なかなか書けなかった『貧窮問答歌』について
年の瀬ギリギリに記しておきます
山上憶良は、出身は貴族ではないが、40歳で遣唐使に抜擢され、5年ほどして帰国した。
帰国したら、都は、明日香から平城に遷っていた。
憶良は「従五位下」という一番下の位を得て貴族になり、
伯耆守(ほうきのかみ)を経て、太宰守(だざいのかみ)になった。
そこで、大宰帥 (だざいのそち)として赴任してきた上級貴族の大伴旅人 (たびと) と
地位を超えた友人となり、和歌を深めることになる。
旅人は64歳、憶良は69歳。
令和の出典で脚光を浴びた『梅花の歌』など一連の大宰府の文学集団で、旅人のブレインだったのは憶良であった。
任を終えた旅人は京に帰り、間もなく亡くなる。
憶良も京に帰り、引退したようだ。
引退後の作品が、『貧窮問答歌』。
「貧者と窮者の問答」とも、「貧窮に関する問答」とも考えられる。
(有名な歌なので、ネットで参照できます。
ここではラジオで聞いたメモを紹介します)
先ずは「貧者からの問い」
雨は夜更け過ぎに雪に変わる。
そんな夜はどうしようもなく寒いので、塩を肴に、カス酒を飲む。
「我を置いてほかに人物はいない」と誇ってみるけれど、
自意識だけでは寒さに勝てない。
布団をかぶって袖なしの服を重ねても寒い夜。
(ふと、他人のことを考えてみる)
我より貧しい人は、どうしているだろう。
父母は飢えて凍えているだろう。
妻子どもは食べ物を欲しがって泣いているだろう。
こういう時、あなたはどうやって、人生を渡っているのか。
(貧相な容貌に貧しい衣食。プライドだけは高い。
憶良の自画像と思われる)
『窮者』が登場して答える
天地は広いというが、私には狭い。
陽や月は明るいというが、私のためには照らしもしない。
他の人も皆そうなのか、私だけなのか。
偶然に人として生まれ、人と同じに体をしているのに
綿もなくボロが1枚。
竪穴(たてあな)の家は、つぶれかかり曲がって傾いている。
直土に藁を敷いて、父母は枕の方に、妻子は足の方に、私を囲んでうめくだけ。
かまどに火の気はなく、甑(こしき)には蜘蛛の巣がはって、飯を炊くことも忘れた。
ヌエドリ(トラツグミ)のようにヒーヒー言っている。
こんな暮らしなのに、「短いもののはしを切る」例えどおり
鞭をもった里長が、「労役に出てこい」と寝床にまで呼び立てに来る。
これほど、世の中は、どうしようもないものなのか。
反歌
世の中を憂しとやさしと思へども
飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
この世間を、つらいもの、恥ずかしいものと思うけれど、
そこから飛んで離れることはできない、鳥ではないので。
(注) やさし:貧しくて恥ずかしい
「鳥」は自由の象徴
この歌は、引退後の憶良が、現職の官人に奉ったもの。
筑前の守として巡行中に知った民衆の暮らしを、
政(まつりごと)に知らせる意図があったと思われる。
<ここから私見>
「貧者」は、袖なしではあるが、重ね着ができるほど服がある
「窮者」は海藻の海松(みる)のようなボロが1枚だけ。
海藻のミルは、コンブやワカメより細く、モップのような形。
「着るもの」はどんなものだったろう。
糸や針はなかったと思う。
毛皮を着るとしても、なめしたり整えたりは??
電気毛布と羽毛布団に入り、断捨離を浮かべつつ、『貧窮問答歌』を聞く哀しさ。
ことさらに寒い夜でした。
年の瀬ギリギリに記しておきます
山上憶良は、出身は貴族ではないが、40歳で遣唐使に抜擢され、5年ほどして帰国した。
帰国したら、都は、明日香から平城に遷っていた。
憶良は「従五位下」という一番下の位を得て貴族になり、
伯耆守(ほうきのかみ)を経て、太宰守(だざいのかみ)になった。
そこで、大宰帥 (だざいのそち)として赴任してきた上級貴族の大伴旅人 (たびと) と
地位を超えた友人となり、和歌を深めることになる。
旅人は64歳、憶良は69歳。
令和の出典で脚光を浴びた『梅花の歌』など一連の大宰府の文学集団で、旅人のブレインだったのは憶良であった。
任を終えた旅人は京に帰り、間もなく亡くなる。
憶良も京に帰り、引退したようだ。
引退後の作品が、『貧窮問答歌』。
「貧者と窮者の問答」とも、「貧窮に関する問答」とも考えられる。
(有名な歌なので、ネットで参照できます。
ここではラジオで聞いたメモを紹介します)
先ずは「貧者からの問い」
雨は夜更け過ぎに雪に変わる。
そんな夜はどうしようもなく寒いので、塩を肴に、カス酒を飲む。
「我を置いてほかに人物はいない」と誇ってみるけれど、
自意識だけでは寒さに勝てない。
布団をかぶって袖なしの服を重ねても寒い夜。
(ふと、他人のことを考えてみる)
我より貧しい人は、どうしているだろう。
父母は飢えて凍えているだろう。
妻子どもは食べ物を欲しがって泣いているだろう。
こういう時、あなたはどうやって、人生を渡っているのか。
(貧相な容貌に貧しい衣食。プライドだけは高い。
憶良の自画像と思われる)
『窮者』が登場して答える
天地は広いというが、私には狭い。
陽や月は明るいというが、私のためには照らしもしない。
他の人も皆そうなのか、私だけなのか。
偶然に人として生まれ、人と同じに体をしているのに
綿もなくボロが1枚。
竪穴(たてあな)の家は、つぶれかかり曲がって傾いている。
直土に藁を敷いて、父母は枕の方に、妻子は足の方に、私を囲んでうめくだけ。
かまどに火の気はなく、甑(こしき)には蜘蛛の巣がはって、飯を炊くことも忘れた。
ヌエドリ(トラツグミ)のようにヒーヒー言っている。
こんな暮らしなのに、「短いもののはしを切る」例えどおり
鞭をもった里長が、「労役に出てこい」と寝床にまで呼び立てに来る。
これほど、世の中は、どうしようもないものなのか。
反歌
世の中を憂しとやさしと思へども
飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
この世間を、つらいもの、恥ずかしいものと思うけれど、
そこから飛んで離れることはできない、鳥ではないので。
(注) やさし:貧しくて恥ずかしい
「鳥」は自由の象徴
この歌は、引退後の憶良が、現職の官人に奉ったもの。
筑前の守として巡行中に知った民衆の暮らしを、
政(まつりごと)に知らせる意図があったと思われる。
<ここから私見>
「貧者」は、袖なしではあるが、重ね着ができるほど服がある
「窮者」は海藻の海松(みる)のようなボロが1枚だけ。
海藻のミルは、コンブやワカメより細く、モップのような形。
「着るもの」はどんなものだったろう。
糸や針はなかったと思う。
毛皮を着るとしても、なめしたり整えたりは??
電気毛布と羽毛布団に入り、断捨離を浮かべつつ、『貧窮問答歌』を聞く哀しさ。
ことさらに寒い夜でした。