kankoのひとりごと

外出できず、ネットと電話・ラジオで日々が過ぎています

日がな一日メジロながめて

2015年01月21日 | スズメたち

今日こそは出かけようと考えていたのに、寒くて、足が痛くなりそう…。
気が付けば、昨日の残りのエサに、メジロやスズメが寄ってきています。
そうだ、ガラス戸越しじゃなく、エサ台にカメラを置いて撮ってみよう!
(急きょ、お出かけ中止)
ペアで来たのと、1羽で来たのと。
曇り空だったけど、順光です。


カメラの接続にトラブルが出て、中断。
寝転んでタブレットを触っていると、変なことろをタッチしたりして…。
自分で設定してないと困るのよね、こういう時。

何とか、解決できました。
カメラを片づけてたついでに、夕食の買い物に行き帰ってみると、まあ、スズメさんがエサに群がって団子状態!

大急ぎでカメラをセット。
そのあと、メジロはすぐ来たのですが、スズメは警戒して寄り付きませんでした。
エサのすぐ横にカメラを置いたのがいけなかったみたい…。

メジロのパッチリオメメが撮れてました。



そうこうしてるうちに夕方になり、街灯も薄く点ります。
警戒しながら、エサをついばむスズメたち。
(ミカンの間の枝に止まっているのはメジロです、下の丸いのは目じゃなくて肛門…失礼)


カメラのシャッターが分かるみたいで(消音にしてますが、動きますから…)、飛んで行ってしまいます。
夕方になりました。すきっ腹でねぐらに向かうスズメもいたでしょうね…。

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定家も芭蕉も病持ちだった

2015年01月19日 | 古典聞きかじり
芭蕉は

NHKラジオ古典講読「奥の細道~名句でたどるみちのくの旅」を聞いているので思いが及ぶのですが…。

『奥の細道』は、芭蕉が、弟子の曾良を伴い、新暦の1689年5月に江戸深川を出発、東北・北陸を旅して8月下旬に大垣に着くまで、600里(2400km)の紀行文です。

時に芭蕉45歳、曽良は5歳下。

この旅の目的は、素晴らしい景色を眺めること、旅先での人との出会いでした。


江戸での暮らしを経験した武士や商人が各地におり、江戸での俳諧の流行が地方にも広がっていたので、その仲間との再会がありました。
歓迎もされ、俳諧の席に招かれることで、新たな門人の獲得もありました。
(芭蕉の真筆による色紙や短冊が各地に残っています)

しかし150日の旅が順調だったわけではなかったんですね。
芭蕉には痔と胃病の持病があったとか。

厳しい残暑が続き、「翁、気色すぐれず」と体調が芳しくなかったり、
(曽良は芭蕉を「翁」と記します、自分のことは「予」)
「早川にて翁つまづかれて衣類濡れ、川原に暫く干す」とか
「病おこりて事をしるさず」として記載がないときもありました。

曽良自身も暑さに参った時期もありました。
「俳諧の席に翁だけが出かけ、予は行かずに養生している、医者から3日間、薬をもらった」とか。
金沢でのこと。

以上、ラジオでの「第41回の解説」の一部です。

定家も芭蕉も、身体頑健には程遠い人だったんですね
何の関係もない私ですが、何だか安心できる発見(気づき)でした。


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千客万来ではないけれど

2015年01月08日 | スズメたち




スズメが来るようになりました♪
ガラス戸越しに写しています。

エサを入れたのは、ツメレンゲの植木鉢。慣れたのがいいと思って。
手前の白い鉢は近所にいた陶芸家の遺作なので、スズメ用にはもったいないのですが、スズメの色が映えることを期待して置きました。お好みではなさそう…。

暖かい冬日和。窓際のシクラメンが花盛り。ウチで夏を越したものです。


昨日のビックニュース!
マゴオくんがお兄ちゃんになったんです。
反抗期まっただ中の顔とはうって変わって、やさしい顔でいもうとちゃんを見ていました。

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