世界中が注目している重慶亡命未遂事件。
王立軍は精神障害にされたという説。
中共にしてみれば、あってはならないこと。「休暇式治療」で落着か。
上司の薄熙来も失脚?
王立軍は精神障害にされたという説。
中共にしてみれば、あってはならないこと。「休暇式治療」で落着か。
重慶亡命事件、「精神障害」で決着か 消息絶つ王立軍
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/02/html/d64267.html
「精神障害のせいで、米領事館に駆け込んだのだ」。世界中が注目した重慶亡命事件は、これで片付けられる可能性が出てきた。
北京にいる政治評論家で、「天下公言文化伝媒」社の李偉東・研究員は15日、自身の微博(マイクロブログ)にこのように書き込んだ。「(米領事館に駆け込んだ王立軍は)すでに妄想性障害だと認定されている。ボスに暗殺されると妄想し、米領事館に逃げ込んで北京の大ボスの助けを待っていたのだ。なので、これは突発した個別的な案件であり、このハプニングによって重慶の経験を否定することはできない。すべてが平穏無事になる。(薄煕来が)若干バツが悪かったかもしれないが、反省書を書けば済むことだ。せいぜい常務委員にならなければいいのだ」
このように北京政府の出方を推測し揶揄する李研究員に証拠があるかどうかは不明だが、「精神障害説」は他でも広がっている。
重慶政府系サイト・華龍網によると、ネット上に王立軍の「診断書」とされるものが流出している。この「診断書」は重慶市第三軍医大学に出されたものと見られ、王は「重度のうつ病」を患っているとしている。
「診断書」によれば、王は同大学の大坪付属病院に通院しており、医師に「仕事のプレッシャーが大きい」「長期にわたって睡眠不足」「精神が高度に緊張し、寝る時も電気を付けないと怖い」と話している。
さらに、昨年末から「思考がおぼつかない。言葉と考えが論理性に欠ける」「焦燥や情緒不安定、ヒステリックの症状が頻繁に現れる」と病院は見ており、「重度のうつ病」と診断されたという。
この「診断書」の日付は2月4日。王立軍が重慶市公安局長を解任されたのは2日。5日、王氏は副市長の身分で重慶師範大学を視察していた。その翌日の6日、「重度のうつ病」の王は車を数百キロ走らせ、成都にある米国領事館に駆け込んだ。
「診断書」には第三軍医大学の大学印が押されているが、医師の署名はない。9日付の中国経営報はこの「診断書」の真偽について同病院に取材したところ、病院側は「ニセモノだ」と否定したという。だが、診断書の真偽よりも、地元重慶市の政府系サイトがわざわざ副市長の精神障害説を取り上げることは興味深い。
診断書騒ぎと同時期の8日、重慶市オフィシャル微博では、「王立軍副市長は、長期の重労働により、精神が高度の緊張状態に陥り体調に異常をきたしたため、現在、休暇式治療を受け入れた」というメッセージを流した。偽造とされる診断書も李偉東研究員のツイートも十分に現実味を帯びる展開となった。
ラジオ・フランス・インターナショナル(RFI)は海外中国語メディア・博訊ネットの情報として、王は自分が不慮な死を遂げた場合、死因は「統合失調症」や「重度のうつ病」になるだろうと身辺の人に話したことがあるという。「彼ら」はすでに自分に「自殺傾向がある」というシナリオを用意してあると王氏は話したという。
「王立軍は憂鬱かもしれないが、うつ病は強いられた病名なのでは」とネットユーザー。しかし、強いられた病名であっても、この病名が本当に成立すれば、王立軍は今後しばらくの間、精神病院に閉じ込められる可能性がある。そうなれば、重慶亡命事件が政局への影響を最少に収められる。
