kankoのひとりごと

外出できず、ネットと電話・ラジオで日々が過ぎています

この高さまで浸水した…

2018年07月26日 | 岡山の市街

中国銀行本店前にある「水位標識」。
「1934年、室戸台風で、白い矢印まで浸水した」との標識です。
私の頭より高い位置なので、1.6メートル位。
矢印部分を拡大。


緑青色になっている銅板の文字
昭和九年九月二十一日洪水浸水線
東京湾中等潮位上 六米一三糎

黒っぽいプレートの文字
この上にはめこまれた銅板は
昭和9年(1934年)9月21日
室戸台風による岡山市水害の
当地点における最高水準を示す
ものである。


その下にある白くて大きいプレートには、
「この公開空地は、建築基準法に基づく総合設計制度によって設けられたものです」。
これは中国銀行の表札(看板?)で、電車通りからはこう見えます。


同じような「水位標識」は、岡山城の石垣(テニスコート付近)にもあり、
そちらはもっと高いと聞きました。

しかし、ここまで水が来たら、どうするんだろう?
室戸台風は1000年に一度くらいの災害と言われてましたね。
その認識でいようか…(*_*;。

暑い中、今日は図書館へ行ったのでした。
帰り道のランタナ。せっかく冬越しできたのに、暑さでぐったり。


デパート近くの多肉植物は、虹の玉だけ。サボテンも減り気味。


ウチの多肉たちも避暑のため、部屋に入れました。
この暑さには、誰も彼もが堪えます…( ̄Д ̄。

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たくましい多肉植物

2018年07月23日 | 木や草花


水戸行きで家を留守にしていた間、夫が庭に水撒きをしてくれました。(頼んでなかったのに)

多肉植物(水やりの必要はない)は、テラスの床下換気口辺りに並べていました。
そこは床下の冷気が通り、暑さ対策には最適だ(*^-^*)と、安心していたのですが…。

帰って見たら、小さなポット植えのそれらに、ホースの水が勢いよくかけられ、ひっくり返ったり、腐ったり…。
で、根元が腐って、養分を送ってもらえなくなった葉っぱは、どうしたかというと…。
茎から離れて、ポロポロと落ちました。

そのうちに、葉の付け根から根がでて、活き付くんですよ。
養分を送ってもらう茎がダメを分かれば、さっさと落下する。
たくましいですね、かわいいです(^-^)。
(暑さをものともせず茂る芝生の雑草には、愛情を感じません)


話変わって、月1回の、かかりつけ医受診。
降圧剤、こうかはばつぐんで、今日の血圧は96と58。
低すぎ?

ふだんは朝晩血圧を測り、低ければ薬をパスしているのですが、最近は暑くて測る気力がなく、無難にと処方されたまま飲んだら、こうなりました。

例年、夏場は血圧が下がるので、薬は半量にしていたんです。
以前の薬だと、4ミリ、8ミリ等あったので、少ない単位の1錠に代えていたのですが、今度の薬にはないので、1錠を半分にカットして、プカプカのシールに入れてくれました。(財布に入れにくいぞ)

薬を半分に切り分ける時、簡単に2等分できるのと、切ると崩れてしまうのがあります。
柔らかい錠剤は崩れやすいとか。薬局には2等分する道具があるので、きちんとできます。
サービス万全だと思いました(´-`)。

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水戸でネコカフェ

2018年07月20日 | 茨城・水戸

ネコカフェなるお店に行きました、私は初めてです。
やんちゃ盛りの子ネコがた~くさん。

人懐こいネコたち。

ウチにいたネコは、知らない人を見ると、逃げて隠れてましたが (-_-?)。

小動物が人気です。パンダネズミという極小ネズミ。

ヒヨコ

止まり木

こんなのも触らせてくれます。

穴と勘違い?
尻尾はボタンの間から、頭は脇の下から、もぐり込もうとしています( ゚Д゚)。 

私も襟巻にしてもらいました、どうってことなかった…(~_~;)。

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水戸に行ってました

2018年07月19日 | 茨城・水戸

水戸の日の出は、岡山より早い。暑い一日になりそう…。


みとちゃんたちは、パパが中国の広州勤務になったので、あちらで暮らしています。
今月、一時帰国したので会いに行きました。

帰国中は、地元の公立小学校に体験入学できます。
登下校に付いて行ってみました。
岡山での見守り隊活動で、慣れたものです(*^-^*)。


校舎は岡山と比べると、かなり頑丈そう。
地震の多い土地柄でしょうか。
(岡山は天災が少ないなどと、独りよがりしてる場合じゃないぞ!)


クラスで帰りの会をした後、集団下校のため運動場へ出ている所かな?
運動場も広い。
驚いたのは、学童保育の送迎車(複数台)や、わが子迎えの車の駐車場があったこと。
パッと見て、20台くらいも駐車していました。
ところ変わればいろいろですね。

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豪雨被害

2018年07月11日 | 岡山の市街
織姫と彦星のお話・七夕のことなど、触れる間もないうちに襲った豪雨。
ひどかったのは、6日夜から7日にかけてで、こちら岡山では甚大な被害がでました。

