにけり
我年へたる程も知られて
  『山家集』

<意味>
昔見た松はすっかり老木になってしまった。長寿の松がすっかり古木になっているのだから、私がいかに年を取ったかもおのずと知られよう。

詞書(ことばがき)
以前、西国へ修業して旅していた折、児島の八幡という所に参篭(寺社にこもって祈願すること。おこもり)した。
年を経てその神社を訪れると、長寿のはずの松がすっかり古木になっているように見えたので、詠んだ。
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この「児島の八幡」がどこであるかについて、地元では意見が分かれている。

1つは、瀬戸大橋の北側、水島インターの近く、倉敷市曽原(そばら)の清田(きよた)八幡神社。
 西行腰掛石があって、歌碑が2基ある。
 1つは平成になってから建てられた新しいもの。
 古い方の歌碑は、腰掛石の横に、ひっそりと残されている。

もう一つは、郡(こおり)の弁天島近くの宗形(むなかた)神社。
(曽原より北側に、直線距離で15キロ離れている)

それから、玉野市八浜(はちはま)町、八浜八幡宮
(弁天島から4キロくらい、児島湾寄りに南下した所)
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<私が調べたこと>
(地図を表示したいのですが、やり方が分かりません(-_-)。
 興味ある方はGoogleマップなどで確かめてください。
 下記3か所は、近距離にあります)

「八幡」の所在地は、3か所とも「旧・児島郡」。

清田八幡神社
 所在地:倉敷市曽原1124 
 曽原の旧自治体名は、児島郡郷内村曽原。
 1959年合併して児島市になり、1972年倉敷市に編入された。

八浜八幡宮 
 所在地:玉野市八浜町八浜1092 
 八浜の旧自治体名は、児島郡八浜町八浜。
 1955年、八浜町は玉野市に編入された。

宗形神社
 所在地:岡山市南区郡2978 
 郡(こおり)の旧自治体名は、児島郡甲浦村郡(こおり)。
 1951年、甲浦村は岡山市に編入された。
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ラジオの講師は、
「西行が訪れた頃、児島は島だった。
現在は地続きになっているが、『西行が訪れた八幡の宮は当地だ』と、
倉敷市と玉野市と岡山市に、それぞれ歌碑があるのは興味深い」
と語っていました。

「興味」ですか、ね…。

児島郡内の町村が、どんな事情で倉敷市・玉野市・岡山市に編入されたかは調べていません(面倒そうで…)が、地理的に近い場所が、「昭和の大合併」のような方針で分散した結果でしょうよね。

西行が訪れたのは1168年、西行51歳の時。850年も前のことです。
干拓で有名な児島湾の地形は、特に変化が大きい。
時代は変わり、価値観も変わっています。

「ここの八幡だ!」と特定する必要あるのかな?
昔の偉いお坊さんが児島に来た時、『山家集』に載っているあの歌を詠んだ、で構わないと思いますがねえ。

各地に伝承が残る人物として、弘法大師の空海(774年~835年)と、天神様の菅原道真(845年~903年)がいます。
各地で大切にされている伝承は、引き継がれている事実が「ありがたい」ことだと思います。
「ほんとかな?」なんて疑うよりも、守り継いでいく方が温かい気持ちになれますし。

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誕生日の花・ホトケノザ

2016年02月08日 | ラジオ・TVメモ

NHK「ラジオ深夜便」では、放送の最後に「今日の誕生日の花」というのがあります。
2月8日の朝は「ホトケノザ」の説明でした。
アンカーは明石勇さん(この方はいつも理屈っぽい)。

「シソ科でオドリコソウの仲間のホトケノザです。
その名前は、茎を丸く囲んだ葉が、仏さまの蓮華座に似ているからだそうです。
葉の上に出て咲く花は、3段に付くのでサンガイグサとも呼ばれます。

サンガイグサという名前を図鑑で見たときは(植物名はカタカナで書いてある)、仏教の連想から、「三界草」かと思ったのですが(女三界に家なし、の三界)、1階・2階・3階の3階なんですね。
私は「サンカイ」って言うんですけど、エレベーターに乗ったら「サンガイです」と言われることもあって、「サンガイ」も普通に使われるんですね。
えんえん。
(カッコ内はワタシの付け足しです、放送では言わなかった)


ホトケノザなら空き地に咲いてるし…で、写真を撮りました。
花は3段には付いてなかった。上2段くらいだと思う。
固まって付いてるので、どこまでが一段か分からない。
閉鎖花(蕾のままで開かない花)も混じっているし。



ホトケノザとよく似たコオドリコソウは、両者混じって、とても勢いよくはびこります。
花は可愛らしいけれど、盛りを過ぎると草全体が白っぽくなって、汚らしくなります。
一面に茂ったのがその状態ですから、かなり見苦しい。

明石アナウンサーにつられて、身も蓋もない話になっちゃいました。
話を変えて、
寒い中、クリスマスローズが元気に咲いています。
白よりも紫の方が元気です。
他の色は無くなっても、紫だけは増えますね。



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