実際、「休暇式治療」に入った王立軍氏はいま完全に消息を絶っている。博訊ネットによれば、北京と重慶で彼の所在を調べる妻と弟でさえも知らされていない。
(翻訳編集・張凛音)
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/02/html/d64267.html
「精神障害のせいで、米領事館に駆け込んだのだ」。世界中が注目した重慶亡命事件は、これで片付けられる可能性が出てきた。
北京にいる政治評論家で、「天下公言文化伝媒」社の李偉東・研究員は15日、自身の微博(マイクロブログ)にこのように書き込んだ。「(米領事館に駆け込んだ王立軍は)すでに妄想性障害だと認定されている。ボスに暗殺されると妄想し、米領事館に逃げ込んで北京の大ボスの助けを待っていたのだ。なので、これは突発した個別的な案件であり、このハプニングによって重慶の経験を否定することはできない。すべてが平穏無事になる。(薄煕来が)若干バツが悪かったかもしれないが、反省書を書けば済むことだ。せいぜい常務委員にならなければいいのだ」
このように北京政府の出方を推測し揶揄する李研究員に証拠があるかどうかは不明だが、「精神障害説」は他でも広がっている。
重慶政府系サイト・華龍網によると、ネット上に王立軍の「診断書」とされるものが流出している。この「診断書」は重慶市第三軍医大学に出されたものと見られ、王は「重度のうつ病」を患っているとしている。
「診断書」によれば、王は同大学の大坪付属病院に通院しており、医師に「仕事のプレッシャーが大きい」「長期にわたって睡眠不足」「精神が高度に緊張し、寝る時も電気を付けないと怖い」と話している。
さらに、昨年末から「思考がおぼつかない。言葉と考えが論理性に欠ける」「焦燥や情緒不安定、ヒステリックの症状が頻繁に現れる」と病院は見ており、「重度のうつ病」と診断されたという。
この「診断書」の日付は2月4日。王立軍が重慶市公安局長を解任されたのは2日。5日、王氏は副市長の身分で重慶師範大学を視察していた。その翌日の6日、「重度のうつ病」の王は車を数百キロ走らせ、成都にある米国領事館に駆け込んだ。
「診断書」には第三軍医大学の大学印が押されているが、医師の署名はない。9日付の中国経営報はこの「診断書」の真偽について同病院に取材したところ、病院側は「ニセモノだ」と否定したという。だが、診断書の真偽よりも、地元重慶市の政府系サイトがわざわざ副市長の精神障害説を取り上げることは興味深い。
診断書騒ぎと同時期の8日、重慶市オフィシャル微博では、「王立軍副市長は、長期の重労働により、精神が高度の緊張状態に陥り体調に異常をきたしたため、現在、休暇式治療を受け入れた」というメッセージを流した。偽造とされる診断書も李偉東研究員のツイートも十分に現実味を帯びる展開となった。
ラジオ・フランス・インターナショナル(RFI)は海外中国語メディア・博訊ネットの情報として、王は自分が不慮な死を遂げた場合、死因は「統合失調症」や「重度のうつ病」になるだろうと身辺の人に話したことがあるという。「彼ら」はすでに自分に「自殺傾向がある」というシナリオを用意してあると王氏は話したという。
「王立軍は憂鬱かもしれないが、うつ病は強いられた病名なのでは」とネットユーザー。しかし、強いられた病名であっても、この病名が本当に成立すれば、王立軍は今後しばらくの間、精神病院に閉じ込められる可能性がある。そうなれば、重慶亡命事件が政局への影響を最少に収められる。
実際、「休暇式治療」に入った王立軍氏はいま完全に消息を絶っている。博訊ネットによれば、北京と重慶で彼の所在を調べる妻と弟でさえも知らされていない。
(翻訳編集・張凛音)
上司の薄熙来も失脚?