わが家とその周りは無事でした。
電車は止まってもバスは走っていたのですが…。
日を追うにつれ、出会う人との会話が重なるにつれ、被害の大きさに驚かされています。

身内が、友人が、会社の仲間が、職場が…など、つながりのある誰かは、被害を受けているんですね。

バスの窓から見えたスーパーとドラッグストア。
浸水でゴミになった商品を広い駐車場に山盛り積み上げて、クレーンで整理しています。


35年前、辺り一帯が浸水しました。
当時は大きな建物はなかったので、冠水したのは田んぼと道路だったと思います。

それらの土地に、マンションをはじめ、スーパー、ホームセンター、ドラッグストア、100円ショップ、立派な寺院などが建ちました。
今回は、基礎の高さが10センチか20センチの違いで、難を逃れたか浸水してしまったかの差が出たように感じます。

わが家では、何も不自由なく普段の生活ができますが、被災地のニュースを見ると胸がつぶれる思いです。
夜になって雨が降ると、ケータイにエリアメールが入りました。
「大雨が降る可能性が高く土砂災害の恐れがある」と。
大雨になりませんように、災害が起きませんように、と祈っております。


昭和58年(1983年)7月豪雨
7月20日~29日、島根県を中心に大雨があり、上記に命名された。
当地で冠水した田んぼ。







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西行がおこもりした八幡宮

2018年07月02日 | ラジオ・TVメモ
NHKラジオ第2 古典講読「西行をよむ」を聞いています。
7月1日は、「第13回『旅の歌』其の一」でした。
備前の話だったので、メモしておきます。
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はじめに、西行のこと

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。
武士の家に生まれ、23歳で出家。名前は、西方浄土に因む「西行」が、後世の人に定着している。

「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」と詠み、願い通りに生を終えた。
その生き方が、藤原定家・松尾芭蕉をはじめ、広く後世の人々の共感をよんでいる。

<関連人物の生没年>
同時代の人物
  西行   1118年~1190年 享年73
  平清盛  1118年~1181年 享年64
  藤原定家 1162年~1241年 享年74
  (『小倉百人一首』の選者。56年にわたる克明な日記『明月記』を残した)

そして500年後
  芭蕉   1644年~1694年、享年50

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以下は、ラジオで聞いたこと。

西行は生涯に4回、大きな旅をしたことの記録がある。
 東方 みちのくの旅が2回 
 西方 中国四国方面へが2回

西行の旅はすべて修行の旅。
笠をかぶり、笈(おい)を背負っている。
(江戸時代になると、四角い笈が丸い風呂敷き包みに変わる)

松の木の下に休み、富士山を見ている、日本画の「富士見西行」の型が出来上がった。
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むかし見し松は老木(おいき)になりにけり
我年へたる程も知られて
  『山家集』

<意味>
昔見た松はすっかり老木になってしまった。長寿の松がすっかり古木になっているのだから、私がいかに年を取ったかもおのずと知られよう。

詞書(ことばがき)
以前、西国へ修業して旅していた折、児島の八幡という所に参篭(寺社にこもって祈願すること。おこもり)した。
年を経てその神社を訪れると、長寿のはずの松がすっかり古木になっているように見えたので、詠んだ。
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この「児島の八幡」がどこであるかについて、地元では意見が分かれている。

1つは、瀬戸大橋の北側、水島インターの近く、倉敷市曽原(そばら)の清田(きよた)八幡神社。
 西行腰掛石があって、歌碑が2基ある。
 1つは平成になってから建てられた新しいもの。
 古い方の歌碑は、腰掛石の横に、ひっそりと残されている。

もう一つは、郡(こおり)の弁天島近くの宗形(むなかた)神社。
(曽原より北側に、直線距離で15キロ離れている)

それから、玉野市八浜(はちはま)町、八浜八幡宮
(弁天島から4キロくらい、児島湾寄りに南下した所)
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<私が調べたこと>
(地図を表示したいのですが、やり方が分かりません(-_-)。
 興味ある方はGoogleマップなどで確かめてください。
 下記3か所は、近距離にあります)

「八幡」の所在地は、3か所とも「旧・児島郡」。

清田八幡神社
 所在地:倉敷市曽原1124 
 曽原の旧自治体名は、児島郡郷内村曽原。
 1959年合併して児島市になり、1972年倉敷市に編入された。

八浜八幡宮 
 所在地:玉野市八浜町八浜1092 
 八浜の旧自治体名は、児島郡八浜町八浜。
 1955年、八浜町は玉野市に編入された。

宗形神社
 所在地:岡山市南区郡2978 
 郡(こおり)の旧自治体名は、児島郡甲浦村郡(こおり)。
 1951年、甲浦村は岡山市に編入された。
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ラジオの講師は、
「西行が訪れた頃、児島は島だった。
現在は地続きになっているが、『西行が訪れた八幡の宮は当地だ』と、
倉敷市と玉野市と岡山市に、それぞれ歌碑があるのは興味深い」
と語っていました。

「興味」ですか、ね…。

児島郡内の町村が、どんな事情で倉敷市・玉野市・岡山市に編入されたかは調べていません(面倒そうで…)が、地理的に近い場所が、「昭和の大合併」のような方針で分散した結果でしょうよね。

西行が訪れたのは1168年、西行51歳の時。850年も前のことです。
干拓で有名な児島湾の地形は、特に変化が大きい。
時代は変わり、価値観も変わっています。

「ここの八幡だ!」と特定する必要あるのかな?
昔の偉いお坊さんが児島に来た時、『山家集』に載っているあの歌を詠んだ、で構わないと思いますがねえ。

各地に伝承が残る人物として、弘法大師の空海(774年~835年)と、天神様の菅原道真(845年~903年)がいます。
各地で大切にされている伝承は、引き継がれている事実が「ありがたい」ことだと思います。
「ほんとかな?」なんて疑うよりも、守り継いでいく方が温かい気持ちになれますし。

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