「幻の巻」 2024年12月22日放送分
(録音している講義を聞きながら、私がとったメモ)
生前の光源氏の最後の姿が描かれ、52歳とされる。
光源氏は、紫の上が亡くなった深い悲しみの中、女房(召人・愛人)を話し相手に、後悔と懺悔の日々を送っている。
「私は、この上なく幸運と素晴らしさを持って生まれてきたが、自分ほど苦しんだ人間はいない」と、人生を述べている。
(本人が誰よりも苦しんでいるからこそ、苦しい人生を生きている人に希望を与えることができる。
だから『源氏物語』も長年にわたって、広く愛読されている…、だって🤔)
そして、四季折々の風物に触れながら紫の上を追悼している。
ここでは、神無月の場面で光源氏の悲しみに触れよう。
神無月はいつも時雨がちであるが、私の袖が濡れているのは雨のためではない(涙のせいだ)。
ふと空を見上げると、雁が群れになって列を乱さず空を飛んでいく。その姿を見て歌を口ずさんだ。
大空をかよふまぼろし 夢にだに見えこぬ魂(たま)の 行く方たづねよ
訳:大空を自由に行き交う幻術士よ 夢にさえ姿の見えないあの人の魂の行方を捜しておくれ
追加説明:「まぼろし」は、魔法・妖術のこと。魔法使いも意味する。
長恨歌では、楊貴妃を失って悲しみに沈んでいた玄宗皇帝のために、楊貴妃の魂のありかを幻術士が突き止めた。
幻術士のように自由に空を飛んでいる雁よ、紫の上の魂の行方を尋ねておくれ。
さて光源氏は、紫の上から受け取っていた手紙を処分する。
たくさんあったが、なかでも27年前、須磨に流され生き別れとなった時のものには悲しい思い出がこもっている大切な宝物で、束にしてあった。
それらの手紙を結い合わせたのは光源氏自身であるが、そのことは忘れていた。
墨痕鮮やかな筆跡は素晴らしく、千歳(ちとせ)の形見にでもしたいほど見事な筆跡だった。
その手紙の束に、次の歌を書き付けた。
かきつめて 見るもかなしき藻塩草 おなじ雲居の煙とをなれ
訳:紫の上が書いた手紙の束、見ると悲しみは増すばかり。
手紙も、紫の上と同じ空の、煙となれ
・藻塩草は、掻き集めて潮水を注ぐことから、「書く」の掛詞
・雲居は、雲があるところで、高い所、空の意味。
光源氏は手紙の束を破り、親しい女房達に、目の前で焼かせた。
自分が大切にしていた手紙という宝物を放棄することで、来世での宝物、極楽往生の獲得を目指すという発想。
光源氏は、この世での名誉や地位、紫の上への執着をも捨てて出家する。
大晦日には、6歳の匂宮(光源氏の孫)の元気な姿が描かれ、主役の交代となる。光源氏は『源氏物語』から姿を消す。
なぜ姿を消したかというと
・光源氏はこれから宗教の世界で生きていくことになる
・出家した人の心の旅路は王朝物語では書かない
なぜならば物語は、男と女の恋愛を通して、人間の生きる喜びや悲しみを探求する文学だったから
・出家した人の内面が文学作品になるのは、中世の草庵文学の出現からである
******************
この回を聞いて、私にとっての宝物(亡き友人からの手紙の束)を廃棄しようと決めた。
和歌を書き添えるセンスはないので、小さな花束(今ならシクラメンで作れる)を載せ、きれいな包装紙に包んで、黄色のごみ袋に入れよう😥