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成24(2012)年 2月18日(土曜日)
通巻第3562号
http://www.melma.com/backnumber_45206/
やっぱり、そうだったのか。王立軍は薄き来に見捨てられ、パニック状態だった
薄き来の政治局常務委員会入りはほぼ絶望的。引退か飾りのポストへ
習近平が米国訪問でにこにこと愛想を振りまき、米中関係の正常化を演出していたときに重慶は政治の嵐のまっただ中にあった。
未曾有の混乱だった。
すでに報じたように重慶副市長の王立軍は米国亡命に失敗し、拘束されて北京で取り調べを受けているが、その捜査対象は遼寧省鉄玲市公安局時代の古傷であることが分かった。
また重慶のマフィアを一網打尽にしたとき、従来は1500名のギャングと腐敗分子を逮捕起訴し、うち7名を死刑としたと報じられてきたが、拘束した数は2000名にも及び、えん罪も含まれたうえ、文強(当時の重慶市司法局長)以下13名を処刑、その多くの裁判は所定の手続きを踏まれていないことが判明した(ニューヨークタイムズ、2月18日号)。
これは法に基づかない措置であり、専横であると批判があった。
またえん罪で連座した旧幹部の弁護士を拘束したため、そのうちのひとりが膨真(元北京市書記、大幹部)の息子だったことも中央の評判を落とした。
薄き来のやり過ぎと不法な措置に不満の声があがり、長老格の喬石らが胡錦涛に要望書をおくった。薄き来の人気が陰った。
薄き来が重慶書記として行った「諸改革」は、第一に唱紅打黒はキャンペーンで、中国最大の毛沢東像を重慶市内に設置し、市民をあつめて革命かを唱わせる集会を開いて気勢をあげさせた。
また毛沢東の革命理論を最学習せよとも強要した。
▼重慶モデルは垂涎の的だったが。。。。。。
そのうえで重慶特別市の人口3000万人のうち、2000万人に「都市戸籍」をあたえ、ベッドタウンを強圧的に建設して、近郊を農民へのレンタル・マンションだらけとした。
重慶の建設ブームはとどまるところを知らず、また成都?重慶間には新幹線が開通し、市内にはモノレール、地下鉄、橋梁の増設など、凄まじい発展ぶりを見せつけた。
筆者も過去三年に三回、重慶を視察したのでこれらの実情を目撃してきた。
この建設プロジェクトは借金によるもので、前書記だった王洋時代から、国家予算による開発費用は3兆円前後だったが、薄き来は「向こう十年ほどの財政を先食いしてでも、建設を急げ」としたため、重慶市財政は「ギリシア並みか、もっと悪い」と言われる。
数ヶ月前まで、習近平は薄の「大活躍」を仄聞しながらも、側近には「誰もがやろうとしてもやれないことを大胆におこなったのは薄き来の個性だろう。政治的リアクションを考えたら党内に波風が立つことは必定であり、あの大胆さは、おそらく彼一人だろう」と発言した(ヘラルドトリビューン、2月18日付け)。
北京中枢はしずかに動き出した。
王立軍の過去の些細な瑕瑾をほじくりだし、2011年秋頃から取り調べを始めたが、最初のうち、王をかばっていた薄き来は、やがて沈黙するようになる。
ヤクザ粛正に熱心なあまり、王立軍は、自ら走行中のメルセデスを無謀に追い越した車の運転手を殴りつけ、そのまま略式起訴もなく十五日間拘留、これが王立軍批判大合唱のきっかけとなったらしい。
追い詰められた状況を知覚した薄き来と王立軍のあいだにすきま風が吹き荒れ、王立軍の運転手がいきなり拘束された。
つまり薄は批判の矛先を先日までの忠実な部下であった王にすり替えようとしたのだ。
これでパニック状態に陥った王立軍は自らが運転して300キロ離れた成都の米国領事館へかけこむ仕儀とあいなる。
さて今回のミニ政変で薄き来の次期政治局常務委員会入りはたいそう難しくなり、また重慶書記の任期も期限切れとなって近く新しい重慶書記の人事が発表される見通しにある。
薄き来は政治生命をうしなって隠遁生活にはいるか、あるいは全人代の飾りのポストが用意される可能性があるという。
