マッカーサーGHQ司令官は大東亜戦争は「日本の自衛戦争だった」という証言を昭和26年米議会で行っていた。
平成15年から産経「正論」誌にこの記事が連載されたとき、米はいろいろ問題はあるが、こういう良心もあるのだなぁと感心したものだった。
敗戦後60年余、GHQ政策で自虐史観が蔓延し教育界にも及び、日本の近現代史は自虐史観にとらわれ、「侵略」したと刷り込まれてきた。
いまだに、一部の先生方が国旗国歌反対、九条を護る運動などを行っている。
近隣国はことあるごとに「歴史を鑑として」を持ち出して謝罪を求めてきた。
江沢民の反日政策はその最たるもので、宮中晩餐会(1998年)で過去の歴史について遠慮のない批判を行って帰った。
このほど、東京都立高校の歴史教材にこの証言が掲載され、正しい歴史認識の一助にしたという。
本当のことを教えない近隣国が今どういうことをやっているかを見ると、この東京都(石原都知事)の歴史教育は画期的なことではないだろうか。
「日本は自衛戦争」マッカーサー証言 都立高教材に掲載 贖罪史観に一石 2012.3.30 08:11産経新聞[歴史問題・昭和史]
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120330/edc12033008120003-n1.htm
マッカーサー証言
日本が対米戦争に踏み切った理由について、連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官だったマッカーサーが1951(昭和26)年、「主に自衛(安全保障)のためだった」と述べた米議会での証言が、東京都立高校独自の地理歴史教材の平成24年度版に新たに掲載される。日本を侵略国家として裁いた東京裁判を、裁判の実質責任者だったマッカーサー自身が否定したものとして知られる同証言を、公教育の教材が取り上げるのは初めて。
昭和の戦争での日本を「侵略国家だった」と断罪した東京裁判に沿う歴史観は、「日本国民は…政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」で始まる憲法前文にも反映され、「軍隊を持たず」という国際社会でも異質な国家体制の前提となってきた。歴史教育は「贖罪(しょくざい)史観」一辺倒となり、子供たちの愛国心を育んでこなかった。その歴史観が絶対ではないことを示すマッカーサー証言の公教育での教材化は、戦後日本の在り方に一石を投じそうだ。
証言は、朝鮮戦争で国連軍やGHQの司令官職を解任されたマッカーサーが1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公聴会に出席し、朝鮮戦争に介入した中国への対処に関する質疑の中で言及。連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。
都の教材は、この部分の証言を英文のまま掲載し、《この戦争を日本が安全上の必要に迫られて起こしたととらえる意見もある》としている。
教材は、江戸時代以降の日本の歴史を、東京の歩みとともに紹介する『江戸から東京へ』。都教委が都立高校の全生徒に平成23年度から配布している。都民の意見をもとに改訂した24年度版は、全新入生約4万3千人に配布する予定。
『江戸から東京へ』に掲載されたマッカーサー証言については、月刊「正論」5月号(3月31日発売)が詳しく紹介している。
渡部昇一・上智大学名誉教授の話「連合国から東京裁判の全権を委任されたマッカーサー自身が米議会で『日本の自衛戦だった』という趣旨の証言をしたことは、村山談話に象徴されるように東京裁判を背負ったままの日本にとって“超重大”であり、すべての日本人が知るべきことだ」
■村山談話 戦後50年の平成7年8月15日、当時の村山富市首相が発表。わが国が「遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たとし、「痛切な反省の意」「心からのお詫(わ)びの気持ち」を表明。以後の内閣もこの見解を踏襲してきた。
村山談話、河野談話ともに白紙撤回されるべき。
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■東京都教材に掲載されるマッカーサー証言について 2012/03/30 09:11
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/2640605/
■マッカーサー米議会証言録
http://www.sankei.co.jp/seiron/maca/2005/maca/mac-top.html