kankoのひとりごと

外出できず、ネットと電話・ラジオで日々が過ぎています

60年前の5月11日

2015年05月12日 | 日記
1955年(昭和30年)5月11日午前6時56分、濃霧の中を出港した国鉄の宇高連絡船・紫雲丸が、同じ国鉄の大型貨物船と衝突して沈没しました。
愛媛では、修学旅行中の小学6年生29人が亡くなりました。
私より、学年が1つ上の生徒たちです。

旅行が一般的ではなかった時代、汽車や船は、子どもたちの憧れでした。
高松港から宇高連絡船に乗ったのも、船に乗ってみるためだったそうです。
(岡山へ行くのが目的ではなかった、という意味)

それが、「行ってらっしゃ~い」で出航してすぐ、国鉄の貨物船と衝突し、沈没。
死者166人の大惨事になりました。
紫雲丸はそれまでにも事故を起こしており、これが5度目の事故でした。

沈んだ紫雲丸は引き揚げて復旧し、名前が悪い「しうん丸」は「瀬戸丸」と改称して、再就航。
瀬戸丸と改めた後も衝突事故を起こし、相手の船が沈没しています。

その後の「瀬戸丸」に、私は何度も乗りました。国鉄を利用して四国から出るのは宇高連絡船のルートなので、ごく自然に。
「瀬戸丸は元の紫雲丸だ」ということも、船の案内にあったように思います。


汽車や船に乗るなんて、修学旅行が初めてだった私の子ども時代。
引き揚げて、修理して使い続けた船舶。
時の流れを感じます。

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GWが終わって

2015年05月07日 | 


水戸からクルマできた次男ファミリーと、市内にいる長男ファミリー、それに私たちの総勢10人で、5月4日に、吉永町にある煉瓦ハウスに宿泊してきました。

4日は雨も降ったけれど、5日の朝は写真のような快晴。
マゴオくんは、あこがれのみとちゃん姉妹に遊んでもらって大喜びしたのに、翌朝はサヨナラで、おおむくれでした。

ババチャンとしては、けがも病気もせずに過ごせたのが何よりでした。
口では「子どもが、けがも病気もせずに大きくなるわけない」と言ってるけど、目の前では遭遇したくないもんね。


マゴちゃんたちも成長し、「笑った」「カワイイ」だけではすませない時期です。
親の言うことなんか聞く耳持たなかった息子Aが大真面目でわが子に躾をしたり、勉強キライだった息子Bが小学生の子に計算ドリルをやらせたりしているのを見て、たまげました(あきれました)。


PTAで仲良くなった奥さまとたま~にスーパーで会った時、近況を語り合うのですが、そちらのNくんは早く結婚したので子どもがもう高校受験なんですって。
「息子は苦労してるわ。私も苦労したけど…(^_^)」
「そ~ぉ (*^▽^*)」

あの子育て年代を、無事通過できて良かったわぁ(^_^☆
結果がどうかなんて、もう時効ですもん。

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