通巻第3562号
http://www.melma.com/backnumber_45206/
やっぱり、そうだったのか。王立軍は薄き来に見捨てられ、パニック状態だった
薄き来の政治局常務委員会入りはほぼ絶望的。引退か飾りのポストへ
習近平が米国訪問でにこにこと愛想を振りまき、米中関係の正常化を演出していたときに重慶は政治の嵐のまっただ中にあった。
未曾有の混乱だった。
すでに報じたように重慶副市長の王立軍は米国亡命に失敗し、拘束されて北京で取り調べを受けているが、その捜査対象は遼寧省鉄玲市公安局時代の古傷であることが分かった。
また重慶のマフィアを一網打尽にしたとき、従来は1500名のギャングと腐敗分子を逮捕起訴し、うち7名を死刑としたと報じられてきたが、拘束した数は2000名にも及び、えん罪も含まれたうえ、文強(当時の重慶市司法局長)以下13名を処刑、その多くの裁判は所定の手続きを踏まれていないことが判明した(ニューヨークタイムズ、2月18日号)。
これは法に基づかない措置であり、専横であると批判があった。
またえん罪で連座した旧幹部の弁護士を拘束したため、そのうちのひとりが膨真(元北京市書記、大幹部)の息子だったことも中央の評判を落とした。
薄き来のやり過ぎと不法な措置に不満の声があがり、長老格の喬石らが胡錦涛に要望書をおくった。薄き来の人気が陰った。
薄き来が重慶書記として行った「諸改革」は、第一に唱紅打黒はキャンペーンで、中国最大の毛沢東像を重慶市内に設置し、市民をあつめて革命かを唱わせる集会を開いて気勢をあげさせた。
また毛沢東の革命理論を最学習せよとも強要した。
▼重慶モデルは垂涎の的だったが。。。。。。
そのうえで重慶特別市の人口3000万人のうち、2000万人に「都市戸籍」をあたえ、ベッドタウンを強圧的に建設して、近郊を農民へのレンタル・マンションだらけとした。
重慶の建設ブームはとどまるところを知らず、また成都?重慶間には新幹線が開通し、市内にはモノレール、地下鉄、橋梁の増設など、凄まじい発展ぶりを見せつけた。
筆者も過去三年に三回、重慶を視察したのでこれらの実情を目撃してきた。
この建設プロジェクトは借金によるもので、前書記だった王洋時代から、国家予算による開発費用は3兆円前後だったが、薄き来は「向こう十年ほどの財政を先食いしてでも、建設を急げ」としたため、重慶市財政は「ギリシア並みか、もっと悪い」と言われる。
数ヶ月前まで、習近平は薄の「大活躍」を仄聞しながらも、側近には「誰もがやろうとしてもやれないことを大胆におこなったのは薄き来の個性だろう。政治的リアクションを考えたら党内に波風が立つことは必定であり、あの大胆さは、おそらく彼一人だろう」と発言した(ヘラルドトリビューン、2月18日付け)。
北京中枢はしずかに動き出した。
王立軍の過去の些細な瑕瑾をほじくりだし、2011年秋頃から取り調べを始めたが、最初のうち、王をかばっていた薄き来は、やがて沈黙するようになる。
ヤクザ粛正に熱心なあまり、王立軍は、自ら走行中のメルセデスを無謀に追い越した車の運転手を殴りつけ、そのまま略式起訴もなく十五日間拘留、これが王立軍批判大合唱のきっかけとなったらしい。
追い詰められた状況を知覚した薄き来と王立軍のあいだにすきま風が吹き荒れ、王立軍の運転手がいきなり拘束された。
つまり薄は批判の矛先を先日までの忠実な部下であった王にすり替えようとしたのだ。
これでパニック状態に陥った王立軍は自らが運転して300キロ離れた成都の米国領事館へかけこむ仕儀とあいなる。
さて今回のミニ政変で薄き来の次期政治局常務委員会入りはたいそう難しくなり、また重慶書記の任期も期限切れとなって近く新しい重慶書記の人事が発表される見通しにある。
薄き来は政治生命をうしなって隠遁生活にはいるか、あるいは全人代の飾りのポストが用意される可能性があるという。
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